アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

ジョージ・ワシントンの困惑

2008年09月25日 22時49分40秒 | Weblog
 日本に原子力空母が配備された。それにはアメリカを築いた初代大統領の名前が付けられている。彼が、自分の名前を付けられたその兵器を見たら、どう思うだろうか。

 日本の政治家はそれについて多種多様な言葉を並べて、正当化するだろう。しかし、日本の独自な平和構築のための活動は何も見えない。事務所費とかを誤魔化すだけのセコイ姿、後はアメリカ支持だけ。総選挙を前に原子力空母が来たということは、自民党には逆風になるのではないか。おめでとう、もう金を誤魔化す作業から解放される訳だ。

 国際協調は、アメリカに頷くことではない。頷けない場合には言うことをきちんと言うべきだが、言わない。言わない方が楽なのだ。経費を誤魔化すことに専念させてくれ! 政治家が政治をしていない。少なくとも外交はしていない。小学校に英語を導入することが国際化だと思っているようだが、その前に政治家自身が国際化されるべきだ。小学生へのお手本として「アメリカと喧嘩する英語」を学ぶ姿を見せてほしいナ。選挙の時だけ大言壮語。後は経費の誤魔化しだけ。恥ずかしくないのか、政治家諸君。「どぶ板選挙」という言葉があるが、国際化されてなくてもいいから、少なくとも国民の生活をつぶさに見る姿勢、どうにかしようとする取組だけは見せてほしい。

 川端康成がノーベル文学賞を受賞した時のスピーチのタイトルが「美しい日本の私」だったと記憶するが、原子力空母が浮かんでいる日本は危険なだけだ。あの世での生活にも慣れ、快適な生活を送っているジョージ・ワシントン閣下は、つぶやくのではないか、「そうじゃないんだよなァ」