ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

4度目

2013-12-10 21:17:00 | 時事(海外)
将軍様の国のナンバー2が失脚したらしい…。

実際、らしい…というのは昨日までで、今日はその映像まで発信された。
あの国では粛清や失脚は毎度のことではある。ただ、今回のように失脚
の映像まで流すのは、おそらく始めてではないだろうか。

北の国に関心のある者にとってはある意味、貴重なお宝映像である。

それにしても失脚した張成沢は、これまで幾度となく失脚と復活を果たし
ている。ああ見えても、若いころはイケ面で遊び人だったことは、様々な
ところで知られている。それゆえ、2代目将軍様の妹に求愛されるも、初
代将軍様にその交際を反対され、一時、地方に転学させられる。

これが彼の人生最初の失脚である。しかし、当時、まだ大学生だったため、
ささやかな左遷みたいなものだったと思われる。しかし、あきらめきれない
妹は、兄である2代目将軍様に取り入ってもらうことで、めでたく結婚にこ
ぎつける。

その後、彼は将軍ファミリーとなったことで、一気に出世するも、女遊び
が過ぎ夫婦の危機に陥る。それを見かねた2代目将軍様が、妹かわいさに、
地方の製鉄所に追いやったのが、人生2度目の失脚となる。

数年後、すっかり反省した彼は、2代目将軍様に呼び戻され、彼の側近とし
て復活する。しかし、今から10年くらい前、彼の周辺に人が集まりだし、そ
そのような活動に危機を感じた将軍様は、再び冷遇し、数年間消息不明と
なった。これが彼の3度目の失脚である。

そして、再び復活したのが2006~2007年くらいだったか。それからまもなく
して2代目が亡くなり、3代目の後見人となった。これですっかり安泰かと思
われた矢先の4度目の失脚である。

しかも今回は、あのような映像まで流され、大々的に失脚した模様で、こう
なるともう、復活はないように思える。

何を考えているのか良くわからない3代目は、果たして自身で下した判断な
のか、それとも、周囲に吹き込まれたのか、その辺は良くわからないけれど
もしかすると、叔父である後見人が疎ましくなった可能性もある。

「ちょっとした油断が命取りになる…」これはあの国で生きていく人の鉄則
だと多くの人が語っている。そしてこれは庶民も幹部も同じだ。

やはりあの国では、「出る杭は打たれる」のだ。

普通ならもう亡くなっていてもおかしくはないはずだが、叔父だけに、それ
だけは免れた可能性はある。

おそらく最後に会った日本人は、アントニオ猪木だろう…。

きっと彼も複雑な心境に違いない…。


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後姿

2013-12-08 21:06:05 | つぶやき
今日は朝からお客さんとちょっとしたもめ事があった。
長年のお客さんだったのだが、そのお客さんの要求にどうしても
納得できず、きっぱり拒否したところ、最後には「ムッ」とした
顔をして帰って行ってしまった。

「無理してでも、してあげるべきだったのか…」それとも「今後の
ことを考えるとこれで良かったのか…」

そんなことで悶々としていると、久しぶりにサラリーマン時代の先輩
がやってきた。先輩は私より3つ年上だが若い。気も若いが見かけも
若く、髪型は茶髪でなんとなく嵐の松潤みたいだった。4人の子持ちだ
が休日にはサーフィン三昧で、先日は、とある大会で優勝したのだとか
…。しかも、この2年で先輩は劇的に変わっていた。

なんでも地域のPTA会長や様々な役員をやっていて、地区の小学校や中
学校の入学式や卒業式の式典で挨拶したり、児童障害者のボランティア
も積極的やっているそうである。

「お世話した子供から手紙なんかをもらうと、うれしんだよね…」
「式典のあいさつも、この容姿で出ていくと、保護者からざわざわと
ざわめきが起こったりするんだけど、おもしろいよ…」

かつての先輩とはすっかり別人のようだった。
どこかで頭を強くぶつけたとか、病気で輸血し過ぎて血液型が変わった
のかと本気で思ったほどだ。

「これからは、ちょっと人の為に生きようと思って…」

人間、変われば変わるものである。

先輩もすでに脱サラして、一人でホームページの制作などをてがけている。
時間も自由が利くのだろう。

「世のため人のため…」

帰る先輩の後ろ姿がちょっと大きく見えた。


まずは、近所のごみ拾いから始めようかな…。

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忘れたい…?

2013-12-06 20:58:31 | つぶやき
歌謡祭などの歌番組が増えると、それだけで年末を感じさせてくれる
ものである。

先日、数年ぶりに「FNS歌謡祭」を2時間程度観た。昔別れた小室哲哉と
華原朋美の共演が話題だったそうだが、あいにくその場面は観れなかっ
た。もっとも、そんなことにまったく興味はなかったが…。

それはそうとあの歌謡祭の一番の見所は、おそらく番組終了真近の谷村
新司と壇密のコラボデュエットではなかったか?
所詮、素人なので結して上手いとは想像してなかったが、それにしても
酷かった。いや、あれは、酷過ぎた…。
もしかすると、放送事故に近かったのではないか?

曲がりなりにも「歌謡祭」である。ましてや谷村新司との共演で音痴で
笑いを取るのも無理がある。一体、何が狙いだったのだろう…。どう考
えてもリハーサルの時点で誰かが止めてもよかったはずだ。

もしかすると一番、落ち込んでいるのは、壇密自身かもしれない。
これで2度と歌番組には出れないだろう。

「忘れていいの~」

歌のタイトル通り、忘れたいのは本人だったに違いない…。


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フリピン紀行(その3)

2013-12-04 20:34:38 | 旅行(海外)
フィリピンといえば、アジアではタイやマレーシアに次ぐ、
ロングステイやリアイヤ後の生活の場のしても知られている。

行く前にその辺のこともちょっとだけ調べてみた。

すると、なんと35歳以上で特別居住退職者ビザというのが取れ
るという。普通は50歳とか55歳というのが一般的である。
35歳で退職者なんて言えば、通常「リストラ」とか「失業」と
いうように理解されるのが普通だと思うのだが、この国では立派
な早期退職者と扱われるらしい…。

これだけでも随分、寛容な国である。

このビザの特徴は、非移民のステイタスでありながらフィリピン
の永住権が取得できるというものである。つまり日本国籍を有し
つつフィリピンで永住ができるというものである。良く知られて
いるタイの常に延長が条件のリタイアメントビザとはこの辺が大
きく異なっている。

さて、その条件だが35歳から49歳までは75000米ドル(およそ750万円)
50歳以上だと50000ドル(およそ500万円)をフィリピン政府が指定
する現地の銀行に定期預金をすることが条件である。

まぁ、当然、お金目的ではある。

しかし、預け入れる最低期間の6ヵ月を超せば、コンドミニアムや株
などの投資に使用することも許可されるので、この辺は金額は安い
けれど、縛りの期間が長いタイよりも融通が利いている。

つまり50歳未満でも750万円さえあれば、とりあえずフィリピンの永
住権は取れるわけである。あとはどう、暮らしていくかである。うま
く持家でも貸して、月に10万でも不労所得があれば、楽に暮らしてい
けるだろう。また年金生活者で月に僅かしか貰えない者でもこの国な
ら、まだ日本よりは人間らしい生活ができるかもしれない。しかも
栄養価の高いバナナなら超激安だ。

また老後、他人に迷惑をかけずにひっそり…という方にもフィリピン
はお薦めだ。たとえばメイドならひと月6000円程度、介護士でも2万円
程度で専属雇用が可能らしい。近年、タイやマレーシアでは人件費が
急騰し、もう、この程度の金額では到底無理である。今のミャンマー
なら可能だが、このような長期ビザはない。

その点フィリピンならまだまだ低価格で可能だ。しかも英語でなら言
葉も通じる。この程度の額なら、寝たきりになっても安心かもしれない。
ただし、金銭管理だけは自分でできなければ、すぐにすっからかんに
なると思われる。つまりボケたら終わりだ。数日後には路上生活者に
なるのがオチである。

まぁ、リスクはあるが老後を日本以外で…と考えている方なら、ひと
つの選択肢としてはありだろうと思う。

それにしても、35歳以上でのリタイヤ生活、実際に30代でこのビザを
取得し現地生活してる人などいるのだろうか?
ちょっと気になるけれど、こんなことばかり考えていると、どんどん
仕事したくなくなるので辞めよ。

明日から、また、働くぞ!

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フィリピン紀行(その2)

2013-12-03 20:58:47 | 旅行(海外)
マニラでは朝食を食べると、毎日、数時間は街に出かけた。

3歳児を連れての街歩きは、なかなか大変だ。車は多いし空気は悪い。
割と涼しい時期だったとはいっても、それなりに日中は暑いし通りを
渡るだけでも子供がいると気が気でない。

これまで香港、マカオにウラジオストック、ハバロフスクと場数だけ
は踏んできたが、マニラはちょっと厄介過ぎた。その最たるものが排
気ガスだった。古い車やバスも未だ現役で15年くらい前のバンコクが
ちょうどこんな感じだったか。

それでもイントラムロス(スペイン時代の古い町並み)やチャイナタ
ウン、市場やマラカニアン宮殿などにもせっせと出かけた。市内を走る
高架鉄道は渋滞知らずでありがたい反面、料金も安いせいか常に混んで
いる。

一度は夜出かけた帰り、タクシーが捕まらず途中まで列車を使うことに
なったのだが、その時の混雑がまるで山手線の通勤ラッシュ並だった。
乗車率200%の車内にリュックと子供を抱えて乗る羽目に。しかも方向を
間違え、途中で戻ることになった。時間は夜9時を過ぎ、さすがにマニラ
でもこんな時間に幼児を抱えてこのような電車に乗る人はおらず、「
なんだこの外人!」という視線ながらも、親切に席を譲ってもらえたのは
ありがたかった。またうちの子供もこのような圧縮ストレスを笑ってやり
過ごしてくれたのでなんとも助かった。

しかし、こういうバカ親にあちこち連れまわされる子供はたまったもの
ではないだろう。幼児の時なんて「旅行はストレス」以外の何ものでも
ないはずだ。しかも海外となるとそこに「苦痛」も伴う。気持の良い場所
ならまだしも、特に楽しい場所でもないし暑いし臭いし、人は多いしでは
「期間限定のソフトな虐待」に近いかもしれない。

しかし「子は親を選べない」のである。まぁ、これも運命だと思って耐え
ていただきたい。

それでも結局、夜遅かったのはこの日1日だけで、あとは9時には寝かせた。
他にはプールなどでご機嫌を取ったつもりだったが、帰国日に「フィリピ
ンどうだった?」と聞くと、「嫌い」とひとこと返ってきた。そういえば、
ロシアの時も同じ反応だったな。

いつかデイズニーランドに連れて行ってあげるその日まで、あと2~3回は
訳のわからないところに付き合っていただきたい。

とは言うものの、日本から一番近い東南アジアがフィリピンである。4時間
で着いてしまう。イメージは悪いが、物価はタイと同じか少し高い程度で
治安も言われているほど悪くない。英語は通じるし人は柔らかいのでアジア
好きにはもってこいの国である。

来年3月には名古屋からマニラへLCCが飛ぶことになったらしい。
名古屋から片道5000円でフィリピンへ行ける日も近い。

子連れ旅に「フィリピン」個人的には、ぜひ、お勧めしたい。


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フィリピン紀行(その1)

2013-12-02 21:43:07 | 旅行(海外)
帰国いたしました。

20年ぶりのフィリピン、マニラ。街は随分、きれいになったような
気がしたが、相変わらず人口過密と慢性的な渋滞、排気ガスによる
大気汚染は凄まじいものがあった。ただタクシーにメーターが付いて
各段に利用しやすくなったのと街の治安も随分、良くなっていて、
以前よりずっと滞在しやすくなっているなと思った。

ただタクシーに乗れば、必ず「ドアをロックしてくれ!」と言われ
るのと、交差点に止まればストリートチルドレンやモノ売りが車を
めがけてやってくるところは、他の東南アジアはあまり見られない
光景ではある。

かつて大歓楽街だったエミルタもすっかり一層されて…とのことだっ
たが、エルミタの南側には当時の面影を残す一角が未だ顕在だったの
がいかにもフィリピンらしい。また、通りを一つ入るとガラッと雰囲
気が変わって貧困の現実を目の当たりするのも今や東南アジアの大都
市ではマニラならではかもしれない。そういう意味では、20年前とあ
まり変わっていないとも言える。

それにしても、マニラ行きの便は往路も復路もフィリピン人を除けば
見事に日本人オヤジのオンパレードだった。もう少しセブやボラカイ
に乗り継ぐ女性の観光客や家族連れもいるかと思いきやほぼ皆無だった。
先月の台風の影響もあったかもしれないが、それにしても、これほど
までにそのお国柄を表している路線もめずらしい。

まったく、イメージが悪いわけである。

またマニラに関して言えば台風の影響は全くなかった。現地の人は少
なからず日本の自衛隊の活動を知っていて、アメリカと日本は良くや
ってくれていると言われた。

ちょうど雨期の終わりで乾期に入る直前のマニラは思ったより涼しく
快適だった。

せめてあと1週間は居たかったな…。

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