猛暑 旧暦6月大9日 土用丑 プールも水温33℃・室温38℃
最近避暑も兼ねてよく映画鑑賞に出掛ける。ラヂオで時々パーソナリティーても取り上げられるが自分の席の前を通る者が、声を掛けないばかりか、会釈もしない常識の無い礼儀知らずが増えている。
「拳腰浮かし、肩引き、傘傾げ」等々の他人を思いやる日本古来の美風はもはや失われつつある。昨今の社会の乱れを見ると肯ける。
左は朝 右は夕方 1日の内に色が変化する(7/26撮影) 今年は何が原因か咲きが悪い
一時
旧暦4月大朔
すぐ近所の「打上川治水緑地」で観察する。
今回のように日本の広い範囲で〝金 環 日 食〟が見られるのは平安時代末期1080年以来と言う、大阪では282年ぶり次回は約300年後、北海道では18年後(2030年)に見られるらしい。
5時半頃は晴れていて太陽ははっきり見られたが、金環になる頃は雲が広がり薄雲を通して一瞬金環が見られたがシャッターチャンスを逃し下の写真のように部分的にしか撮影できなかった。 7:30:08(当地金環の時刻)
7:25:00
6:52:52
串本町 7:28(ネットより)


明日から暑さ和らぎ漸く秋らしくなるとの予報
仲秋・十五夜
生憎曇り勝ちの天気で時折お月さんを垣間見ることができたが、満月を愛でること叶わず残念至極!!!
花はいびつだが1鉢に7輪咲いた

部屋に迷い込んだキリギリス

撮影後庭に放した、元気で天寿を全うしてネ

各地で災害をもたらした豪雨も一転、ほぼ全国的に一斉の梅雨明けとなる
梅雨が明けたばかりなのに、抜けとおるような青空にコスモスが咲き柿は青い実を栗はイガを付けて
秋の準備を始めている




今朝のアサガオ
風強し 旧閏5月小23日 祇園祭宵々宮
全国各地で猛暑日となった所があり体温では微熱並みの37℃を越す所も出現、まだ最低2ヶ月こんな暑さに悩まされると思うとゾットする。
↑この所専ら散歩は夜間、「打上川治水緑地の百日紅」
満開は過ぎたのか所々実も付けているが、この暑さに負けず灼熱の花を咲かせている。
「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」 加賀千代女

姪孫[(てっそん)甥/姪の子]にせがまれて日中暑い中を蝉と虫取りに打上川治水緑地に出掛ける、子どもは暑いのも一向に平気だ。
蝉は少し鳴声が聞えたが姿は発見できず。収穫はバッタと黄金虫各1匹。

↓暑い中家族連れが・・・子どものためにご苦労さま

治水の直ぐ北の祠「式内細屋神社」

(延喜式神名帳に記載されている神社(式内社)で、市内3社の内の1社です。祭神は秦の記録に天神星屋、星天宮と記されており、祖先からの天体崇拝の思想から日月星辰の運行を司ってこの地域の集落や農業豊穣の守り神として祭祀されていたものと考えられます。この境内の木を切ったり、草を刈ったりすると腹が痛くなるが秦、大秦の人々だけは別であると言われており、土地の守り神として尊ばれています。・・・神社の説明板より)
祠の水溜りに3匹の蛙を発見、近くの水田からやって来たようだ。
自宅で嘗て屡々見かけた雨蛙を近年さっぱり見かけなくなった、蛙が生息する環境が残っているのは嬉しい。


↓「上の広場」 日曜日で家族連れが方々で球技を楽しんでいる(中央休憩所2Fより撮影)

↓「並木道」 樹の壁で薄暗い(西大路)

↓「何の木」でしょうか???

↓「タイサンボク」に沢山の花が

↓「バラ園」 向うの建物は明りが点された「日本館」入口

時々
日中風強し 旧暦5月大19日 暦の上の入梅
この草叢で昨年7月7日夜間散歩中偶然に2匹のホタルを見かけたが今年もホタルを見ることが出来て自然破壊が進んでいないことが確認され大変嬉しい。
今年最初に見かけたのは6月1日1匹、その後3,6,8日各2匹、9日に1匹。今日は昨日の雨で、さぞ沢山見かけられるものと期待して出掛けた、自宅から徒歩20分の遊水地、直ぐ近くに住宅もあり南は寝屋川で上流に近い。10匹位発見した、極く小さい光が点滅するが稍々ホタルが遠いため撮影困難。
乱舞したり飛び廻る姿は見られない。
↑昨08年7月8日、丈の長い草が除草機で刈り取られていた。毎年この時期に除草しているようだ。こんな状態でホタルの出現を心配していたが、今年も元気な姿を見せてくれた。

公園には、こんな風景も


↑「百々橋」
この橋は、かつて京都市百々町と宝鏡院東町との境の寺之内通に架けられていたもので、応仁の乱(1467-1477)のとき、 細川家(東軍)と山名家(西軍)が11年にわたって戦ったその発端となった橋です。
もともと板橋でしたが、後に石橋に改築されたもので、昭和38年に解体され、 室町小学校に保管されていたものをこの洛西竹林公園へ移築されたもので、京都でなくては見られない遺跡の一つです。(公園HPより)

↑「石仏群」
この石仏群は、織田信長が室町幕府最後の将軍、足利義昭のために築いた旧二条城(永禄12年、1569年) の石垣に使ったといわれる石仏で、現在の烏丸通・新町通・丸太町通・下立売通の2町四方のうちの烏丸出水ー丸太町間の390m にわたって石垣に使われていたとのことです。
これを見ると、あの織田信長という人の性格の一面が理解でき、とても驚かされます。
昭和56年に開通した京都市の地下鉄工事の際に発掘されたもので、これらの石仏の中には歴史上貴重な仏像もあるとのことです。(公園HPより)