ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

名作

2012-09-12 22:43:31 | 
今日は朝から大阪へ。

道中、「マレー蘭印紀行」金子光晴著を読んだ。最初に読んだのは、もう15年以上前
だから本当に久しぶりだ。旅の本としては古典的名作である。

金子光晴は昭和3年、妻の森美千代と一緒に長崎から上海に向かう船に乗った。
それが4年に及ぶ旅の始まりだった。旅のきっかけは、当時、妻である美千代には
別の男がおり、彼はその男から妻を引き離すために、妻をパリに誘うのだ。
その旅の最初の中継地が上海だった。しかし、彼には金がなく、様々なところで
借金を重ね、怪しげな画を描いては売り旅を続けるのである。

そのあたりは、「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」などの作品に描かれていた
と思われる。

その後、2人は上海からシンガポールへ向かう。そこから彼は妻をパリ行きの船に
乗せるのだが、先に一人で行かせたのは、一人分しか金がなかったからである。
そして、ひとりシンガポールに残った彼は、なぜか、マレー半島の旅に出る。
本来なら、妻を追う為に、早々、金策に走るのが普通だと思うのだが、そこらへんが
良く分からない。またこの旅行記は、その行程を時系列で追っているわけではないの
でさらにわかりにくく感じる。
また、その後、パリに向かった妻のことは、ほとんど出てこないし、金の話も出て
こない。

今の時代とは、随分、違うにせよ、当時にしても、この人は結構、滅茶苦茶な人だった
がバイタリティーだけは、凄かったと思われる。

また、戦争中も兵役を逃れるために、息子をわざと病気に近い状態にして兵役逃れを
やったとか…。

まぁ、魅力的な人でもある。

昔は、こういう反骨精神の強い人って、たくさんいたんだろうなー。

CENTER>



コメント

イチジクとアレルギー

2012-09-10 21:33:37 | つぶやき
今ごろ夏バテか、それとも風邪か少々、疲労気味だ。
もしかすると、昨日のせいかもしれない。

昨日、帰宅すると、うちの奥さんが体をかきながら「イチジクを食べたら全身が
痒くて、もしかするとアレルギーかもしれないから、病院に行って来る…」
と、入れ違いで、近所の緊急外来へ車で出かけて行った。

しばらくすると、病院の担当医から電話があり、「今、ちょっと様子を見ており
ますが、もしかすると時期に酷くなり、ここでは手が負えなくなるかもしれない
ので、その時は、他の病院を紹介しますのでご主人も来て下さい…」との連絡が
あった。「そんなに酷いのか…」と、少々、びっくりしたが、様子を見るにして
も20~30分はかかるだろうと、とりあえず入浴することにした。

すると間もなくして、「やっぱり、悪化してるようなので、今からすぐにタクシー
で病院に来て下さい。本人が車の運転をするのは危険ですから…」と再び病院から
連絡が。全身、泡だらけである。それに聞けば、新たな病院は、一度うちに戻るよ
うな位置にある。今からすぐに身支度をしてタクシーを拾って、再び家の近くまで
戻るなんて時間的にロスではないのか?と思い、奥さんに電話すると、依然、全身
が痒くて仕方ないが、運転は充分可能だと言う。とのことで、自ら運転して家まで
戻ってきて、それから一緒に病院へ向かった。

不思議と顔は何ともないのに、それ以外は、全身やけどのような感じに様変わりし
ており、その時、初めて「これはただごとではないと思った…」
後に知ったのだが、食物アレルギーは症状が体外に出ている間は、まだ良いらしく、
それが悪化し続けていき、呼吸器官などの体内に出てしまうと、相当、危険なのだ
とか…。車の運転も、そういう意味で危険だったらしい…。

結局、ステロイドを点滴することで、嘘のように症状は治まり、たいしたことなく
病院を後にした。帰宅したのは、夜11時半近くになった。

そこにタイミング良く一本の電話が…。

「一番最初に来ていただいた、病院の者ですが…、実は、緊急だったのでお支払い
をしてなかったんです。それで、夜分に申し訳ないのですが、今からすぐにお支払
に来ていただけますか…?」とのこと。

「明日ではダメですか」と聞くと、「明日はお休みなんです」「では、明後日は…」
「経理上、ちょっと…」というので、仕方なく、支払いに出向いた。

帰宅すると日付けが変わっていた。

出張から帰って来たばかりだが、こういう慌しい事が重なると、再び、脱出したくなる。

まぁ、風邪薬でも飲んで寝ます。

では、おやすみなさい…。


CENTER>

コメント

ガリガリ君コーンポタージュ

2012-09-09 21:24:49 | 時事(国内)
話題のアイスバー、「ガリガリ君コーンポタージュ」が、あまりの人気に
製造が追いつかず、しばらく販売を休止したのだとか…。

そういえば、近くのコンビニにもなかったな。

日本人って発想が豊かというかなんというか、お菓子ひとつにしても本当に
バリエーションが豊富だ。それにおいしい。
なので外国へ行き、菓子類(特にスナック菓子)なんかを買うと、大方不味く
感じる。もっとも最近は買ったことがないが、アジアの大都市なら結構、日本
ブランドのモノも置いてあったりするので、失敗したくないなら日系を選んだ
ほうがマシだ。

そいういえば、タイでの日本人みやげに、大変人気のあったプリッツの「ラープ味」
がこの8月末にようやく復活販売した。タイのグリコの工場はバンコク北部にあり、
昨年の洪水の影響によりながらく生産がストップしていた。
それ以降は、日本や上海で生産したポッキーやプリッツを輸入して販売していたそ
うだが、この「ラープ味」はタイ限定であったため、長らく店頭に並ぶことはなかっ
たのだ。

確かひと箱13バーツ(およそ26円ほど)。4~5年前は9バーツだったのを覚えているが
どんどん値上がりし現在の値段になった。ちなみに免税店でもセットで売られている。

まぁ、どうでもいい話である。

それにしても、一応、ガリガリ君ファンなので、一度は「コーンポタージュ」味
食べてみたいな…。

CENTER>
コメント

至福の時

2012-09-07 17:30:20 | つぶやき
最近、酒が強くなったと感じる。いや、こう書くと語弊があるかもしれない。
以前は缶ビールの小1本で目が回り、限界を感じたが今や2本までなんとか
飲めるようになった。というよりも、飲んでも気分が悪くなくなったと言った
ほうがいいかもしれない。

今回も中国やタイでよく飲んだ。青島にハルピン、パイナップルビールなんて
いうのもあったな。これは激マズだったが…。それに、シンハにチャンにLEO
にタイガービール、そしてフィリピンのサンミゲルも飲んでみた。

中でも一番おいしく感じたのは、断トツで中国のハルピンビールだった。
味覚がおかしいのだろうか?

しかしやっぱりビールの味はともかく、タイで飲むビールはおいしい。
仕事を終えると、路上の屋台でもち米と鳥や豚の焼いたものと、和え物のお
惣菜を買って近くにある屋台の汁そば屋に持ち込み夕食を取るのが日課だ。
今回からはそれにビールも加わった。屋台のおじさんは氷の入れたコップを
出してくれる。ここで道行く人を見ながら飲むビールと夕食は至福の時間で
ある。

先日、食事も終えかけたとき、小さな2人の男の子を連れた母親がやって来
た。母親は椅子に子供を座らせ、屋台のおじさんに何かを告げると一人でど
こかへ行ってしまった。

子供は別段、心配するそぶりもみせなかったが、屋台のおじさんが2人の
汁そばを作り終えると、子供の前に座って小さな器に麺を取ってあげたり、
フォークのもち方を教えたりとあれこれ世話を焼き始めた。

しばらくするとお客さんがやってきたので、おじさんが席を立つと今度は
バイクタクシーの運転手らが子供の世話を焼き始めた。ちょうどそのそば
屋の屋台の目の前が、バイタクのたまり場だったのだ。

タイ人は、人と人の垣根が低く、躊躇なく他人と接することができる人
なのかもしれない。

昨今のタイは経済成長著しいが、こんな大都市のバンコクの中心街でも、
まだまだ「昭和の日本」が残っているんだなーとしみじみ思った。

ちょうど日本発の機内で未だ見てなかった「三丁目の夕日」を見た後だっ
たので、オーバーラップして見えたのかもしれないけれど…。

タイが理想的な社会だとは、到底、思えないが、生き易さや暮らしやすさ
と言った観点から見れば、今の日本よりは遥かにマシだと思えてならない。

CENTER>
コメント

VS小姐

2012-09-06 17:08:15 | つぶやき
帰国いたしました。

日本は9月に入って、もう少し秋めいているかと思いきやまだまだ夏で
がっかりである。少なくとも、ここ数日のバンコクの気候は、名古屋
よりずっと涼しかった。日本は近年、夏場に限って言えばすでに「温帯」
ではなく「亜熱帯」と言ってもいいような気候になっている気がする…。

まぁ、それでもなんとなく秋の気配はしているが…。

1年前から度々、中国の華南に行くようになった。当初から周囲の雰囲気
が気に入っているのと、フロントの中国人が皆英語を話し、珍しく結構、
フレンドリーだったので、以来ずっと同じ宿に宿泊している。

しかし、今回、愛想の良い面々の多くはいなくなっており、しかめっ面の
無愛想な人らに様変わりしていて驚いた。しかも、チェックアウト時に見
に覚えのない電話料金を請求され、「知らない!」と拒否するとリストを
見せられ「これがあなたが部屋から掛けた電話番号と時間です」と言われた。
それを見ると、昨夜11時台に2度どこかに掛けている、となっている。
もちろん、電話番号にも見覚えもないし、そんな時間に起きてすらいなかっ
た。しかし、それを証明する術がない。とは言っても、掛けてないものは
掛けていないわけで、妥協する訳にもいかない。それでも相手は、「払え!」
の一点張りだ。

時間は早朝5時半である。今日は朝の便でタイへ向かうことになっている。
最初は寝ぼけ眼だったが、だんだん目の前の小娘にむかっ腹が立ってきて
すっかり目が冴えてしまった。

「何かの間違いだ!もう一度、確認してくれ!」と言い続けること20分、
さらに、こ奴がひと言「あなた、一昨日、石鹸の置き皿を壊したでしょ!」

「…」

「俺が石鹸の置き皿を壊した…???」「何で…」「これって難癖か…?」

しかし、同時に「ブチっ!」と頭の血管が切れ、このムカつく小娘と徹底的に
戦うことに決めた。しかし、正直、飛行機の時間も気になる。と、そこに、
見覚えのある女性が出勤してきた。愛想のいいフロントのマネージャーの女性
だった。

すぐに、こ奴から事情を聞いたマネージャーの女性は、もう一度、ちゃんと調
べてくれた。3分後、このマネージャーの女性が大きな声で、こ奴に何か話し
かけ始めると、同時にこ奴の顔が引きつり始めた。

事の顛末はこうだ。まったく初歩的なミスで、単にこ奴の部屋番号の勘違いだ
ったのだ。私の部屋が403で勘違いの部屋番号は408だった。最近はセキュリ
ティーの関係で部屋のカギはカードキーなどで番号はデーターで管理されてい
ることも多い。

しかし、まったく、ムカつく話である。

さらに、勘違いが判明した後も、マネージャーは平謝りだったが、こ奴はその後
ろに隠れて口をモゴモゴする程度で、視線すら合わそうとさえしなかった。

ホテルを出ると6時10分だった。実にチェックアウトに30分以上である。

空港に向かうタクシーの中で、ようやく落ち着くと、「ひと昔前に中国を訪れ
ると、こんな思いは日常茶飯事だったな…」などと思いなおすに至ったが、
しかし、怒りは収まらず、タイに着いてようやく心機一転した次第であった。

そしてタイが余計、好きになった気がした。










コメント