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「リベラルであること」の難しさとは何か?

2014-08-19 11:55:52 | ダイバーシティ
(以下、東洋経済ONLINEから転載)
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「リベラルであること」の難しさとは何か?
湯浅誠×乙武洋匡 リベラル対談

プラスの積み重ねで育てられた

湯浅:乙武さんの書かれた『自分を愛する力』(講談社現代新書)を読んだのですが、私と乙武さんの家庭には似たところがあるのです。私の兄は障害者なんですよ。乙武さんのお父さんも転勤拒否していたそうですが、うちのオヤジもです。オヤジは日経新聞の社員でしたが、転勤しなかったため同期でいちばん出世が遅れた。そんな父親をお互いがんで亡くしたという点も同じですね。

乙武:そんな共通点があったのですね。

湯浅:でも違うところもありました。乙武さんは自己肯定感が高いけれど、うちの兄貴はとても低かった。とにかく人見知り。特に小さい頃は、家に人が来るとコタツの中に隠れてしまう。私が車イスを押して外出しても、人のいない道、いない道を行きたがる。

乙武:確かに、それは相違点かもしれませんが、むしろ障害者としてはお兄様のほうが一般的なのかもしれません。

湯浅:私ね、小さい頃は自分が損しているとずっと思ってたんですよ。兄貴とケンカすると、たいがい私が怒られる。

乙武:ああ、なるほど。

湯浅:オヤジもおふくろも、どちらかというと兄貴のほうにフォーカスしてるから、私は自己主張しても損するだけ、みたいな感じがありましたね。でも私はそれでも、気がついたら「なんとかなるさ」という性格になって、この年齢まで来てしまったんですけど(笑)。

乙武:私には決定的に恵まれているところが2つあったんです。ひとつは生まれた瞬間からこういう体だったもので、親はもう一生寝たきりだろうと覚悟していたという点。だから僕が寝返りを打った、起き上がった、自分でごはんを食べた、字を書いた、それだけで大喜びですから、プラス、プラスの積み重ねで育ててもらえた。

湯浅:はい。

乙武:親って、生まれるまでは「五体満足であってさえくれれば」なんて言うくせに、そのうち「この子は運動ができない」「勉強ができない」とか、いろんなイチャモンをつけてくる(笑)。でも僕はもともとゼロベースなので、些細な成長でさえすごく喜んでもらえた。

湯浅:わかります。

乙武:もうひとつは僕の生まれつきの性格が、目立ちたがり屋だったこと。車イスに乗っていて、ましてや手足がないとなると、みんな僕を見ますよね。誰が悪いとかじゃなくて、物珍しいものには自然と目が向くのが人間の本能だから。でも、普通は自分が目立つのは「いやだ、恥ずかしい」という人が多いし、おそらくお兄様もそうだったのだと思います。

そうすると街に出るのがおっくうになったり、「この人は自分に対してどういう視線を向けるんだろうか」と、他人の様子をうかがうようになってくる。これは当然だと思うんですよね。

湯浅:そうかもしれないですね。

乙武:ところが僕の場合は小さい頃から、目立ったり、注目を浴びたりすることが嫌ではなかった。だから「じろじろ見られて大変だったんじゃないですか」「嫌な思いをされてきたんじゃないですか」とよく聞かれるのですけど、どちらかと言えば「目立ってうれしい」くらいに思っていたんですよね。

湯浅:ほう。物心ついたときから目立つのが好きだったのなら、それって先天的なものなんですかね。

乙武:そうかもしれません。この2つは僕の自己肯定感の形成に、決定的に大きかったと思います。

湯浅:本にはずっとそのままで大人になったと書いてありますが……。

障害者であるより、有名人であるほうが大変

乙武:もっと正確にいうと、『五体不満足』(講談社文庫)がベストセラーになるまでは、視線を浴びることへの抵抗は特になかったのです。障害者であるということを差し引けば、普通に生きてきたわけですから。ところが、自分がいわゆる“有名人”になると、視線の質が変わってくるのです。

湯浅:どう変わりました?

乙武:今までは「未知との遭遇」みたいな視線を向けられてきた。それに対しては何の抵抗も感じていなかったのですが、今度は「既知との遭遇」になるわけです。「ああ、あの乙武さん」だと。そして一方的に写真を撮られたり、サインをせがまれたりするようになった。

湯浅:しんどかったんじゃないですか?

乙武:一般の方からお声がけいただくのはまだよかったのですけど、出版後、しばらくは週刊誌にずっと張られていて、家の前3カ所くらい、あっちの電信柱とこっちのコインランドリーに誰かがいてこっちを見ている。つねに監視をされているような感覚。

湯浅:それはつらい。

乙武:そういう生活が1年、1年半と続いたとき、原因不明の頭痛と吐き気に悩まされるようになりました。病院に行ってひととおり検査しても原因がわからなくて。

湯浅:そこで初めて、目立つことの大変さを知ったということですね。

乙武:目立つって、そう楽なことばかりでもないな、と(笑)。

湯浅:この本の中で、乙武さんがスポーツライターから教育分野に転身するきっかけとして、2003年と2004年に起きた、少年少女による幼児や同級生の殺人事件を挙げていますね。もちろん被害者はつらいけれど、加害者も苦しかったのではないか。周囲にいた大人が子どもたちの発するSOSのサインに気づき、軌道修正していれば、こうした事件を起こさずに済んだかもしれないと。

乙武:僕らはどうしても表面的なところばかりに目を向けてしまう。でも、「どうしてそうなったのか」という裏側にも、もっと目を向けていくべきだと思うのです。

湯浅:世の中、なかなか殺人事件の加害者の身になって考える人は少ないと思うのですけど。

乙武:それは自分の境遇が大きく影響しているのだと思います。『五体不満足』が出版されて、多くの方が僕のことを評価してくださるようになった。でも、そこに違和感があったのです。「自分はそんなに褒められるような人間ではない。もし褒めていただくとしたら、それは僕の周りだ」と。

僕の周りの人が、僕をつくってくれた


湯浅:周りとは?

乙武:両親や学校の先生方、クラスメートや近所の方々。みなさんから見えているのは僕ひとりなので、「乙武さんがすごい」となりますけど、その乙武洋匡をつくりだしたのは、やはり周囲にいた人々だったわけです。

湯浅:そうですね。

乙武:少年犯罪においても、同じことかなと。僕らに見えているのは11歳、12歳の子供が人を殺したという部分だけです。でも、そこに至るまでの経緯にも目を向けたら、また違うものが見えてくるはずだ。そんなふうに考えるクセがついたんですよね。

湯浅:よくわかります。私が自分自身と社会との関係を考えるようになったのは、ホームレスの人と付き合ったり、生活に困っている人の相談を受け始めたりしてからですね。あるときに、それこそ私はなんとかなると思えるけれど、「なんとかなるとはどう逆立ちしても思えない人が、世の中にいる」という事実を、知ってしまった。

乙武:なるほど。

湯浅:逆に、なぜ自分のことはなんとかなると思えるのだろうと振り返ってみると、私には「溜め」があったなと。つまり家族や友人や経済環境など、自分を支えてくれるもの。私はそれを「溜め」という言葉で表現するようになったのですけど。そこで初めて「自分にとって当たり前だと思っているものを持たない人がいる」と気づいたんですよね。

乙武:その「溜め」がないと、人々は「何ともならない」と感じた。

湯浅:これは健康と同じで、失ってみないと気づかないというか、私や乙武さんみたいにきっかけがないと気づけない。そのためにも、いわゆるリベラルな価値観を広めていく必要があると思うのです。乙武さん自身はそれをどうやって伝えていこうと思っていますか。

乙武:そうですね。最近、リベラルの難しさをすごく感じるんですよ。たとえば、ものすごく右傾化した人々や何か強い主張を持った人々には、相手を否定することで自分たちの主張をより際立たせるという手法をとっている方が多い。

僕はリベラルという言葉へのこだわりはないけれど、自分自身のスタンスとしては、やっぱり多様性を認めるということを強く伝えていきたい。しかし、「多様性を認めるべきだ」と主張してしまうと、自分とは「相いれない主張も、多様性のひとつとして認めなければいけない」というジレンマが出てくるわけですよね。

湯浅:そこは、リベラルの基本的なジレンマですよね(笑)。

乙武:相手はこちらを否定してもいい。でも、こちらが相手を否定することはできない。これは、すごく不利だなと。では何を論拠に「伝えていくのか」を考えると、やはり個人的な経験が論拠になるのかな。僕の場合、それこそほかの方には逆立ちしてもできない経験を積み重ねていますし、ほかの方には見えない景色も見てきたでしょうから、少しは説得力のある話ができるかもしれない。それが今のところの自分のスタイルですね。

「多様性を否定する人」も認めるつらさ

湯浅:リベラルが不利だというのは、おっしゃるとおりです。「多様性を否定する人を肯定するのが、多様性を認める」ということですからね。それって、ただつらいだけじゃないかって(笑)。

乙武:そうなんですよね(笑)。すごく難しい。

湯浅:そのドツボにはまらないためには、感情や経験に基づいた話をするのがいいかもしれない。自分がそうだったという事実を相手は否定も肯定もできないわけで、論争にはなりませんよね。それをやっていく意義は大きいと思います。大きいと思いますが、その次のステップをどうするかという問題があります。

たとえばリベラルな価値観を守るような制度・政策を作ろうという話になったら、自分の経験や感情から話を立ち上げつつも、論争的な領域に入っていかざるをえないじゃないですか。そうなったときは、どうしますか。

乙武:正直、これといった答えを見つけられてはいません。今までの僕の活動領域では、先ほどもお話していたように、自分の経験を論拠にしていればよかった。つまり自分はこんなふうに生きてきました。自分から見えた景色はこういうものでした。それを、メディアを通して伝えていくことで、何か考えるきっかけを得る人がいたり、生きるためのヒントをつかんでくださる方がいたり、それで完結していたんですね。

ただ私自身の視点が、私個人から教育という分野に移り、さらに教育から社会というものに移っていくと、その手法だけではどうしても限界がある。それは、まさに最近、感じつつあることなのですよ。

湯浅:乙武さんが、社会活動に本気でここまでかかわろうとしている話を聞くのは心強いですね。

なぜ、あえて「カタワ」という言葉を使うのか

イメチェン前の湯浅氏は怖かった?

乙武:湯浅さん、随分イメージが変わりましたよね。僕が初めて湯浅さんにお会いしたのはまだイメチェン前だったので、「ビフォー・アフター」を存じあげていますが(笑)、湯浅さんご自身は、イメチェンによる効果を感じていらっしゃいますか。

湯浅:ええ。感じていますね。少なくとも、「前は怖いという印象を持っていた」と白状してくれるようになった(笑)。実は、そう思われていたとは、全然、知りませんでした。「湯浅さんって怖いですね」なんて軽口をたたけないくらい怖かったんでしょうね。

乙武:わはは。軽く傷つきますね(笑)。

湯浅:今までも親しくなると、「実は笑うんですね」とか言われてましたけど(笑)、怖そうだと言ってくれる人はいなかったですね。そんなつもりはまったくなかったんですけどねえ。

乙武:正直、僕も怖い人だと思ってましたもん(笑)。メガネかなあ、やっぱり。

湯浅:いや、テーマだと思います。私が扱っているのは貧困問題でしょう。テレビで笑いながら話せる問題じゃないわけですよ。私だって友達といるときは笑って酒飲んでたりしてますけど、テレビカメラが回っているときに笑顔で「いや、日本で餓死が起こっているんです」とは言えない。

どうしても「こういう問題があるんです」という訴え調になる。そのうえ服装には、まったくこだわってなかったので、怖い印象になってしまっていたみたいです。

乙武:それは仕方がない部分ですよね。

湯浅:私の反省は、社会活動家と名乗る以上は、自分が人に与える印象にもっと自覚的であるべきだったということですね。とにかく洋服と一緒で無頓着だったものだから、全然気にしていなかった。

乙武:僕は身なりについては、わりと早い段階から意識していました。障害者問題や貧困問題って、どちらも一般の方にとってはなじみのない分野であり、発言しにくい分野だと思うんですよ。

湯浅:下手なこと言ったら、怒られそうなイメージがある(笑)。

乙武:でも、本来はそうであってはいけない。そう考えると、望むと望まざるとにかかわらず、今の日本では障害のことなら僕が、貧困のことなら湯浅さんが、社会に対しての入口になってしまっている部分があると思うのです。その入口である人間がどういう風体をしていて、どれくらい親しみやすい人間かは、みなさんが入口をくぐってみようと思うか思わないかを大きく左右する。だから身なりの話は、くだらないことのように見えて、実はけっこう大事なのかなと思っています。

湯浅:それ、いつ気がつきました?

乙武:『五体不満足』(講談社文庫)の中に、「障害者ももっとおしゃれをしたらいいのに」と書いた章があるんですね。僕自身、すごく洋服が好きだったのもあって。それに対して「本当にそのとおりだと思います」とか、「乙武さんのように障害のある方がオシャレ好きだなんて意外でした」という反響をいただいて、「あ、これは大事だな」と。

賛同者を増やすことの必要性



湯浅:そういう声を聞いたら、それをすぐ受け入れる柔軟さを持っていたのですね。私がそう思えるようになったのは40歳を超えてからです。内閣府の参与を務めたときに、「政策を実行するということは、反対する人の税金も使うということだ」と思ったんですよね。

たとえばホームレスの人の炊き出しなんかをやってると、怒鳴り込んでくる近所のおばさまがいる。「アンタたちがそんなことをするから、この公園にホームレスが増えるんじゃないか。汚れるし、子供も遊ばせられなくなるじゃないか」って。もちろん丁寧に対応するけれど、心の中では反論しているんですよ。「こっちは生きるか死ぬかの問題なんだよ」みたいにね。

でも参与をやっているとき、ふと思ったのは、あの怒鳴り込んできたおばさんの税金も使うんだよな、と。あのおばさんが「そんなことに税金を使うなら、あたしは税金を払わない」と言っても、税務署は差し押さえることもできちゃうんだよな、と。

乙武:確かに。

湯浅:そう考えると、あの人も利害関係者として認めないといけないし、それが公的なことをやるということなんだと思ったら、少しでも賛成してくれる人をいかに増やすかを考えなくちゃいけない。賛成とまではいかなくても、せめて強固に反対しないくらいになってくれるといい。そのためにやれることは、なんなのか、いろいろな方法を考えないといけない。

私はそれまで合意形成ということを、ちゃんとまじめに考えたことがなかった。だけどこれからは、まったく相いれない価値観の人とどう合意を形成していくのか、交渉学とかファシリテーションとか、そういうことも本気で考えないといけないと思いましたね。

乙武:湯浅さんは何冊も著書を出されていますが、いつもそのときの自分の考えを凝縮して、1冊の本を執筆している。ですから、どの本も、書いた時点ではウソは1ミリもないと思うんですよ。ところが今、参与を経験された湯浅さんが、たとえば最初の本を読み返すと、きっと疑問に思う点がたくさん出てくるのではないでしょうか。

湯浅:それはもう、満載です。

乙武:そこがきっと参与をご経験なさった財産なのかなと思うんですよね。あれだけすばらしい活動をされてきて、知見がたまってきた。それを基に世の中を動かすには、価値観の異なる人ともぶつかりあって、着地点を見いだして合意形成をしないといけない。それこそ僕らが今、向き合わなければいけないことなんだ、というふうに変化してきた。ご著書を連続して読むと、その変化がすごくリアルに伝わってきます。

湯浅:乙武さんはそういうことないですか。自分が過去に書いた本を読み返すと、今と考えが違うようなことが。

乙武:考えが変わったというより、「そうとらえられるのか」という誤算はありましたね。いちばん大きいのは最初の本(『五体不満足』)ですよ。それまで障害者というのは「かわいそうな人」「不幸な人」であると思われていた。確かにそうした側面もあるかもしれないけど、僕自身は障害者として生まれて、毎日幸せに暮らしている。そんな人間もいるのだと伝えたくて、あの本を書いた。つまり不幸に寄りすぎたイメージを真ん中に戻したくてあの本を出したのですが、あまりにも多くの方に読まれたために、今度は「なんだ、障害者も幸せなんだ」というイメージに寄りすぎてしまった。

障害当事者や家族からクレームや批判が届いた


湯浅:そんなつもりはなかったのに?

乙武:はい。そこで何が起こったかというと、ある種のクレームや批判が届くわけですよ。クレームを寄せてくるのは、ほとんど障害当事者か、そのご家族や支援者でした。どういう批判かというと、「お前は恵まれている」というものです。「おまえのように親に愛され、周囲に応援されて生きてきた障害者なんか、ほとんどいないんだ。たまたまラッキーだった人生をそんな大々的に語られても、みんながそううまくいくわけじゃないんだ」とか、「おまえみたいなやつが出てきたおかげで、『乙武さんだってああして頑張ってるんだから、あなたも頑張れるはず』と、おまえと同じ頑張りを強要された。どうしてくれるんだ」などなど。

これは本当に想像もつかなかった。僕は養護学校ではなく、地域の学校で健常者とともに育ったもので、特に障害のある友人がいなかったんですよ。だから自分以外の障害者の境遇や困難を知らなかった。まあ、だからこそ書けた本ではあったのでしょうけど。

期せずして障害者の代表のように扱われるようになり、いくら自分のことを語っているつもりでも、世間からは「障害者はこうなんだ」と受け取られてしまう。そのあたりのもどかしさは、今でも感じることがありますね。

湯浅:なるほど。

私が今、自分の過去の本を読んでいちばん強く感じるのは、一言でいうと、基本的なトーンの違いなんですよね。昔は「なんでわかってくれないんだ」っていういらだちを吐き出すようなトーンなのです。わからない人に寄り添う感じはない。

もちろんそれに共鳴してくれる人もいるし、それで問題の存在に気づいてくれる人もいるのだけれど、でもそのトーンのせいで妙に責められているような感じを受ける人もいて、その人たちはむしろ遠ざかってしまったりする。そうすると結果的に私は目的が果たせていないということになる。

障がい? しょうがい? だったらカタワでいい


乙武:確かに湯浅さんのおっしゃるとおり、あえて過激で挑発的な言葉を使うことで、一般の人の目を引きつける効果はあります。でもそういう言葉を使うことで敬遠する人も出てくるのも確かで、その使い分けはすごく難しい。

たとえば、僕は自分自身のことをツイッター上で「カタワ」などと表現する。いまでは差別語とされていますから、当然、炎上するわけです。では、なぜあえてそんな言葉を使うかというと、最近、障害の「害」という字を平仮名で表記する風潮が広がっている。なぜなら「害」という字が社会の害になっているように感じるからだと。でもそれを平仮名にするなら、今度は障害の「障」の字だって、「差し障る」という字なんだから、それも平仮名にしろという話になるだろうし、「しょうがい」などとすべて平仮名にするくらいなら、もう別の言葉にしてしまおうという流れになっていくと思うのです。

だったら、「カタワ」でもよかったんじゃないかと。「カタワ」の語源って、「車輪は片方だけだと不具合がある」=「片輪」ですから、そこまで侮辱的な意味ではなかったはずなのです。でも、それが使われていくうちに「差別的だ」という理由で、「身体障害者」という呼び方になった。イタチごっこだと思うんですよ。障害者に対する本質的な意識や考え方を変えないかぎり、いつまで経ってもそれが続くだけでしょう。

湯浅:根本的なところ、でね。

乙武:まさに。そうした問題提起の意味で使っているのですが、まあ過激は過激ですよね。でも、過激な言葉を使うことで振り向いてくれる人が、やっぱり多いわけです。

しかし、先ほどもお話したように、そういう手法をとることで離れていく人もいるわけで、そのあたりのさじ加減に難しさがあるんですけど。

湯浅:つまりある時期までは、そういう攻撃的なスタイルが必要なことがある。でもある段階を越えると、それだけではやっていけなくなる。そうするともうちょっとウイングを広くしながら、それこそ強硬な反対をやわらかい反対にもっていくようなことをやらないといけない。それには、とんがっているだけでは駄目だということになる。これは必然的な変化だと思うのです。

湯浅 だけどその切り替えが遠くから見ると、変節とも見えるわけですよ。「あいつは有名になって人が変わった」とか「媚びるようになった」とか言われることもある。でもそれをしないと前に進まない。

乙武:障害にしても貧困にしても、マイノリティですよね。マイノリティの問題を解決するには、マジョリティを味方につけないといけない。でも、マジョリティはマイノリティの問題に興味がない。

湯浅:そこが決定的なジレンマですよね。

最後にひとつ伺いたいのですが、乙武さんは今後、何か着手しようと思っていることとか、思い描いていることがありますか。

教育は“学校”だけではない


乙武:僕はこの10年近く、教育をメインフィールドに小学校教師や東京都教育委員を務めてきたのですが、それだけでは限界も感じていたところなのです。教育というと、どうしても学校教育だけがクローズアップされがちですが、本来、子どもは「家庭」「学校」「地域」の三者で育てられるんですよね。

学校教育については、かなり深くかかわることができた。また、2児の父として、家庭教育にも当事者としてかかわることができている。ただ、地域との接点を持てていないということに気づいたのです。そこで、「グリーンバード新宿」というゴミ拾いのボランティア団体を立ち上げました。ゴミ拾いにかぎらず、さまざまな活動を通じて、地域の住民同士をネットワークで結んでいこうというのが目的です。高齢化が進むだけでなく、高齢単身世帯がどんどん増えていく状況で、いざ災害が起こったときに誰もが孤立しないためのまちづくり。こうした地域活動が、防災や治安、子育てや地域教育につながっていくものと確信しています。

湯浅:ほんとうに、親だけでなく、先生だけでなく、地域の人にも守られて子どもは育つのですよね。

最後になりますが、乙武さんにとって、リベラルとは一言でいうと、どういう意味だと思いますか。

乙武:これがリベラルなのかはわかりませんが、僕が教育においても、また社会においてもいちばん実現したいことは、「生まれついた境遇や環境によって不利益が生じない社会にしたい」ということです。それが僕の中でリベラルと親和性の高い思いかな。

湯浅:乙武さんは『自分を愛する力』(講談社現代新書)の中で、「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの詩(「わたしと小鳥とすゞと」)の一節を引用していますが、これはまさにリベラル的なマインドですよね。

(構成:長山清子、撮影:今井康一)

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