多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

争点の現場(2) 日系ブラジル人

2011-02-02 23:33:01 | 多文化共生
(以下、中日新聞【愛知】から転載)
==========================================
争点の現場(2) 日系ブラジル人

2011年2月2日

団地の集会所で開かれている日本語教室で勉強する日系ブラジル人=豊橋市中岩田で
写真

 「『な』の書き順は分かりますか?」。豊橋市中岩田の県営岩田団地の集会所で開かれている日本語教室。住人の日系ブラジル人2世林タカシさん(49)が、平仮名の書き取り練習をする中年男性に優しく指導している。男性の息子も隣で同じドリルを解く。

 日が暮れるとコーヒーを片手に日系人たちが集まり、住民同士の談笑が深夜まで続く。

 団地では全世帯の37%、250世帯を日系ブラジル人が占める。言葉の通じない日系人を支えようと、自治会が8年前から集会所を開放し、日本語教育や行政との連絡、困り事の相談などに応じている。

 「皆で知恵を絞ってきた。ようやくここまで来たかという思い」。談笑の輪に加わりながら、自治会長の小池真宏さん(72)は苦難の道のりを振り返る。

  ■ ■ ■

 団地に日系人が住み始めたのは10年ほど前。顔つきは同じでも、言葉や習慣が全く違う。深夜に若者が集まり、大音量の音楽に合わせて騒ぐ。洗濯機やたんすなどの粗大ごみは路上に山積み。外の市道には違法駐車の列ができた。ルールを守らない暮らしぶりに元からの住民が反発。団地広場での口論や、取っ組み合いのけんかが絶えなかった。

 日系3世のカルバリオ・マルシオ・康直(こうじ)さん(26)は「ブラジルでは仕事の後に仲間と一杯飲んで騒ぐのが当たり前。ブラジル人というだけで目をそらされ、あいさつも返してくれない。そんな日本人の対応がストレスになっていた」と打ち明ける。

 小池さんらは県や市に相談したが「自治会で対応してほしい」と、冷たくあしらわれた。話し合いの場として集会所を開放したが、言葉が通じない。そんな時、住民の一人で日系2世の舛木ツトムさん(72)がボランティアの通訳を買って出た。1999年から豊橋の化粧品工場などで働き、日本語は得意。65歳で退職後は毎夜、集会所で通訳を務める。

  ■ ■ ■

 世界的不況に陥った2008年秋以後は、企業の派遣切りで職を失った日系人の相談が急増した。「ハローワークに行っても仕事がないのであっせんして」「友人が派遣切りに遭った。住む場所もないので、自分の部屋に住まわせたい」

 住民らは知り合いを通じて就職先を探したり、ハローワークの場所を案内してあげたりと、できるだけの支援をしてきた。

 「私たちの祖先は100年前に経済的な理由で日本からブラジルに渡った。100年後の今、同じように経済的な理由で日本に戻り、苦労している。2つの国をまたぐ同胞たちの役に立ちたい」。舛木さんの思いは熱い。

 小池さんは「せめて通訳料だけでも支払ってあげたい」と県や市に支援を求めたが、認められていない。

 出稼ぎのため、留学のためと、県内でも外国人が増え続ける。彼らとの意思疎通や生活支援の多くは、地域住民の善意と犠牲の上に成り立っている。行政が唱える「国際交流」「多文化共生」という言葉が、小池さんにはむなしく響く。 (池内琢)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿