

今回は毛色を変えて読書感想文みたいなのを(笑)
以前にもインターネット図書館の青空文庫の話をした事がありますが、これまで鉄道絡みの小説はいくつか読んだ事がありますが模型についての随筆が取り上げられるとは思いませんでした。
相馬御風の「実物と模型」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000959/card51380.html
一読して、これまで自分の頭の中でうまく纏めきれていなかった「実物通りに似せる事が模型の本質たり得るか」という点についてすっきりした形で語っている事に感銘しました。
「(魂のない)模型は実物に似れば似るほど実物から離れた見る者に不快感を与える怪物になってゆく」との論旨(私なりの解釈ですが)にはまさにわが意を得たりの思いがしますが「魂のない事が模型の本質である」というのには一抹の寂しさも覚えました。
むしろここは「実物を似せるにしてもそこに作り手の感性が反映されるからこその模型ではないか」と捉えたいところです。
そうなると「模型は芸術たり得るか」という別の問題になってしまいますが…
しかしながら、これは感心すると同時に最近の私のモデルに対する捉え方にも反省を求めるものでした。
このところ、新製品が出る毎に「このモデルはこんな所まで表現している」「ここまで細かく作りこんでいる」という事を模型を評価するものさしとして必要以上に大きく考えていたのではないかという反省です。
あるいはその正反対にディテール不足の旧製品に対してその素朴さのみを唯一の取り柄であるかのように捉えてしまうことも同じ次元の評価といえるでしょう。
最近ブログやSNSでのモデルの評価を見るにつけ「凄いモデル」である事「実物同様の細密さ」である事を評価基準としたものがあまりに多すぎる気がします(これはもちろん最近の私のブログについてもいえますが)
魂のこもっていない(形だけの)「模型」と見た目は稚拙でも作り手の思いが伝わる「玩具」ではどちらが見る者の心を打つでしょうか。

本来ならばモデル・模型に対してはそれが自作品にしろ製品にしろその作品(製品)に込められた作り手の感性が自分の印象にどれだけ近づいているかこそを模型の評価の基準とすべきだと思います。
それゆえに(たとえそれが自己満足の為であったとしても)自分自身の基準となりうる審美眼を普段から磨いたうえでモデルに接する姿勢こそが大事なのではないでしょうか。
そろそろ自分の感性を拠り所にしたモデルの見方、捉え方、評価というものを私も含めたそれぞれが磨くべき時期に来ているのかもしれません。
少なくとも「趣味の対象たる模型」についてはそうではないかと思えます。
何度か読み返すうちにそんなことをふと考えました。

(写真は本文とは関係ありません)

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