忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

竹の皮に

2018-08-11 | 画像
 「これ、粽(ちまき)」。枕元に置かれた昼食、ご飯が少なめのわけが粽。粽は美味しいが私にはそれを包んだ本物の竹の皮を、見て触れたことが嬉しかった。昔、自然の竹の皮を家に保存し、山や遠足のおにぎりに漬け物を包んだり、団子やまんじゅうなど訪問者のみやげに持たせる。
 竹の皮は丈夫で便利よく利用された。皮を裁たり、紐状にし編んで、丈夫な草履(ぞうり)を作り履きもした。

遺志に応えて

2018-08-10 | 画像
 翁長雄志沖縄県知事死去。安室奈美恵さんは「お悔やみ申し上げます」「体調が優れなかったにもかかわらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」と県民栄誉賞授与式を振り返り、「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」と冥福を祈った。
 先の大戦では国内唯一の地上戦、島民の4人に1人が犠牲となった。元自民党県連幹事長も務めた保守政治家翁長は、新基地建設反対オール沖縄候補で知事に当選。基地の島沖縄で平和の懸け橋の為、奮闘した…。

さっぱりした

2018-08-09 | 画像
 1年は経ったかなぁ。理髪店に行くのは、3〜4カ月に1度にしていたが入院、病院で頼もうと思った時期は寒かった。帰宅後は伸び放題、行きたいとは思っていた。台風通過で次週となるが訪問散髪してもらう。
 くせ毛に薄毛、もっとハゲていれば散髪の必要はないもじゃもじゃ中途半端。ビートルズ世代?で長髪はなれてるが蒸し暑さに散髪、すっきり気分になった。

やっと知った

2018-08-08 | 画像
 西日本豪雨被災地に関する報道は続いているが、ニュースにならなかったこの町など新たな被害状況を知ったりしてる。先日は知人の住むアパートの床上浸水、別の知人宅は左右に裏山から流水。
 消防団もこの地の被害状況を点検し記録に残そうと活動中と。またいつ同じような災害が起きないとも限らない。この里山、今回は雨が他より少なかっただけ、次回の危険を防ぐためにも風化させないと。

認知症じゃない

2018-08-07 | 画像
 8月6日夜、NHK広島放送局制作「夕凪の街 桜の国2018」特集ドラマを見た。『原爆に翻弄された女性とその家族のひたむきに生きる姿が胸を打つ』七波はリストラを告げられた夜、認知症?の父が無断外出、家出した姪とこっそり追いかける。東京からバスで広島。
 平和公園 父は姉皆実の墓参り、8月6日の多い墓石。昭和30年 原水爆禁止募金立て看板 原爆症 バラック建ての トタン屋根修理。「この町の人は何も言わん」母の被爆体験 風呂屋のケロイド 忘れかけていた原爆が再び伯母皆実13歳を被爆が襲う。全てを失った日に引きずり戻される。「生きとってくれて ありがとう」10年たって発症 皆実 公園の慰霊碑に燃え続ける炎 原爆ドーム 63年前に亡くなった姉のことを知るために父の旅。7歳の時母が、11歳で祖母が。太田川 被爆樹木 七波の母も祖母も広島のことは話してくれなかった…。

反省なく 戦後73年

2018-08-06 | 画像
 年は違うが広島原爆の日8月6日は友人の命日でもあり、墓前で非核と平和を祈願してきた。今年は病気で行けず、平和記念式典に合わせ合掌した。
 あれから73年、世界各国からの参列者。だが、安倍首相の姿に矛盾と売名行為?を感じる。原発同様、核の傘と核兵器容認。「次の世代に伝えていきたい」。は平和記念式典での小学生。安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから 核兵器のない世界を 被爆体験。広島市中区の広島平和記念公園はかつて広島屈指の繁華街だった。

透明なゆりかご

2018-08-04 | 画像
 病院を舞台にしたドラマの多い中NHKの「透明なゆりかご」は、高校の准看護学科に通う17歳、アルバイト看護助手として町の小さな産婦人科医院で働く。「命と出会い、命を見送る」。不器用でコミュニケーション下手 本人は「私は人の気持ちがよく分からない」と悩む。「ひとりの感性豊かな少女の目線で、命とは何かを問う」中絶や死産、産婦人科の影とも向きあう。昨夜は「不機嫌な妊婦」。青田アオイと一緒に考えた。

にぎやか

2018-08-03 | 画像
 晴れの日、窓は開けられ揺れるカーテン。うぐいすの同じ鳴き声が続くのはなぜだろう。にぎやかに鳴いているのはツバメ?、風でカーテンが捲れた時に2羽のツバメが電線に仲良く並んでとまってた。
 もっと多いと思うにぎやかさ、餌になる虫など食べれてるのか。毎年ツバメの姿は見るのに、わが家に巣作りしてくれない。数回雀に巣を横取りされたり蛇に襲われたのをまだ覚えてる!?

近くに来てる

2018-08-02 | 画像
 あの音楽はスーパーマーケットの移動販売車?いつ来始めたのか、この家の少ない中山間地、利用する人がと気になりながら感謝の気持ち。
 道路は短く里道歩きが殆どだった昔、人家は離れて点在していた。わが家にも天秤棒を肩に魚売りが数日おきにやって来た。在宅の時は祖母がよく買っていた。魚に干物、人によって品は違い、女性が多かった。夏には麦わら帽子のアイスキャンデー売り、チリンチリンと鐘の音。