高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

中学のクラス会

2007年07月15日 06時31分36秒 | 友人

7_024 台風にも、メゲズに元気の良いのが集まった。中学の時の同級生であるが、今でも年に3回くらい集まって飲んでいる連中だ。写真を取っている私と、電車の時間の関係で先に帰った二人を入れると10人だ。

卒業して40年近く経つのに、会ったとたんに時間をワープ。中学時代に戻れるのもこの種の集まりの特徴だ。今回参加しているヤツは全員、学生時代から、あまり変わっていない。同窓会などをすると、たまに「こんな先生居ったかな?」と思わせるほど変貌しているヤツがいるが、この連中は進歩がない!と言うか?ほとんど変わっていない。

7_016幹事の「畑田」が、マメに世話をしてくれる。大抵、お酒を飲めないヤツが幹事をしているのが不思議である。懐かしい名古屋弁が飛び交う、名古屋弁では友達の事を「ツレ」と言う。久しぶりに聞いた言葉だ。一緒にいる、連なっている、7_017ということから「連れ」と言うのだろう。外では台風がもう直ぐ来るという中、話は尽きない。

一番最後に、幹事の畑田がお金を集める時「女の子は3000円、男の子は3500円」と言っていたが、もう、みんな50を越えたオッサン、オバサンな7_018のに気分の上では中学生になりきっていたのが印象的であった。

7_019こいつも中学の時は痩せて小さかったが、卒業後大きくなって、2メートル近くもあるのではと思えるほど大きくなりやがった。家業の衣料品店を継いでいるのだが、縫製をしている同級生に「SM の衣装は作れないんか?」と聞いていた。私のブログの話をしたら「明日の朝見るから、ちゃんとアップしろよ!」と言っていたが、本当に見ているのだろうか?

また来年、みんなと会いたいね。ありがとう。

竹工房オンセ

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市松人形

2007年07月15日 06時16分46秒 | 職人仲間

さすがに、名古屋松坂屋と言えども、大型台風到来を目前に控え、お客様も買い物気分ではないのだろう。少ないお客様の分、私の隣の売り場のあるお人形の小島さんとゆっくり話すことが出来た。

7_010 市松人形とは可愛い女の子の人形の代名詞のようになっているが、実は江戸時代の歌舞伎役者の「なんとか市松」と言う女形の人の模写人形だったそうだ。江戸時代や昔の市松人形の裾をめくってみると、小さなチンチンがちゃんと付いており、顔も眼光鋭くもっときつい顔をしていたそうだ。それが時代と共に忘れられ知らないうちに「女形」の女性の部分だけが受け継がれ、優しくなり、可愛い女の子の人形に変わっていったそうだ。現代の市松人形は裾をめくってもチンチンは付いていない。

7_015小さくても高価な物、大きくても安価な物などいろいろあるが、竹のバッグと同じで手をかけて作った作品はどうしても高くなってしまうが人形が好きな人には堪らないものがあるのだろう。

顔も型で作った物と、木を削りだして作った物では表情が違う。着ている物も生地によっても違うし、良い物はちゃんと着せ替えできるように小さいながら着物の様式をちゃんと作られている。髪の毛も化学繊維のものと人毛では当然違うのが、当たり前である。

7_014今日、私がとても気を引かれたのはこの人形だ。手彫りで削りだされた顔、着物には久留米絣を使い、人形士小島さんが顔を書き入れた物だ。何とも言えない味わいがある。

7_012_1

人形士「小島さん」、この人ほど、売り場に朝から晩まで座り続けている人は珍しい。営業時間に一度食事に行くだけで、後はずーと座っている。トイレにも行かない。尿瓶でも持ち込んでいるのだろうか?

人形作りはふつう分業化されているのだが、この人は顔作りに10年、着付けに8年、髪作りは家業として小さいときから親父の仕事を見てきたそうだ。一人ですべてこなすことが出来る数少ない職人だ。どの分野でも、分業されたまま、高齢化した今では、誰かが一人いなくなっただけでも製作できなくなってしまう。

貴重な伝統技術の伝承者である。また、来年もお人形さんのように座り続ける小島さんを見たい物だ。

竹工房オンセ

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