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今回の話は少し私見が多い内容になりそうなので面倒くさい話が嫌いな向きは読み流して頂けると良いかもしれません。

以前に「玩具と鉄道模型」という題材で思いついたままを書きなぐった事があるのですが(汗)
「鉄道模型は玩具ではない」という言葉には同時に「鉄道模型こそが大人の趣味である」という主張の裏返しでもあります。
時には細密性とリアリティ、時には欧米での普及度(とはいえ、かの国でも子供の鉄道模型ユーザーも結構多かったりするのですが)を例に持ち出し、時には有名人の誰誰が鉄道模型をやっていると豪語する。
こうした傾向は今に始まった事ではなく実は16番趣味の黎明期であった昭和20年代からずっと繰り返されている事だった事が当時の専門誌や入門書などで書かれていたりします。
50年以上経過した現在ですらこういう論調を時たまネットなんかで目にしますから「鉄道模型は大人のホビー」という言葉自体が何やら一種の伝統芸能と化しているような錯覚すら覚えます(笑)
これは鉄道模型に限らずミニカーとか漫画とかアニメ・特撮なんかでも共通の傾向ですが、ホビーとしての勃興期というのはおしなべて「大人として認めてもらうがゆえの権威づけのプロセス」という時期を経てゆくものの様です。
その過程で様々な理論武装とかアピールとかが活発になされ、様々な成果を積み重ねてゆく事で成長しいつしか大人の仲間入りをするわけです。
そういえば、40年ほど前に当時としては珍しかったとあるラジオアニメ番組のDJが「アニメ主題歌にもせめて映画音楽並みの地位を」なんてのもあったのを思い出しましたし、ミニカー趣味の入門書で「チャーチル元英国首相がミニカーのコレクターだった」なんてのを読んだ記憶もあります。
面白い事に私が興味を持つこれらの趣味は大概そうした勃興期や成長期に当たっていることが多く、その過程を目の当たりにするという幸運にも恵まれてきたと思います。
ただ、そういうジャンルの場合実際にそれが認知されてしまうと一転して「それ自体が新しい権威になってしまう事が多い」そしてそうなった時というのは「絶頂期を過ぎて衰退の相に入ってしまう」事も多い物です。
現にかつては若者文化のメインストリームだった筈のスポーツカーとかバイク、オーディオなんかがそうやって衰退してしまいました(この辺、異論はあると思いますが)

まあ、それはさておき
ここ数十年の鉄道模型の歴史とは、一面で鉄道模型の趣味自体が「大人になりたかった過程」の歴史でもあるともいえます。
それは裏を返せば「鉄道模型なんて幼稚」という思考への嫌悪や反発でもある訳です。
まあ趣味の本質というのは「世間の憂さを一時忘れて童心に還る」事にもある訳ですから、ある程度子供じみるのは本来当たり前なことなわけで、これは鉄道模型でなくとも言える事です。
それを言い出せば例えば野球やサッカーだって元々は玉ころがしの一種ですし、ガーデニングやアウトドアだって砂場の泥んこ遊びの進化形に過ぎません。
そうだからと言ってサッカーやアウトドアに魅力がないのかというとまずそんな事はない。いや、むしろそれだからこそ魅力的とも言えるのです。

ですが鉄道模型とかミニカーとかはどういう訳か「幼稚」と呼ばれる事に必要以上に過敏になる傾向があるのはどういう事なのでしょうか。
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確かに鉄道模型は玩具よりも高価で、精密で、リアルではありましょう。
取り扱いや工作でも子供の手に負えないような所もあるでしょう。
でもそれだけでしょうか?
それだけで大人の趣味と言えるのでしょうか?
趣味の世界で大人と幼稚の区分けはどこでつくものなのでしょうか。
ここから純粋な私見となるのでそのつもりで読んで頂きたいのですが、少なくともそれが知識の量や技術の優劣や、ましてやキャリアの長短でつくような単純なものではない事は確かだと思います。
こんな事を考え続け(暇ですなあ)最近になってようやく気付いたのですが、趣味の世界において「大人」と「幼稚」を分ける物は「見識」と「センス」ではないかと思う様になっています。
このふたつは知識の詰め込みや技術の練磨だけでは磨けない(とはいえ知識や技量が不十分でも困るのですが)それらに加えて五感と五体を駆使して積み重ねた「経験値」も必要でしょうし、それはただ漫然と年齢を重ねるだけでも身に付かない。
見た目の上では子供と同じものを見て、同じものを作って、同じ様に走らせていたとしても内面に感じるものは違う。それを支えるのが見識であり、センスでありそれを持ち続ける事が「大人の趣味」の要件のひとつではないかと思えるのです。そしてそれはどちらも「歳を重ねても磨き続ける事ができる」ものでもあります。
(その意味で言うなら「趣味人」というのは永遠に成長する事を宿命づけられた存在であり「永遠の子供である事を自覚した存在」であるとも言えます。だからこそ趣味人ほどボケにくいという事は言えそうですが。これは余談)

それゆえに、それらを根底で支えるのは「鉄道模型を好きでい続ける事」であり、それができるか否かにかかってくると思います。
それは少なくとも現代の「趣味の世界」で最も大事な事であると同時に難しい事かもしれません。
ですが見識なしにキャリアや知識だけ詰め込んで行っても、その先にあるのは趣味の世界に権威を持ちこみたがる様な窮屈で詰まらないスノッブ(あるいはマニアック)の世界に陥ってしまうのではないでしょうか。
かつては一世を風靡したオーディオやバイク、スポーツカーなどが現在当時の勢いを失ってしまっている理由の一つとしてそうした罠に陥ってしまった事があったと私は見ています。
要するに見識もセンスもないまま齢だけ重ねてしまったマニアが手前勝手な権威にすがって目下の者を馬鹿にするばかりで後進を育てる発想を基から持たなかった事が新たなファン層の発掘を妨げ、結果先細りを自ら招いてしまったという事です。
そしてそういうマニアに作る側や売る側までもが迎合した結果、一見さんにはどこが楽しいのかさっぱり分からない不思議なアイテムばかりが増え、市場までも先細りさせてしまったというのが現状でしょう。

実際最近のNゲージ鉄道模型もそうした罠にはまりかけていると思えるのですが、ファンサイドとしてもビギナーを馬鹿にし、素人呼ばわりする事が趣味人としての大人の態度とは私には到底思えないのです。
(逆に若年ユーザーが年寄りを老害扱いする言質も一部に見られますがこんなのは若いうちには必ずだれでも一度は口にする言葉で、20年もほっとけば逆に自分が言われる側に回る事がわからないからそう言っているのが大半なので、ある程度仕方ない事だと思います。言う側も20年後に後悔すればいいだけの話ですから。
むしろそういうのが居てくれるうちはまだ大丈夫という気になりますが)
でもキャリアが長ければ無条件で偉いのですか?
腕がよくないとやってはいけない趣味ですか?
もっと言うなら、16番のブラスモデルを1両20万円出してポンと買える事が「大人の趣味」の証しなのですか?
なによりそうなっていないと「大人」と認められないのですか?
なんだかこんな事を書き殴っているうちに内容がだんだん自戒めいてきました。
そもそも、その「見識」とやらがどういう物なのか私自身まだよくわかっていないのですから尻すぼみです。
結局結論はなかなか出ないものですね(汗)
(写真は本題とは関係ありません)