(以下、北陸中日新聞から転載)
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【NPO通信】
NGOダイバーシティとやま(5) 見えない「悩み」軽減
2012年4月24日
「ディスレクシア」視覚は正常だが、文字が2重に見えたり、動いたり、反転する、ゆがんで見えるなどの症状がある(写真はイメージ)
ものごとには原因と結果があり、どちらかというと結果の方が目に見え、原因は見えにくいものです。ダイバーシティに関しても、心の中に存在する原因にはなかなか気付きにくいもの。今回は、目には見えない「心の多様性」に迫ります。
心の中にある「ちがい」は、目に見えにくいがゆえに、差別や偏見を生みやすいものです。
私には、軽度の広汎(こうはん)性発達障害の人から急性期の精神疾患の人まで、目に見えにくい「ちがい」を持つ人に接してきた経験があり、彼らの悩みや苦しみに直面してきました。例えば、アルコール等の依存症の人が「だらしない人」と見られたり、うつ病やひきこもりの人が「なまけ病」だといわれるのは根拠のない偏見です。それによって事態がさらに悪化することも多々あります。
自死遺族の人や、多重債務などの生活に困窮している人たちも、外から見えにくい「しんどさ」を内側に抱えています。周りと自分の「ちがい」が理解されないことによって、外から見えない「しんどさ」がさらに高まります。こうしたときに、周囲の人がしんどさを理解し、そのしんどさを軽減させるように周りの仕組みを変えていくことが大切です。
ディスレクシア(識字障害)の子供は、成績もよく、すらすらと問題を解いているように見える一方、教科書の字を読むことに他の子の何倍も時間がかかったり、黒板の板書を書き写すことが困難で、教室でつらい思いをすることがあります。
こうしたときに、パソコンのような文字入力の機械を使ったり、デジタルカメラで黒板を写すことで「しんどさ」が消失し「ちがい」が環境に活(い)かされることになります。現代社会は、こうした「ちがい」を活かすスキル(方法)をたくさん持っているのです。
内側にある原因が外側に現れたとき、外側から判断して「おかしいよ」とか「なまけている」とみるのではなく、ちがいの原因をしっかりと見つめ、それを外側からアプローチしていくことが大切なのです。
心の中の「ちがい」を、社会を豊かにする「気づき」とし、原因をきちんと社会化して共有できるかどうかは、私たち次第なのかもしれませんね。(NGOダイバーシティとやま・柴垣禎)
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【NPO通信】
NGOダイバーシティとやま(5) 見えない「悩み」軽減
2012年4月24日
「ディスレクシア」視覚は正常だが、文字が2重に見えたり、動いたり、反転する、ゆがんで見えるなどの症状がある(写真はイメージ)
ものごとには原因と結果があり、どちらかというと結果の方が目に見え、原因は見えにくいものです。ダイバーシティに関しても、心の中に存在する原因にはなかなか気付きにくいもの。今回は、目には見えない「心の多様性」に迫ります。
心の中にある「ちがい」は、目に見えにくいがゆえに、差別や偏見を生みやすいものです。
私には、軽度の広汎(こうはん)性発達障害の人から急性期の精神疾患の人まで、目に見えにくい「ちがい」を持つ人に接してきた経験があり、彼らの悩みや苦しみに直面してきました。例えば、アルコール等の依存症の人が「だらしない人」と見られたり、うつ病やひきこもりの人が「なまけ病」だといわれるのは根拠のない偏見です。それによって事態がさらに悪化することも多々あります。
自死遺族の人や、多重債務などの生活に困窮している人たちも、外から見えにくい「しんどさ」を内側に抱えています。周りと自分の「ちがい」が理解されないことによって、外から見えない「しんどさ」がさらに高まります。こうしたときに、周囲の人がしんどさを理解し、そのしんどさを軽減させるように周りの仕組みを変えていくことが大切です。
ディスレクシア(識字障害)の子供は、成績もよく、すらすらと問題を解いているように見える一方、教科書の字を読むことに他の子の何倍も時間がかかったり、黒板の板書を書き写すことが困難で、教室でつらい思いをすることがあります。
こうしたときに、パソコンのような文字入力の機械を使ったり、デジタルカメラで黒板を写すことで「しんどさ」が消失し「ちがい」が環境に活(い)かされることになります。現代社会は、こうした「ちがい」を活かすスキル(方法)をたくさん持っているのです。
内側にある原因が外側に現れたとき、外側から判断して「おかしいよ」とか「なまけている」とみるのではなく、ちがいの原因をしっかりと見つめ、それを外側からアプローチしていくことが大切なのです。
心の中の「ちがい」を、社会を豊かにする「気づき」とし、原因をきちんと社会化して共有できるかどうかは、私たち次第なのかもしれませんね。(NGOダイバーシティとやま・柴垣禎)