たろの日記ページ,gooブログ版

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豊かな時代のカタルシス

2005-01-05 11:45:57 | ココロ
ハリーさんのところで最近の子供の成長欲求の話がが書かれています。
わたしは子供がいるわけじゃないので,実際に子供を教育する立場の人とはどうしても考え方が違うだろうと思うので,特にハリーさんの意見にどうこう…というのはあまりありません。それに書かれている内容自身は結構ごもっとも…だとは思うのですが,なんとなくその更にリンクのところもそうですが,文調が「豊かになった今の子供は工夫、想像が足りない」というのが,どうも「今の子供は怠けている」という風に取れちゃうのが気になります。
僕はむしろ逆で今の子供は「生きてるだけじゃ,カタルシスをえられない」という(これも傲慢な言い方ですが)かわいそうな問題に直面しているように感じてます。なぜかというと人間は生命活動が出来ればいいというものではないし,もし仮に本人がそう思っていていも,「他の同性と競って魅力的な異性をゲットしなければいけない」という課題はどんなに世の中が豊かになろうがついて回る問題だからです。
そこまで即物的にならなくても,だいたいにおいて人間は「異性」と「アイデンティティ」は得たいものですし,更にそれを得るためにはカタルシスが有効だからです。
最近若い女性達が同世代の男性を「子供っぽい」と魅力を感じていない…という記事を読みましたが,(その女性も子供っぽいんだろうけど)ある意味当然で,何かクリアすべき問題に直面したことがなく,更に乗り越えていなければ,子供っぽく見えるものです。
…でも,じゃぁ若者は何を目指せば大人になれるのか?…。それがわかりにくいので大変だろうなぁ…と思うのです。昔の貧しい時代は「食べられること」で十分カタルシスを得られました。もっとひどい環境では「生きてるだけで感謝」というのもあるくらいです。そして戦後でいうと「豊かになる」事でカタルシスをえられたしバブルの頃になると「浪費すること」でカタルシスを得ようとしてたように思います。
でも,今は浪費することにはあまりカタルシスは得られません。まぁ物欲でいろいろ買いまくっている人もいるかとは思うんですけど…。そして贅沢を言わなければ,喰っていける時代になりました。そこにはカタルシスはありません。
現在の若者でボランティアに熱中する人がそれなりにいるのは,そこにアイデンティティを持とうとしているからです。その事自体は現在の若者が産み出した答えであり物語であり,それなりにいいことの様に思うけど…。

というわけで,結局はハリーさんと同じように成長するように成長欲求を感じるように…って事に落ち着くんですが,決して彼らも恵まれてるわけでも怠けてるわけでもないんだろうな…と思います。
コメント
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