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光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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Nゲージ50周年と思い出から、ペーパーのキハ60と製品版のキハ55のはなし

2015-11-28 05:36:50 | 車両・気動車
 日本型Nゲージ50年に当たってこの間入手した雑誌から。

 先日古本屋で発掘した「模型と工作」の昭和40年5月号。
 「模型とラジオ」は私や弟がよく読んでいたのでそれなりに本誌に馴染みがあるのですが本誌の方はあまり馴染みがありませんでした。
 と言うのも本誌の休刊が昭和40年代前半でそれまでこれを読んでいたのが機関士をやっていた親類だったというのが大きかったと思います。

 (別冊の方は長い事残っていたのでそれなりに馴染みがありますが)

 そんな訳で結構新鮮な気持ちで本誌を読む事も出来る訳です。
 前置きが長くなりましたが、本誌の目玉は恐らくこの雑誌では初めてと思われる「9ミリゲージの車両工作」です。

 時期的に関水金属がNに参入する直前くらいのタイミングであり読者の注目度は高かったと思います。
 何しろこの時点では台車ひとつ製品化されていませんから凄い話です。

 この記事を執筆されたのは16番のペーパー工作記事で私の中に強い印象を残す西村正平氏。
 題材は「キハ60とキロ62」と言う所が面白いです。
 この車両、一見するとキハ55そっくりなのですが中身はDD13用の大出力エンジンを設計変更して搭載させたパワーアップ版で当時の特急電車並みの高速性能を目論んだものだそうです。
 (外見上は外吊りドアを採用していましたがこれは後に普通のタイプに改造され、ますますキハ55に似てしまったそうです)

 技法は氏が得意としたペーパー16番のそれに準拠したものですが窓周りのクリーンさが肝となるこの車両は初のN工作の題材としても好適だった事と思います。

 注目点のひとつとしてスケールの設定では当初から150分の1になっている事。欧州製モデルが既に160分の1で販売されている時点でのこのスケール設定は、まだ出ていない国産のモデル(関水と考えるのが妥当でしょうが)が150分の1でリリースするという情報があった事が決め手となったようです。

 とはいえ、作者にとってもはじめてのN工作はかなりてこずらされた様で「小さい、車体の製作すらおぼつかない気がしたが」とか「同じ0.5ミリの狂いでも16番に比べると影響が大きい」とか、更には窓抜きのケガキ直後には「2,3日はテレビも見れずクルマの運転も出来なかったほど」とまで書いてあったりします。

 とはいえ窓抜きに専用の簡易ノミを作って望むなどしてNの車両工作そのものの新鮮さに可能性を模索している姿勢は伺えます。

 面白いのは記事中で9ミリゲージの事を便宜上「Q」と呼んでいる事。
 当時はTMSでも「Nゲージ」と言う呼称を使っておらず新しいフォーマットに対してどういうスタンスを取るべきかユーザー側も迷っていた事が伺われます。

 日本型Nゲージの50周年というタイミングでTMS以外の雑誌の記事を眼にする事ができたというのも(わたし的には)何か因縁を感じます。

 そっくりさんつながりでこの機会に触れておきますがNゲージの完成品でキハ55系が出たのは昭和56年か57年頃だったと記憶しています。
 当初はエーダイナインとして出る筈だったのが同社の倒産とそれに伴う学研ブランドへの吸収を経てリリースされたという複雑な経緯を持つモデルでもあります。

 他に競合メーカーがなかったのでコレクターを中心に一時期かなりプレミアが付いていた様ですが21世紀に入りTOMIXがHG仕様に準拠した決定版とも言えるモデルを出した事で存在意義が薄れてしまいました。
 私も2両ほど持っていますがいずれもTOMIX登場以降の入手で非常に安価に入手できたものです。


 学研時代はアイボリーに赤帯の準急塗装が希少性から非常に持て囃されたそうですがTOMIXで出た同仕様はあまり人気がなかったのか一時期故郷や現住地の模型屋で国鉄色のキハ55が無いのに準急色ばかりが売れ残っているという珍現象が見られました。

 それにしてもこの製作記事はボディができたところで「未完」となっています。
 この後どうなったか気になるところではあります。