光山鉄道管理局・アーカイブス

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趣味の原点を振り返る55 メルクリンミニクラブに嫉妬した頃(汗)

2018-11-13 05:47:21 | 趣味の原点をふり返る

この趣味を始めた頃の話ですが、あの当時メーカーのカタログ以上に役に立ったのは模型とラジオの別冊、工作ガイドブック(75年度版)でした(写真は翌年に買った77年度版です)
前にも書きましたが、この本は鉄道模型のみならずプラモや電子工作、RCやUコン、果ては参考文献に至るまで模型系のホビーを網羅した総合カタログでして、巻頭には通販の注文書までついてくるという親切設計(笑)

ですからそのゴージャス感たるや半端なものではなかったものです。

が、今回の主題はそこではありません。

鉄道模型についてはHO(16番)、N、ライブスチームも掲載されていましたが、そこで一際異彩を放っていたのがメルクリンミニクラブ。
つまりZゲージだった訳です。

この当時はNに参入していたのは関水金属とトミーの2社だけ(GMは存在していましたが春先の出版である工作ガイドブックには間に合いませんでした。また、学研が新幹線を投入するのはこの年の秋頃です)その2社ですら合わせても機関車が6種類、客車が20系とオハ31系のみ電車は103系だけという状態。

ましてや線路システムは「とりあえず線路もありますよ」といった程度のラインナップ、日本風の建物などは夢のまた夢という状況だった訳です。


(科学教材社「工作ガイドブック77年版」473~475Pより画像引用)
それが本書に取り上げられたミニクラブのラインアップときたら、蒸気、電気、ディーゼル取り混ぜた機関車だけでも7、8種。客車も少なくとも3、4編成が組める位揃えていましたし、貨車に至ってはこの時点で「操重車や日本形のシキに相当する大物車までラインナップされていた」のです。

しかもそのラインアップには実に隙がない。蒸気は小型タンク機を筆頭に亜幹線テンダー機、幹線級の大型機が揃い、客車も古典二軸からローカル客車が2種類にTEE級の特急車までそろっています。このラインナップのセレクトが非常にツボを押さえた物であった事は一目でわかりました。おそらくミニクラブの当時のラインナップなら当時の西ドイツの鉄道風景の7割がたが最低限のラインナップで再現できたのではないかと思います。
当時のNゲージにスハ43系や35系がなかったり、DE10やC58と言ったあらゆるレイアウトに必要な機種がなかったことを考えるとこれはすごい事です。


(同上、476~477Pより引用)
車両でさえそうなのですから線路に至っては通常型に加えてカーブポイントまでありましたし、建物類は「駅舎だけで都会風と田舎風の2種類」あったうえに機関庫や信号所は言うに及ばず一般建物も住宅とビルの2種類が出ていました。

(同上 480~481Pより引用)
特に巧みさを感じるのがその住宅類で、2階建ての家は平屋にも変更可能。ビルの屋上上屋も外して単独の家に使えるという優れものでした。
しかもこの時点で建物用の照明ユニットはもとより街灯までもが複数ラインナップされていたのです。

さらにレイアウト工作を容易にするプレイマットも用意され、基本セットから大レイアウトまでのステップアップも非常に容易(ただしお金があればw)なシステム性を誇りました。

この時点ですらメルクリンのZゲージはそのラインナップやシステム性から言って、当時の日本型のNゲージの二歩も三歩も先をいっていたのです。

後にこのコンセプトに倣ったと思われるTOMIXが登場する訳ですが、そのTOMIXですら75年当時のミニクラブ並みの水準になるまで20年近くかかったと思います。
(カーブポイントが登場するまでという基準ですが)

それを見ていましたから、私にとってはZゲージというのはNの後発というイメージはごく薄く、むしろ当時のNゲージが目指すべき目標と映りました。

翻って、ここ10年ほどの間に登場している日本型のZゲージですがミニクラブに比べてまだまだ感が非常に大きいと感じます。やっている事がどれもこれも現行のNゲージの後追いばかり。優れたお手本があったのに、何故ミニクラブからもっと学ばなかったのか不思議でなりません。


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