高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

生まれ育った所

2007年07月16日 08時50分21秒 | ブログ

台風一過、からっと晴れた朝歩き日和だ。今日はホテルから北西に進んで行くことにした。まず、北に進むと名古屋城がある。お城を右手に眺めながら、城西町、浄心町、と進んで行く、この地域は学生時代、松坂屋のお中元を自転車いっぱい積んで配達のアルバイトをしていた地域だ。暑さで、配達途中に鼻血を出したり、汗びっしょりになってフラフラの時、お客さんから冷たいお水を一杯貰ったことなどを思い出す。今回の名古屋での街歩きは何故か?学生時代のアルバイトの事がよく出てくる。30年も40年経っても思い出すことは、楽しかったことより、汗を流して労働したことのほうが鮮明に覚えている。学校で勉強したことは一つも覚えていないのに!人間を教育するのは「労働」ではないだろうか?今、長男が通っている高校でも「労務」という授業があり、その学校の理念にも「労働」を伴った人格形成を大切にしている。

20070716055915 暫く進んでいくと、自分の育った学区に入っていった。「児玉公園」。私が育った家から300メートルほどの所にあった公園である。私が始めて自転車に乗った所だ。小学校1年生の頃、近所の炭屋の息子が子供用自転車に乗っていた。羨ましくて羨ましくて、しかし、まだ、誰もが自転車など買って貰える時代ではなかった。家にあった、おじいしゃんの自転車を借りて、「三角乗り」サドルまで足が届かないのでフレームの間から足を出して、ちょんちょんと漕ぎながら初めて自転車に乗った時の感動は今でも忘れない。風を切って、空を飛んでいるかのような感覚であった。もっと、広い広い所と思っていたが、45年経って来て見たらこんなに狭い所だったのだ。

2007071606075420070716060917先日のクラス会の連中で通った中学校。40年も経つと学校の外観も周りの風景もまったく変わってしまった。1年生の時に通った校舎だけが辛うじて残っていた。

なんと小学校と幼稚園は昔あった場所に行ってみたのだが跡形もなく違う建物が建っていた。いったい何処に行ったのだろう?10年一昔と言うが、もう40年経っているのだ。変わって当たり前か。

20070716062007先日、クラス会で会った西尾の店「えんぎや」の前を通って、ちょっと行くと風俗のビルがあった。「ここが西尾の店にSMのコスチュームを頼んだのか?」と勝手に決め込んで歩いてきた。   昔あった、商店街は跡形もなく消え去って、都市高速が空中を走り、新しい町に変貌しつつある。少し寂しいような、ほろズッパイ思い出である。

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コメント (1)
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