(以下、産経新聞から転載)
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【外国人参政権 欧米の実相】(6)移民国家、米国の“理想郷”
2010.4.16 07:51
メリーランド州サマセット/発信元: ウォルター・ベアー元町長(左)とトム・カーターさん メリーランド州サマセット/発信元: ウォルター・ベアー元町長(左)とトム・カーターさん
首都ワシントンに隣接した住宅街の一角、メリーランド州サマセットが、在住の外国人に参政権を認めたのは1960年のことだった。
元町長のウォルター・ベアー氏(79)によると、ワシントンに隣接している土地柄から、サマセットには当時から外交官や、世界銀行、国際通貨基金(IMF)の職員として駐在する外国人が多かった。
「われわれは、そうした人々と雪かきをし、ゴミの回収をし、歩道の改修をしてきた。彼らを選挙に参加させないのは公正(フェア)じゃないと思えた」
理想主義的な決断だったが、今までさしたる問題は起きていない。ただ、それには特別な事情がある。
サマセットの人口は約1200人。さまざまな規制によって昔ながらの暮らしや家並みが保存されている。隣町との境界をまたいで高層マンションが建設されたときは、その部分を町から切り離す決断をしたほどだ。
また、高額な家賃が低所得者の流入を妨げる。「不法移民はここでは生活できないな」。同席した町職員のトム・カーター氏が冗談めかして言った。外国人参政権を議論する以前に、ここは有形無形の壁によって守られた場所なのだ。
メリーランドは、外国人参政権を認める市町村が点在する全米で唯一の州である。もっとも参政権は市町村レベルに限られ、州はおろか、郡(カウンティ)にも及ばない。
◇
移民の国であり、投票権と納税を結びつける考え方が強い米国では、建国から20年代ごろまで、最大40の州や準州(当時)で、国籍を持たない住民に、ときには国政レベルにまで参政権が認められていた。
だが19世紀末、東欧や南欧から移民の波が押し寄せ、都市化や工業化によって国のかたちが変わり始めるにつれ、外国人の投票を禁じる動きが始まった。都市に固まって住む新移民たちは容易に地域のボスによって組織され、民主主義のあり方を変えてしまう。1930年代には外国人参政権はすべて消滅した。
外国人参政権をめぐる論議が復活したのは、60年代を中心にした公民権運動の盛り上がりの影響を受けてのことだ。だから今、外国人参政権を提唱するのはほとんどがリベラルな立場の人々である。
◇
メリーランド州内で外国人参政権が復活したのも、そのリベラルな風土と関連がある。タコマパーク市(人口約1万7千人)も、リベラルを自任する町の一つである。
92年、タコマパークは住民投票の結果、外国人参政権の付与を決めた。タコマパークはサマセットとは違って、不法移民にまで参政権を与えている。「われわれは、(学生運動の発祥の地でもある)西のカリフォルニア州バークリーと並び、米国でもっともリベラルな町といわれている」。ブルース・ウィリアムズ市長(60)は誇らしげに語る。
不法移民が有権者登録を含む行政手続きのために市と接触しても、市は取り締まり当局にその情報を漏らすことはない。ウィリアムズ市長自身、「外国人参政権は、不法滞在者を含む外国人住民が日ごろ感じている社会的困難さに対する補償でもある」という。その論理は、先鋭的でさえある。
郊外へ足を延ばし、人口165人の村、バーンズビルを訪ねた。
ピーター・メンケ村長(68)によると、外国人参政権による問題はこれまで全く起きていない、という。当然だろう。2000年の国勢調査によると、住民の97%が白人で、外国籍の住民は、メンケ氏によると「1人だけ」だ。
乱開発を避けるため、さまざまな規制をつくり、静かな暮らしを守るバーンズビル。住民の多くは外出する際に鍵をかけない。前回村長選の争点は、村内の道路の速度規制だった。
「もしも世界が理想郷だったら」。外国人参政権を認める町や村を訪ねながら、そんな感慨をもった。外国人地方参政権は広い米国を見渡してもメリーランド州の一部だけでしか実現されていない。それどころか、移民問題をめぐって論争が続く米国では、外国人と選挙をめぐる思わぬ事態も起きている。(メリーランド州バーンズビル 松尾理也)
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【外国人参政権 欧米の実相】(6)移民国家、米国の“理想郷”
2010.4.16 07:51
メリーランド州サマセット/発信元: ウォルター・ベアー元町長(左)とトム・カーターさん メリーランド州サマセット/発信元: ウォルター・ベアー元町長(左)とトム・カーターさん
首都ワシントンに隣接した住宅街の一角、メリーランド州サマセットが、在住の外国人に参政権を認めたのは1960年のことだった。
元町長のウォルター・ベアー氏(79)によると、ワシントンに隣接している土地柄から、サマセットには当時から外交官や、世界銀行、国際通貨基金(IMF)の職員として駐在する外国人が多かった。
「われわれは、そうした人々と雪かきをし、ゴミの回収をし、歩道の改修をしてきた。彼らを選挙に参加させないのは公正(フェア)じゃないと思えた」
理想主義的な決断だったが、今までさしたる問題は起きていない。ただ、それには特別な事情がある。
サマセットの人口は約1200人。さまざまな規制によって昔ながらの暮らしや家並みが保存されている。隣町との境界をまたいで高層マンションが建設されたときは、その部分を町から切り離す決断をしたほどだ。
また、高額な家賃が低所得者の流入を妨げる。「不法移民はここでは生活できないな」。同席した町職員のトム・カーター氏が冗談めかして言った。外国人参政権を議論する以前に、ここは有形無形の壁によって守られた場所なのだ。
メリーランドは、外国人参政権を認める市町村が点在する全米で唯一の州である。もっとも参政権は市町村レベルに限られ、州はおろか、郡(カウンティ)にも及ばない。
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移民の国であり、投票権と納税を結びつける考え方が強い米国では、建国から20年代ごろまで、最大40の州や準州(当時)で、国籍を持たない住民に、ときには国政レベルにまで参政権が認められていた。
だが19世紀末、東欧や南欧から移民の波が押し寄せ、都市化や工業化によって国のかたちが変わり始めるにつれ、外国人の投票を禁じる動きが始まった。都市に固まって住む新移民たちは容易に地域のボスによって組織され、民主主義のあり方を変えてしまう。1930年代には外国人参政権はすべて消滅した。
外国人参政権をめぐる論議が復活したのは、60年代を中心にした公民権運動の盛り上がりの影響を受けてのことだ。だから今、外国人参政権を提唱するのはほとんどがリベラルな立場の人々である。
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メリーランド州内で外国人参政権が復活したのも、そのリベラルな風土と関連がある。タコマパーク市(人口約1万7千人)も、リベラルを自任する町の一つである。
92年、タコマパークは住民投票の結果、外国人参政権の付与を決めた。タコマパークはサマセットとは違って、不法移民にまで参政権を与えている。「われわれは、(学生運動の発祥の地でもある)西のカリフォルニア州バークリーと並び、米国でもっともリベラルな町といわれている」。ブルース・ウィリアムズ市長(60)は誇らしげに語る。
不法移民が有権者登録を含む行政手続きのために市と接触しても、市は取り締まり当局にその情報を漏らすことはない。ウィリアムズ市長自身、「外国人参政権は、不法滞在者を含む外国人住民が日ごろ感じている社会的困難さに対する補償でもある」という。その論理は、先鋭的でさえある。
郊外へ足を延ばし、人口165人の村、バーンズビルを訪ねた。
ピーター・メンケ村長(68)によると、外国人参政権による問題はこれまで全く起きていない、という。当然だろう。2000年の国勢調査によると、住民の97%が白人で、外国籍の住民は、メンケ氏によると「1人だけ」だ。
乱開発を避けるため、さまざまな規制をつくり、静かな暮らしを守るバーンズビル。住民の多くは外出する際に鍵をかけない。前回村長選の争点は、村内の道路の速度規制だった。
「もしも世界が理想郷だったら」。外国人参政権を認める町や村を訪ねながら、そんな感慨をもった。外国人地方参政権は広い米国を見渡してもメリーランド州の一部だけでしか実現されていない。それどころか、移民問題をめぐって論争が続く米国では、外国人と選挙をめぐる思わぬ事態も起きている。(メリーランド州バーンズビル 松尾理也)