台風16号九州南部に接近雨が降りそうで降らず 旧暦8月大19日 敬老の日 彼岸の入り
祝日のためか万博記念公園駅の降車客は頗る多く改札を出て直ぐのスロープの道は一杯の人で溢れその殆どはエキスポシィティに向かう、その多くは若者で万博記念公園方面に向かう人々は疎ら、今日は「国立民族学博物館」入場料無料。去る10日も入場料無料だったのでその日に行こうと思っていたが物凄く暑く、且つ某ラジオ局のイベントもあり混雑が予想されたので今日の訪問となる。今後11月3日、19日、20日が入場料無料。
イベント開場は写真撮影が不可で残念。但し一般展示場は撮影可。
看板
上、2点は「民族学博物館」HPより引用
見せ場は沢山あり楽しく鑑賞出来た。
動画で昔の「人間ポンプ」の実演が上映されていて、小学校の頃学校から町の映画館での実演を見に連れて行ってもらつたのを懐かしく思い出していた。その頃は今と違い娯楽が殆どなかった。
後日一般展示場の紹介などをしたい
朝晩冷え込むが日中稍々暖かい 旧暦12月小27日
温水プールで一泳ぎ、寒さ忘れて身体ポカポカ、広場で面白い展示をしていたので、その一部を掲載します
一時雨
蒸暑い 旧歴7月大16日
例年開催されているが、今夏は「上賀茂神社・本殿・権殿」、「下賀茂神社・本殿・大炊殿」、「南禅寺・大寧軒」、「有鄰館・日本館」、「生谷(いくたに)家住宅」等7か所が9月30日まで公開されている。
近年何か所か訪ねているが、今回は「生谷家住宅」と「南禅寺・大寧軒」の2ケ所を訪ねた。
そのⅠとして「生谷家住宅」
明治時代まで「万(よろず)や」の屋号で青物問屋を営んでいた旧家の生谷家住宅で、国の有形文化財に登録されている主屋は、江戸時代末期に建てられたもので、柱材に北山杉丸太を多く用い、1階部分には駒寄せに出格子、2階には虫籠窓のある京町家の特徴を備えた2階建ての建物です。今回は、生谷家に伝わる古くからの書籍や、幕末に新選組が発注した刀剣、兜、勝海舟や山岡鉄舟の軸などの貴重な所蔵品も展示されています。
鳳 舞
勝海舟
山岡鉄舟
新撰組の刀 一番上
尾形光琳屋敷内にあったという石を中心に「光臨の庭」と名付けられた枯山水の庭
*続 く
たり
夏日 旧暦4月小6日
皐月空 昔懐かし あまがさき
展覧会を見に行ったら、たまたま阪神尼崎駅前で〝さつき展〟が催されていた、一時サツキブームがあったが稍々人気は衰えているか???
近く本市でも愛好家による展覧会が予定されている
*続 く
久し振りの快晴 旧暦8月大9日
去る8月27日京都に行った時の地下鉄東西線「西大路御池駅」近くの小さな店でのウニ(殻)展です、世界各地のウニを集めて展示しています たまたま某テレビで紹介されていました、ウニの棘は暫く放置すると自然に抜け落ちるそうです、販売もしています
一時
夕方から一時
旧暦8月大5日
上 島原「大 門」 門を潜り突き当りに「角屋」があり 潜って一筋目を右に入ると「輪違屋」がある
10年ぶりの特別公開で次回、何時また公開されるか分からない、貴重な公開です
輪違屋(わちがいや)とは、現在も営業されている京都の花街、島原の置屋兼お茶屋である。
創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まる。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5年(1872年)より。
現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたものであり、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となった。
かつては芸妓等も抱えていたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれている。
表に「観覧謝絶」の札がある(いわゆる「一見さんおことわり」の店である)。建物は昭和59年(1984年)に京都市の指定・登録文化財となった。太夫道中に使われる傘を襖に貼り込んだ「傘の間」、本物の紅葉を使って型取りしたうえに彩色した壁が使われた「紅葉の間」が特徴的である。[ウィキペディアより抜粋]
玄関上がると
手摺は百日紅の木で作られた急な階段
襖に貼られた紙は今流に言うとさしずめラブレターか
廊下の天井に明り取りがある
近藤勇の直筆の書
時々
旧暦8月大3日
輪違屋(置屋)二階の「傘の間」の写真がチラシに採用されている
左・番傘 右・日傘の絵
配付の資料より抜粋
Q. | 角屋は遊廓の店ですか? |
A. | 角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店です。揚屋には太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんでいただくところです。揚屋は江戸時代、民間最大の宴会場でした。そこでは遊宴のみならず、お茶会や句会なども行われ、文化サロンとしての役割も果たしていました。そのため、揚屋建築は、大座敷に面した広庭に必ず茶席を設け、庫裏と同規模の台所を備えていることを特徴とします。ちなみに、いわゆる遊廓の店には、大座敷、広庭、茶席などはなく、ほとんどが小部屋のみの構造であります。 |
揚屋の定義(揚屋とは)
揚屋は座敷を提供するだけで、遊女は抱えない。揚屋にいる客が、遊女を抱える置屋(寝食を行う遊女の日常生活の場でもある)に招請状を出して、遊興の場である揚屋に太夫や天神を招く。また客の要請により芸妓や幇間(たいこもち)も迎えるが、鹿恋以下は迎えない。
揚屋には台所が設けられており、自家でつくった食事を客に提供することができる。さらに1階の大座敷に面する所には必ず庭と茶室が設けられている。これらが揚屋建築の大きな特徴でもあり条件ともなる。お茶屋には、これらのものが備わっておらず、座敷を貸すだけで食事は仕出しや出前となる。
上 中ほどに見える碑は↓
中 戸 口
入 口
台 所
上 左に箱階段が見える 右には帳場格子
上 天井は網代で「網代の間」と言う
上 幕末の絵師「岸 連水」筆の襖絵
上 奥の建物は酔い醒ましの場所とか
上 柱がないが内に向かった梁で吊ってある
上 「臥龍の松」 庭には茶室もあり こんな景色を眺めて宴を楽しんだ
[余談]
1863(文久3)年新撰組初代筆頭局長「芹沢鴨・悪評高かった無双の剣豪」ここでの宴会でわざと泥酔させられ壬生屯所に帰宅後暗殺され最後の晩餐の場となる
*次回「輪違屋」を紹介
今季1番の冷え込み 旧暦10月大10日
手前は「手回し計算機」
我々の小学校時代は戦時中で裸足で通学していた、従って学校には足洗場があった
明治時代のオルガン
蓄 音 機
懐かしい初期のテープレコーダー
弁 当 箱
召集ラッパと振鈴 我々が小学校時代始業終業時「小使さん」(今の校務員)が振鈴を振って合図していた
旧暦10月大2日 近畿地方昨年より6日遅れの木枯らし1号 夜に入り冷え込む
一般公開が今日までなので急遽出掛ける
正門
守衛室
旧本館 この建物などが今放映中の下のNHKテレビドラマに登場する 本館裏側
↑学園祭の舞台発表風景 館内 廊下
館内階段
↓階段上がった2階の講堂 今も式典や講演会に使われる 講堂の天井
100年物のピアノ
西日本各地で夏日、宮崎では真夏日 帯広では12㎝の積雪 旧暦3月大27日
大学内
「良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ」
(同志社教育の真髄を示す新島の「良心教育」の碑)
暖炉背面のダクトで2Fへ暖気を送る、所謂「セントラル・ヒーティング」になっていた
2Fは見学できないので掲示板による
いずれにしても当時としては頗る先進的と言えよう
*次回は新島邸見学の後訪れた「拾翠亭(しゅうすいてい)」(御所内南西)を紹介します
ワイナーマイカル大日で映画「L.A.ギャングストリー」を鑑賞
この映画館は大型ショッピングセンターの中の複合映画館、子ども向きの作品も上映されており連休最後の日とあって親子連れで凄い賑わい