たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

歴史認識

2005-09-11 09:39:50 | 時事
週末,今週の「その時歴史が…」をみようとしたら別の歴史番組が録画されてました。なんでもひとつの歴史の事実を別の解釈をしよう…っていう試みで今回は平家の滅亡を「平家の奢り」という従来の解釈とは別に「平家は朝廷の介入から逃れるために緊急手段(窮鼠猫をかむ)しただけだ」という解釈。
おもしろい…というか,平家の話がおもしろいのではなくて,これって「歴史解釈なんっていくつでもあり得る」っていうメッセージですねぇ…。歴史認識を押し付けてくる某◯◯に対する当てつけなんでしょうか:-p。
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選挙運動

2005-09-10 21:56:34 | 日記
選挙運動最終日。21時半ちょっと前,荻窪の駅をおりたら民主党の人たちからビラを配られた。マニフェストとか…。

こんな時間に選挙運動していいんだっけ?…,とか思ったんですが,ビラ配って叫ぶくらいはいいんでしたっけ?。良くわからないので,とりあえずメモ書き。
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参照と影響

2005-09-10 16:19:08 | 所感
インターネットが発達し誰でもアクセスできるところに無名の人が書いたおもしろいコンテンツが無数に転がっている現在,実際にプロの制作者がそのコンテンツを無断で利用し騒ぎになるというケースが増えてます。だいたいにおいてそれは盗用した方がどう考えても悪いケースが(騒ぎになったものでは)多く,もしくはその盗用者があまりにも物事を軽く考えているか無知の場合が多いように思います。
なのでだいたいにおいてわたしは盗用する人を非難するのですが,ちょっと今回知ったケースについては疑問がわきました。
サイコドクターぶらり旅さんの9月1日のところに書かれている件です。サイコドクターさんのページはブログに移る前から良く読ませて頂いてます。ということで特に対決したいわけではないので誤解の無いよう(_o_)。
そのマンガとサイトの文章の件ですが,実際には出版者と話し合いが進んでいるとのことで,今更騒ぐような話ではないのかもしれませんが,このケースは知った人はこれをどうとらえたでしょうか?…ということがわたしの疑問です。盗用でしょうか?,引用でしょうか?,参照でしょうか?,それとも影響でしょうか?。
わたしは軽く読んで思ったのは「参照」か「影響」じゃないかと感じました。少なくとも盗用や引用にはならないと…。なぜなら「当サイトの文章が」と書いてますが,一文まるまるの使用はないし,それが出てくる順番も異なってます。なので使っているのは「表現」だと思います。まぁだいたいこういう表現の利用は考え方の利用は「参照」とするのが一番ノーマルで,参考文献としてそれを参照元を示すのが礼儀ですが,それを参照元に知らせる必要は無いでしょう。今回のケースは出版者が無断でやるのはいいけど,参照元を示しておけばなんの落ち度は無かったと思います。実際そういう方向で話が進んでいるようにも読めましたが…。
ただ今回は表現の利用があまりにも多いので,参照とするのが適当かな?と思いましたが,例えば部分的であったり,またその表現が一般に広く知られている時に,その参照元をいちいち示す必要があるのか?…という疑問があります。つまりすでに誰がいった…というよりも広くそういう考えがしられている場合です。
例えばわたしが「人間は本能が壊れているので」と各場合に常に岸田秀先生の名前を出すべきでしょうか?。「人間は自分の姿を確認することが出来ないので化粧をする」と書く場合に鷲田清一先生の名前を常に出すべきでしょうか?。「人間は都市に残った最後の自然」と書く場合は常に養老先生の名前を出すべきでしょうか?…。これらはたしかにまだそこまで一般化されてないので出すに越した事はありませんが,じゃぁ「生物は自分の遺伝子を残す方向で進化する」と書く場合に「ダーウィンがいうように」とか「ドーキンスによると」と書かないといけないか?…といわれると少々疑問です。もちろん自分の主張を強化したり,逆に「人がいってるのであってわたしは本当かどうか知りませんよ」と責任のがれをするために参考文献を示すことはありますが。
わたしがこういうことを書くのはわたしもいろんな本を読んだり,いろんなサイトを読んだりしていて知った考えを最初は参照する形で紹介していても自分の中でそれなりに消化し自分の考えになってしまったら,(必ずではありませんが)参照をせずに書いてしまうこともあるだろうと思うからです。まぁ人が見れるところに文章を書いている以上,その考えを他の人にうつしてしまうことはあるでしょう。それがミームを発信している…ってことです。盗用はよくありませんが,引用や参照はルールを守れば無断で行えるし,影響を受けた人が似たような表現を使うっていうのはそんなに悪いことなのかな?…と思います。
最後に念のために書きますが,今回のケースは参照とわたしは思うし本人には無断でいいけど,参照元を明記するのは礼儀かな…とは思います。ただもう少しその表現の利用が少なかったら単なる影響…ととったかも知れません。
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企業への増税は消費者に不利益をもたらさないか?

2005-09-09 13:09:00 | 時事
先日野党が主張している「国の無駄遣いを減らす」が本当にそんなに簡単にできるのだろうか?…という疑問を書いたのですが,今回はもう一つ…,「企業から税をとるので一般人への増税はしない」というお話。
こういう主張はやっぱり某野党(民主じゃないよ)が良く言います。「社会保障充実」と「増税はしません」を両立させる仕組みとして,大企業から税金を取ると…。
これは突き詰めれば人間は一人である…という事を利用した訴えです。日本はお金を使っている人は働いていようがいまいが税金を払ってます。なのでほとんどの人が個人レベルでの納税者だからその税金を増やさない代わりに別の「組織」が払うというと,一見自分の懐は痛まない気がします。でもほとんどの人は冷静にこうとも考えるのではないでしょうか?。「自分が働いている会社がつぶれたら困る」「会社からの給料が減ったら困る」と…。
実際法人への税金が増えれば実質の利益が少なくなるので,株主への配当が減るか社員の給料が抑えられるかもしれません。…というのもあるし,そもそも会社は黒字を出してないと税金を取れないので,現状でも経費調整をして大きな黒字は出さないようにしている気がします。控除範囲が決まっていて,経費が認められないサラリーマンより,企業の方が節税が自由なのは明らかです。
そんなことを考えると会社に雇用されている人間は,本当に企業から税金を取って大丈夫なのか?…とか,可能か?とか思う様に思います。またそういう被雇用者じゃなくて,中小企業を営んでいる人もそれはそれで企業への増税は嫌でしょうし,最近はフリーランスの人も法人登録をしている人も多いので,そういう人も嫌でしょう…。
…という風に考えると法人税増税をすなおに喜べる人…は誰なんだろう?…と思うわけです。サラリーマンだとすると,法人税の増税がサラリーマンの給与や雇用に影響しないようになにか別の仕掛け(法律)がいるんではないか?…とか思います。何だろうそれって?…って疑問しか浮かばないので,法人税増税で我々の生活って良くなるの?…とか思うわけです。ガソリン税とかでもわかりますが,結局税金って消費者が払うものですからね:-p。

こういう話ってとっくに経済や政治の専門家がやってそうな気がするんですが…,答えは何なんだろう?。
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サンタナ

2005-09-08 18:36:28 | 音楽・アート
今のところに引っ越してケーブルTVに加入したので,歴史ずきのわたしはヒストリーチャネルを見てたりするんですが,今週と来週は「音楽の世紀」というのやってます。今日はサンタナでした。
サンタナというと先々月ライブを見に行きましたが,その関連で,今月のギターマガジンにインタビューが載ってます。それを読んだんですが,いろいろ興味深かったというかおもしろかったです。
サンタナっていうと今や1000万枚も売れる様なアルバムを出すようなモンスター級のスターですが,その大成功がデビュー30年目で来たのが興味深いです。しかもそれが最初のヒットじゃなくて初期のアルバムも100万枚以上売れていて,その後もずっと活動をしてますが,少なくとも日本ではあまりそういうのが聞えてこず,ある意味初期のヒットのイメージが強いせいで「過去の人」的に捕らえている人が多かったと思います。それが30年目でグラミーを9冠もとる…っていうのが,どうも余りないケースでとても不思議というか…。
で,インタビューを読んでいて思ったのが,サンタナという人がやっぱり非常にジャズやブルースに対して敬意をもっているということ。で,ジャズからするとロックは別のジャンルで,ジャズに敬意を表してもジャズの方から別のものみたいに言われたとか…。もちろん,ジャズミュージシャンがそんな人ばかりじゃなくて,現実にサンタナはウェインショータと共演をたくさんしてるのですが,その件についてもウィントンマーサリスとかに非難された話とか,でもウェインがそれをフォローした話とか喋っていて,おもしろかったです。あと,売れたことにより周りに「売れ線を狙った」みたいに言われている…ってことを気にしてるのか,一応本人は「売れることを非難する人より自分の方が自由だ,自分はやりたいことをやってるだけだから」とか言うことを言っていたりとか…。それからヒストリーチャネルではサンタナは天才ギタリストと評されてましたが,インタビュー見ると本人はテクニカルな面での自信はあんまり無かったのだなぁ…とか思ったりも…。
サンタナって人はフラワームーブメントの頃にデビューしたせいもあって,当時のお約束であるLSDやドラッグ…,その後宗教への開眼…等,まぁそういうのを全部経由しての現在があるので,そういう意味での達観みたいのも感じられて興味深かったです。…っていうかウッドストックのステージってLSDをバリバリに決めた状態でやってたそうで…,ソリャー大変だったろうなぁと(^^;)…。
サンタナっていう人は,ラテンのリズムの上でブルースギターを弾くというラテンロックを最初にやった人で,売れ線だろうが何だろうが,ラテンでロックやってる人間がサンタナを批判する資格は無いとわたしは思ってます。本当に新しい音楽を作り出したイノベータであり,しかも現在大スター…,でもジャズ(特にコルトレーンに心酔してるようでした)とかにたいして物凄く敬意を払っている……,というのがなんか良く伝わっていい話聴いたなぁ…という感じで…。
「なんだわたしはサンタナ好きだったのか…」とか思いましたよ(^^;)。
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無駄遣い

2005-09-06 14:42:39 | 時事
政見放送とかみていて思ったこと…。
候補者の訴えとして「無駄遣いをなくします」という党が結構あります(主に野党)。これはつまり今の国の財政の建て直しや,福祉の充実をするときに財源が必要で,ですけど増税を詠うわけにいかないので(詠ってるところありますが),国の無駄遣いをなくすことで賄おうとするわけです。
これは一見いいことのように思うかも知れませんが,あまりいきなりやられると大変なことになると思います。というのは国の無駄遣いですが,たしかに無駄な部分があるかとは思いますが,それはそれでも使ってるわけで…,使ってるってことはそのお金で食べてる人達がいるってことです。つまり例えば国が10億円の無駄遣いを止めれば10億円のマーケットが失われるわけです。それをいきなりやるとたぶんつぶれる会社や失業する人が出ます。まぁ濡れ手に泡で大量の金を得ている人もいるんでしょうが,ほとんどの人は普通の生活をしている人達じゃないでしょうか?。
もちろん,その無駄遣いを止めたお金を福祉とかに使えば今度はその福祉に関わる人が収入を得るわけで,つまり産業構造を変える…という意味で無駄遣いを止めて福祉を充実する…っていうのは意味があるでしょう。しかし昨日まで土建業をやっていた人や接待とかで使われる飲食業をやっていた人が明日から急に介護師をやれと言われても無理でしょう。そういうことには非常に時間がかかるのです。
それからそういう産業構造を変えるっていうのはいいのですが,国債の返済にお金を当てるというのは純粋に市場に出回るお金が減るってことで,つまりそれで食べてる人っていうのは,国以外のお金を当てにしなければなりません。つまり国の支出を抑えて国の借金を減らすというのは経済の活性化…という意味ではどうなんだろう?…と。昨日たまたまかNTTの政府所有株の最終売却が済んだようですが,こういう風に国がもっている株の売却で国債の返済をした方がいい策のように感じないでもありません。…ってことはやっぱり郵政を民営化して優良株式会社にして…っていうのはいい策に思えてくるわけで,なんかこの時期のNTT株売却のニュースもタイミング良すぎて,裏でつながってないか?とか思ったりも:-p。
まぁ理想は国民への増税ではなく,産業を活性化し法人税がたくさん入ってくるような状況にすることなんでしょうけど,各党の公約がそれに対してどういう効果があるのか?…という点ではあまり見えてこない気がします。
というのが政見放送を見ていて思ったことです。つまり「無駄遣いを無くします」っていうだけじゃ,それがいいことなのか悪いことなのか全然見えてこない…っていうお話でした。
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日本の向かうべき方向

2005-09-04 07:28:51 | 時事
朝TVで各党の討論を観ていたら野党の人(たぶん共産党の人)が北方領土問題で「サンフランシスコ条約受諾は間違い」と言ってるのを聞いてビックラ扱いてしまいました。ってことは,GHQの占領状態からやり直せ?…って事なんですか?。いくらなんでもそりゃ無理でしょう。
ところでアメリカのハリケーン「カトリーヌ」後のニューオリンズの状況が深刻になってます。特に食料を求めて略奪などを行っている市民たち。聞いた話なのでうかつなことを言ってるかもしれませんが,裕福な人たちはとっくに非難していて残っているのは貧しい人たち,そのせいか非難している市民として映っているのは特に有色人種の人が多いように見受けられました。
これはあまり我々が知らないアメリカの側面を見せられている気がします。つまり貧富の差が激しくて貧しい人たちがかなりギリギリの状態で暮しているという事。国家もその貧民層についてあまり真剣に保護しようとしないような構図…。
さて日本に話を戻します。今の選挙の争点で言うと,自民党や民主党が目指そうとしている方向は「小さい政府」で「市場原理優先」の姿勢です。経済活動を活発にするために規制を減らす。いわばアメリカ型の社会です。もちろん社会保障を辞めるとは誰も言いません。しかし国の収入が少なくなればそういう部分が縮小される可能性はあるでしょう。
そういう意味で言うと現在日本が目指しているアメリカ型の社会というのがそんなに良いものなのかどうか疑問は残ります。ですが,現在はマスコミも含めてそういう自由経済,成功者優遇の方向を支持している気がします。正直言うと若干バランスが良くないとも思います。もちろん逆の方向というと社会主義,共産主義になりこれらの国家形態はソ連の崩壊により経済的発展が望めない…という結論を得たようにも見えます。ただだからといって完全な自由競争が本当にいいのか?,というと疑問もあります。
そういう意味で言うと社民党が言っている,「小泉政権になって貧富の差が増えた」という主張はあながち的外れではないのです。ただどうも社民党が言ってるせいか:-p,今一つ訴える力が弱い…。その辺もちょっとなぁ…と思います。
というわけで,別に社会主義がいい…と言うつもりはないのですが,自由経済をなんのコントロールをせずにやっていくとどうなるか?を良くわかってないと,資本主義の上での社会保障の重要性を忘れてしまう気がします。
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選挙運動

2005-09-03 08:43:35 | 時事
選挙が始まり毎朝駅前を通ると,どこかしらの候補の事務所の方が(もちろん本人がいる場合も多い)立っていて,ビラを配ってます。朝はみんな急いでいるせいかほとんどの人がビラを受け取ってくれません。ビラ配りのバイトしたことある身としてはあれ辛いんですよね…。単にビラ受け取るくらいしてくれればいいじゃない…とか思ったりするんですが…。
とはいえ選挙期間中の選挙運動…「うっとうしい」と言う方もたくさんいらっしゃいます。ビラを配っているのもそうですが,拡声器で大きな声で叫んでいるのも鬱陶しいといえば鬱陶しい。駅前ならまだしも住宅地の中へ車で入ってきて叫ぶのもうるさい…という人もたくさんいます。
というか,わたしのまわりにはそういう意見の人が多いです。ネットでやり取りする人も職場で会う人も……。
だいたい通常の選挙運動を鬱陶しいと思う人は,選挙自体に興味がないか,既に投票する候補を選んでいるか,もしくは「政策で決めないと意味無いでしょ?」と思っている人。街頭演説で名前を連呼しても政策がわかるわけもないわけで,そういう人にとっては街頭で握手をしたり名前を連呼するのはなんの意味もないわけです。
でもTVで街頭や街角でやる一般の人へのインタビューを見ると,そうでも無い有権者もいるような気がします。「誰々議員を応援するか?」とか「しない」とかの理由で「人柄」とか「やり方」とかで文句をいう人…,つまり今回でいうと「刺客を送るやり方が」とか言っている人もいます。そういう人は政策ではなくもっと漠然とした印象で票を入れるのでしょうか?。まぁ感想と実際の投票は違うのかもしれませんけど…。
実際年金制度とかに関しては何が正解なのかは多分誰もわかりません。政策の正解がわからないなら印象で入れるというのも民主主義かも知れません。選挙によって自分の境遇が大きく変わる人,今回で言えば例えば郵政公社関係者とか…そういう人はそりゃ誰にいれるか重要でしょう…。でもそうでも無い人が政策の正解がない場合どういう基準で選ぶか…。少なくとも選挙演説で声を張り上げ道行く人に握手して回る…ってことで,共感を得るような有権者がいる限り,こういう選挙運動のやり方はなくならないのだろうなぁ…とは思います。
まぁでもわたしもTVじゃなくて生で顔を見てみたい…くらいは思いますからね:-p。
とか思っていたら帰り,駅前でTVに良く出る有名候補が演説していたら人だかりが出来てました…。やっぱり朝より夕方の方がちゃんと聞いてくれるようですね。
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資本主義

2005-09-02 10:15:58 | 社会
資本主義の本質の話,おもしろい話だと思う。でも消費の全部が企業のコントロールにあるわけでもないし,全部が消費者の欲求の賜物というわけでもないでしょう。あまり悲観する必要もないし,胸を張るのもちょっと恥ずかしと思います。
丁度たまたまですが,今,茂木健一郎氏の「脳と創造性」という本を読んでいるのですが,丁度今日読んだところに,資本主義が安全装置になっている…という事が書かれてました。ここでの文脈は資本主義の社会ではどんなにアナーキーな活動をしても結局は資本主義の枠組みに組み込まれてしまう。ロックやヒッピーやワイヤーヘッドの先駆者達が巨大な富を得てる…という例を挙げてそんな話をしてました。そしてそれはネガティブな話ではなく,最終的に資本主義の土台に吸収されるという安心感があるからこそ,思いっ切りやれるのではないか?…というどちらかというと比較的ポジティブな話です。もとはというと,人は安心できる領域がないとそこから逸脱する行為(創造)はあまり出来ないのではないか?,という流れから来てます。まぁこの本に書かれている話はそのうち書くと思いますので,あまり掘り下げません。
…まぁでもやっぱり元のリンクの文章を読んで思うのは,別にカルチャーとか個人とかが資本主義とそんなに反目するって話でもないよなぁ…ということです。なので資本主義のルールに個人の行動が組み込まれてしまったからと言ってそんなに悲観する話なのだろうか?…と思うわけです。いや…,そういう言動ってむしろ自分達が資本主義に護られているから,安心して反発できる…っていう甘えも感じなくもないです。別に資本主義に組み込まれたからって言ってそこで,個人の選択が無くなるわけではありません。確かに自分の行動の裏でお金儲けしている人はいるでしょうけど…。
話を自販機の話に戻すと…,日本人がお茶を好きなのは,企業のコントロール外でしょう。日本人が砂糖水にやられなかったのは,わたしに言わせると,日本人が白米を大量に食べるため甘くない糖類に慣れているからだと思ってます。ただしお茶を自販機で大量に売れてるのは,売れるレベルに企業がしたからでしょう。物事にはいろんな側面があるし,どういう理屈で動いていても,人にいい効果を作り出すものも多いとは思います。
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化粧

2005-09-01 08:27:09 | ココロ
ネットを巡回していて見つけた文章…。
化粧をしない女性の話
歳をとってくると,男性の前…というか例えばどこかの集まりにでも化粧をせずに出てくる女性っていうのはそれなりにいて,化粧をするしないはその人次第だろう…というくらいに思ってたりしましたが,どうもそうでもない様子。特に女姓自身が化粧をしない(出来ない)ことであるグルーピングをされてしまうというのは興味深いというか…。まぁ確かに女性って価値観でグルーピングされるというか似た者同士が集まるというか…。男性の場合趣味が違いすぎても,そこはそこでお互い踏み込まない領域で…ってことで一緒にいたりしますので。
それにしても化粧をするのが当たり前…っていう風になってるんですかね。わたしは理系だったせいか,化粧をしない女子大学生などたくさん見てきましたし,まぁ逆に化粧が濃い人にあまり慣れていない気はします。でも薄化粧で綺麗にまとめる人もそれなりにいるので,わたしが化粧をほとんどしてない…と思っていても実はしっかりしてたりする…っていうのは多いのかも知れません。…というかつまりわたし自身は女性が化粧をしてるかしてないか…は,あまり気にしてないというか。あっ,だけど化粧が濃い人見ると「素っぴんになったら全然違う顔なのかな?…」とかとは思うことも(^^;)…。
全体の大きな傾向として気になるのは,同ページにリンクが張られている男も女も見られる性になっているという指摘の方…。このことはわたしが8/27に書いた「容姿」の話を連想してしまったので,今回取り上げたのですが,わたしは人間の内面は外見(容姿)に出ると思っているので,外見が良いことは悪いことではない…と思ってます。でも,内面が変わることなく外見だけを問題にされるのもちょっと違う。良い容姿というのは立ち振舞いや表情から出ると思っているので,歳をとっていい男(女)になる人は化粧や手入れをしているかどうか…という問題でもないのです。要するに「わたしゃ化粧しろなんって言ってないよ」というエクスキューズなんですが(笑)。
まぁもちろん自分の姿に対するこだわりとかと自分の周囲の人への配慮とかいろんなバランスがあって,「化粧をするのが礼儀だ」という文化であれば,それはそうなのかも知れませんが,わたしの感覚であればそれは結構トラディショナルな話じゃないと。というか西洋人の女性とか結構素っぴんの人っているけどなぁ…,特に知識人とか…。更に余談ですが,中央線沿いはさばけている女性が多いので素っぴんの人って多い気がしますが,特に中年女性…。でそういう人ってそれなりに綺麗だったりするんですけどね。
………話がまとまりませんが,ちょっとわたしが想像しにくいのは,わたし自身は不精髭を生やしていて,髪も整髪料をいっさいつけてない,結婚式や何かの授賞式の時でもほとんど変わりません。髭はちょっとだけ剃るときもありますが…。で,その事で何か疎外感や非難を感じることはほとんどないのですが,職種に依ってはしっかり頭を固めている人もいるので,それが一般に許されることなのかは知りません。ただわたしにはそんなにそういうプレッシャーはないのです。あとシーンに合わせて正装をしたり身だしなみを整えたり…っていうのは,最近はむしろ好きになってたりしますが,まぁいろいろお金とか暇とかの部分もありほとんど出来てないです(^^;)…。紋付き袴とか着たいんですけどねぇ(笑)。
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