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子どもには「居場所」を 桐生でシンポジウム

2011-02-07 21:13:23 | 多文化共生
子どもには「居場所」を 桐生でシンポジウム

2011年2月7日

不登校や外国人児童へのいじめなどについて意見交換する参加者ら=桐生市で
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 不登校やいじめを考えるシンポジウムが六日、桐生市保健福祉会館であった。昨年十月に同市の小学六年の上村明子さん=当時(12)=が自殺した問題を受け、不登校や外国人児童へのいじめなどをテーマに教育者らが意見を交わした。 (中山岳)

 不登校や引きこもりの若者を支援するNPO法人「パスの会」(玉村町)などが企画し、約百人が集まった。同会の山口実理事長や、子ども相談室「モモの部屋」(東京都杉並区)を主宰する内田良子さんら五人が自分の体験などを話し、参加者と意見交換した。

 米国人でNPO法人の国際コミュニティースクール「多言語教育研究所 ICS」(伊勢崎市富塚町)のカイラン・マックメーヒル理事長は、フィリピン人の母親がいる明子さんが、容姿をからかういじめを受けていた点を指摘。自分の娘が日本の学校でいじめられた経験も交え、いじめにあった外国人児童の多くが「自分が外国人だから」と感じていると紹介した。

 「いじめる子どもは大人のまねをしているだけ。日本社会で外国人に違和感がある日本人はまだたくさんおり、子どもは大人の態度を吸収していじめるのでは」と話した。

 前橋市の運転手阿久沢博さんは、息子が中学時代に不登校になった経験から、まず学校に行かせようとしたのを「間違いだった」とし、ギターに興味を持った息子に音楽の家庭教師を付けたことなどを紹介し「学校には無理に行かせず、家族は周りの助けを借りて子どもが落ち着ける居場所を見つけたほうがいい」と述べた。

 内田さんは、いじめられている子どもが無理に学校に通い続けて自殺するケースが多いと指摘。「学校に行かなければならないという考えの中で子どもや親も追い詰められる。不登校は『命の非常口』。学校を休めてほかに居場所があれば、子どもは学び直せる」と話した。

味噌の絵本の多言語化プロジェクト

2011-02-05 21:46:25 | 多文化共生
(以下、バリュープラスから転載)
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味噌の絵本の多言語化プロジェクト
千葉県からアジアへ、日本の食文化を発信しビジネスチャンスをつかめ!
民間企業と大学が連携して、アジアの留学生むけ講義を開催
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 株式会社リバネス(東京都新宿区)と敬愛大学(千葉県千葉市稲毛区)は、敬愛大学に在学するアジア7カ国の留学生を対象とした日本の食文化の発信と母国でのビジネスに関する講義を行うはこびとなりました。本講義では、日本へ留学後に母国シンガポールで起業し、日本の食文化発信の事業を立ち上げた留学生を招き、アジア各国における日本の食文化への人気の高まりの中、日本文化を母国へ伝えるビジネスモデルを紹介します。さらに、敬愛大学に所属するアジア各国(中国、韓国、ラオス、スリランカ、ネパール、ベトナムなど)からの留学生とともに、日本の代表的な食文化である味噌を題材とした教材絵本『み子ちゃんおみその中の大ぼうけん』(株式会社イマージュ・宮坂醸造株式会社・株式会社リバネス共著)を母国語へ翻訳し紙芝居を制作します。本講義を通じて、留学生の日本の食文化への理解を促進するとともに、アジア各国へ日本の食文化を発信するためのコンテンツ作りを行います。

 今後、リバネスと敬愛大学では引き続き協力しつつ、留学生に対する日本文化教育を活かした海外への日本文化発信の仕組みを構築する予定です。アジアを中心とした海外進出を目論む伝統的企業との連携を積極的に行い、留学生への文化教育と企業活動が両立する仕組みを構築します。

- 記 -
講義タイトル:アジアの留学生にむけて~母国での日本の食文化発信はビジネスになる!~
日時:2011年2月8日(火)13時00分~16時00分
場所:敬愛大学 稲毛キャンパス 3601教室
アクセス:http://www.u-keiai.ac.jp/outline/access/

【本件の連絡先】
株式会社リバネス 教育開発事業部 担当:立花
TEL…03-6277-8041 FAX…03-6277-8042
E-MAIL…educ@leaveanest.com
住所…〒160-0004 東京都新宿区四谷2-11-6 VARCA四谷10階
URL…http://www.leaveanest.com/

                               以上

「浅川兄弟」知ってますか 植民地朝鮮の人、文化愛し交流 新宿で20日講演会

2011-02-02 23:33:57 | 多文化共生
(以下、東京新聞【東京】から転載)
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「浅川兄弟」知ってますか 植民地朝鮮の人、文化愛し交流 新宿で20日講演会

2011年2月2日

常設展示で浅川巧を紹介したコーナー=新宿区で
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 日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に朝鮮文化を愛し現地の人々と交流した浅川伯教(のりたか)・巧兄弟に関する講演会が二十日午後二時から、しんじゅく多文化共生プラザ(新宿区歌舞伎町)で開かれる。主催するNPO法人高麗博物館(同区大久保)は「植民地時代にもこういう人がいたことを知ってほしい」と参加を呼び掛けている。 (松村裕子)

 兄弟は現山梨県北杜市の出身。朝鮮に渡った。伯教(一八八四~一九六四)は教員、巧(一八九一~一九三一)は朝鮮総督府の林業技術者として働く傍ら、白磁に興味をもち窯跡を訪ねて研究した。民芸運動を起こした柳宗悦とともに現ソウルに膳(ぜん)や家具を集めた朝鮮民族美術館を設立した。特に巧は、日本が同化政策を進める中で、自らは朝鮮の言葉を学び服を着て現地の人々と親しく付き合った。早世した際には大勢の人がひつぎを担ぎたいと申し出たという。

 講師は兄弟の研究をする李尚珍(イサンジン)・山梨英和大助教(40)。「浅川兄弟にみる異文化理解」のテーマで話す。「お互いに関心を持って理解することが大事だと伝えたい」という。

 高麗博物館は二〇〇一年の開館時から常設展示で巧を紹介してきた。出身地には兄弟の資料館があるが、日韓ともにまだまだ知られていないのが現状。運営委員は「いずれは日韓交流の先駆けとして企画展をしたい」と話し、プレ企画として講演会を計画した。

 参加費五百円。要予約で先着五十人。問い合わせ、申し込みは博物館=電03(5272)3510=へ。

争点の現場(2) 日系ブラジル人

2011-02-02 23:33:01 | 多文化共生
(以下、中日新聞【愛知】から転載)
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争点の現場(2) 日系ブラジル人

2011年2月2日

団地の集会所で開かれている日本語教室で勉強する日系ブラジル人=豊橋市中岩田で
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 「『な』の書き順は分かりますか?」。豊橋市中岩田の県営岩田団地の集会所で開かれている日本語教室。住人の日系ブラジル人2世林タカシさん(49)が、平仮名の書き取り練習をする中年男性に優しく指導している。男性の息子も隣で同じドリルを解く。

 日が暮れるとコーヒーを片手に日系人たちが集まり、住民同士の談笑が深夜まで続く。

 団地では全世帯の37%、250世帯を日系ブラジル人が占める。言葉の通じない日系人を支えようと、自治会が8年前から集会所を開放し、日本語教育や行政との連絡、困り事の相談などに応じている。

 「皆で知恵を絞ってきた。ようやくここまで来たかという思い」。談笑の輪に加わりながら、自治会長の小池真宏さん(72)は苦難の道のりを振り返る。

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 団地に日系人が住み始めたのは10年ほど前。顔つきは同じでも、言葉や習慣が全く違う。深夜に若者が集まり、大音量の音楽に合わせて騒ぐ。洗濯機やたんすなどの粗大ごみは路上に山積み。外の市道には違法駐車の列ができた。ルールを守らない暮らしぶりに元からの住民が反発。団地広場での口論や、取っ組み合いのけんかが絶えなかった。

 日系3世のカルバリオ・マルシオ・康直(こうじ)さん(26)は「ブラジルでは仕事の後に仲間と一杯飲んで騒ぐのが当たり前。ブラジル人というだけで目をそらされ、あいさつも返してくれない。そんな日本人の対応がストレスになっていた」と打ち明ける。

 小池さんらは県や市に相談したが「自治会で対応してほしい」と、冷たくあしらわれた。話し合いの場として集会所を開放したが、言葉が通じない。そんな時、住民の一人で日系2世の舛木ツトムさん(72)がボランティアの通訳を買って出た。1999年から豊橋の化粧品工場などで働き、日本語は得意。65歳で退職後は毎夜、集会所で通訳を務める。

  ■ ■ ■

 世界的不況に陥った2008年秋以後は、企業の派遣切りで職を失った日系人の相談が急増した。「ハローワークに行っても仕事がないのであっせんして」「友人が派遣切りに遭った。住む場所もないので、自分の部屋に住まわせたい」

 住民らは知り合いを通じて就職先を探したり、ハローワークの場所を案内してあげたりと、できるだけの支援をしてきた。

 「私たちの祖先は100年前に経済的な理由で日本からブラジルに渡った。100年後の今、同じように経済的な理由で日本に戻り、苦労している。2つの国をまたぐ同胞たちの役に立ちたい」。舛木さんの思いは熱い。

 小池さんは「せめて通訳料だけでも支払ってあげたい」と県や市に支援を求めたが、認められていない。

 出稼ぎのため、留学のためと、県内でも外国人が増え続ける。彼らとの意思疎通や生活支援の多くは、地域住民の善意と犠牲の上に成り立っている。行政が唱える「国際交流」「多文化共生」という言葉が、小池さんにはむなしく響く。 (池内琢)