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光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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テツドウモケイにおける「三つ子の魂」と「世代の違い」に思うこと

2016-03-15 05:18:28 | 思いつくままに・考察
 昨年の春頃でしたか、幼少期に読んでいた本がその後の私のモデルの購入歴に大きな影響を与えていたのではないかと言う意味のはなしを書いた事があります。


 その時のバイブルに相当するのが「日本型Nゲージの50年と思い出から」でよく取り上げている昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」ですがその時の記事の要旨を再録すると

 ~これらに共通しているのは実車に殆ど馴染みがなくこのハンドブックにしか載っていない様な(少なくとも当時のキシャの絵本なんかでは見かけない)車両ばかりである事でしょうか。
 この本ではあおぞら号や151系の様な華やかな編成はごく少ないのですが、恐らくは「短編成でまとまるので工作の手間が掛からない」「同じ理由で運転用途にも好適」と言った基準でこれらの車両がセレクトされていたものと思われます。
 してみるとメジャー級の特急車両とかが少ないのも納得しますし絵本や図鑑とは異なるポリシーであるのも当然と言えば言えます。

 それが絵本代わりに読んでいた当時の幼児の心の底に刷り込まれた揚句、50年近く経ってからの鉄道模型の購買行動に無意識に影響を与えてしまった。
 振り返って見るとそうとしか思えません(笑)

 考えようによっては全く恐ろしい事ではあります~
 (昨年4月30日の当ブログより)
 この感想は書いてから1年経った今でもあまり変わっていません。それどころかあれから車種の追加まであったりしますから怖い。

 それは置いておいて、

 私の場合生まれた時~小学生の頃にかけての時期「テツドウモケイ」と言えば、まず16番のモデルの事を指していました(まあ、中には「人を乗せて走るライブスチーム」なんてのもあったりはするのですが)
 ですから鉄道模型の憧れとはほとんど「16番かHOの車両を走らせてレイアウトを作りたい」というものだった訳です。
 何しろこの時期Oゲージは全滅状態に近く、Nゲージはまだ海の物とも山の物ともしれませんでした。

 してみると私などは「16番が鉄道模型の主流だった時期を知っているぎりぎり最後の世代」と言えるかもしれません。田舎とは言え、「大人の客も出入りするちょっと大きな模型店」には必ずと言っていいほどカツミや宮沢辺りの16番機関車や電車の編成が飾られていましたし「模型とラジオ」「模型と工作」なんかの製作記事も100パーセント16番でした。

 私の場合たまたまNゲージの勃興期と鉄道模型を趣味として始めた時期が一致した事でNから入った形になりましたが、数年前から少しづつ16番やHOのモデルが増え始めているのもそうした三つ子の魂の影響かもしれません。これもある意味恐いですね(汗)

 さて、鉄道模型の様にサイズやスケールの規格化されたフォーマット単位で趣味を楽しむという方向性の強いモデルはどうしても既存の規格に縛られがちです。
 そして大概の場合「自分の子供の頃に主流だった規格」を持って優劣が語られる事が多いようです。

 いま、この趣味のメインストリームを担う世代の半数以上は生まれた時に既にNゲージがあってそれを当たり前として育った世代と思います。
 ですから「テツドウモケイ」のサイズとしてのNゲージのサイズや必然性には大した疑問は持っていない気もします。

 ですが、それと同じ事は(私も含めた)それより上の世代にとっての16番やHOゲージについても言えるでしょうし、それより更に上、戦前からの鉄道模型ファンだとOゲージか1番ゲージ(原鉄道模型博物館で走り回っているモデルがこのスケールです。そう言えば創設者の原信太郎氏は確か大正期からの筋金入りの鉄道模型マニアと聞いています)が普通だったと思います。

 あるいはアメリカンドリーム華やかりし頃の1940年代後半~50年代に少年時代を送った世代のアメリカ人にとってはライオネルやアメリカンフライヤーなんかのOゲージモデルのサイズこそが当たり前の存在かもしれません。

 モデルとしての本質的な部分ではなく「子供の頃からそうだった」のを「だから自分のやっているフォーマットが優れている」と錯覚して解釈してしまう傾向は、ある意味で「一種の世代論」であり、鉄道模型のスケールがどうこうとかゲージとスケールの違いとかとは異質な話ではあるのですが、それでいて趣味としての鉄道模型の本質を考える上では重要な要素ではないかと思います。

 すると私たちの子供の世代にはどうなっている事やら(汗)
(写真は本題とは関係ありません)