多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

富山ネタがあまりに少ないのでちょっと過去記事を掲載してみる【五衛門】

2019-06-21 19:12:51 | 富山ネタ


今日はガチンコだ。


いつもは写真を眺めながらダラダラとニヤニヤ書いているだけだが、たまには書きたいことや書こうと思うテーマを定めて書くことがある。


えっ!


いつも何も考えないで、あんなにダラダラ長い文章を書いているのか?と思う人も少なからずいるみたいだけど、何も考えてないから駄文は続くよいつまでもGo!Go!ってな感じなわけだ。
なので、自分の場合、書きたいテーマが最初にあって、それを書いていく人を尊敬する。スゲーなと思う。
自分にはできないことだから。


さて。
蕎麦もそうだが、ラーメン店でもたまに激しくむせているというか、咳き込んでいる人を見かけることがある。
これは人類の生物学的な構造上のモンダイなのダガ、ネギが気道に入りそうになって咳き込む(つまり気道から出そうとする)状態だったりする。
日本人にはススリ込む文化が根付いているので、ぞぞぞぞぞーっと麺がジェットコースターのように滑り込んでいくと、シートベルトをしていない麺以外の固形物(多くの場合、ネギ)が気道へと振り切られる形になるわけだ。
オレくらいの麺類大魔王になると、なんつーか、食道がガバッと開いてすべてを吸い込むブラックホールのような状態になるわけだが、ここに至るまでは長い格闘の歴史が必要だ。かくいうオレも、ノーズホールからネギが飛び出したことはないではない。輪廻転生、再びネギが現世に蘇ったようなものダヨ。


しかし、賢明な読者はここで気付くはずだ!
そう、咀嚼というものがある。
咀嚼により消化酵素アミラーゼが分泌され、でんぶんを分解するのだ。栄養摂取にあたり、大切な活動なわけだ、咀嚼とは。


テメー!咀嚼しとらんのか!


す・スマヌ!
もすかすたら、、、はい。ほぼ丸のみデス。
それでいいんかーい(怒)


ハァハァ。
なにを書いているのかわからなくなってきた。。。


とにかくネギだ。
ちがった。気道に入ると困るという話だ。
まれに風邪気味とか体調不良だと(トシのせいかもしれないが)、激しくスプラッシュマウンテンのようになりそうで、ススリ込むことができないというか、静々と遠慮しがちにススリ込むことがある。麺を食ってる感じがしない。
うーむ。
歳を取っていくと、気道が細くなったりなんやらで、ガッツリ丸飲み状態は維持できなくなるようでもある。そりゃそーだろー。


と、考えていると、自分の人生の幕引きのタイミングは、ロードバイクに乗れなくなったときなのか、ラーメンを食べられなくなったときなのか、それが蕎麦なのか味噌汁なのか。
小便や大便ができなくても食えるうちは生きていくのか、糞尿まき散らしても食いたいうちは生きながらえていくのかなどと考えてしまうわけだ。
もしかしたら、食うだけなら食えるかもしれないが、果たしてそこに喜びが伴っているものなのか。くぅーーー。(遠い目)


透明なスープだ。
旨味は多いが甘味が少ないので個人的には口当たりがいい。
チャーシュー3枚は少しばかり多い。ネギはこのくらいあってもいい。
こういうバランスがいいなと思うことも、年齢とともに変化していく。こりゃ食えん、みたいな。


だからこそだ。
麺はこういうのがいいとか、スープはどうとか。
やれ美味しくないと感じているなら、誰でも美味しく感じられるものがいいダロとか、感じ方を変えろだとか個人やその周辺へと問題が押しやられて行く。
それでいいのか?
そもそものベースラインである丼ぶり自体が沈んでいるのではないか。ダイジョブか?麺類、食っていいのか?みたいな。


災害復興のニュースに出てくる子どもたちを見ていると、なんだか涙が出てくるぜ。
本当に申し訳ない世の中でスマンと。


むぅー。結局、テーマが何だったのか、よくわからないままに終わってしまう。
こんなもんだ。スマヌ。
テーマを決めて書くんじゃなかったんかーい!


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