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羅須地人協会時代の宮澤賢治は巷間「独居自炊」と言われているが、そうとは言い切れないことをはしなくも「校本年譜」自体が教えてくれている。
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この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
延いては、
しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守 ☎ 0198-24-9813
『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』の目次
はじめに 1
第1章 文献等から探る千葉恭 ………………………………………… 2
1 千葉恭探索開始 2
2 『ふるさとケセン67号』より 3
3 『イーハトーヴォ復刊2号』より 3
4 『イーハトーヴォ復刊5号』より 6
5 「宮澤先生を追ひて」より 8
6 「宮澤先生を追つて(三)」より 10
7 「宮澤先生を追つて(二)」より 13
8 「賢治抄録」より 17
9 「宮澤先生を追つて(四)」より 18
10 伊藤整と岡本弥太の伝える「面会謝絶」 25
第2章 千葉恭を尋ねて廻る …………………………………………33
1 千葉恭の生家探し 33
2 千葉恭の職場について 35
3 他人の助けを借りて 37
4 千葉恭の三男に会う 38
5 同僚の語る千葉恭 42
第3章 千葉恭の下根子桜寄寓 …………………………………………43
1 千葉恭は松田甚次郎を直に見た 43
2 昭和2年3月8日の桜訪問 44
3 松田甚次郎の桜訪問回数 47
4 松田甚次郎の古里訪問 49
5 『松田甚次郎日記』より 51
6 賢治から松田甚次郎がどやされた日 56
7 千葉恭の辞職・復職日等判明 58
8 下根子桜寄寓期間の一つの解釈 61
9 昭和8年の千葉恭の勤務先 62
第4章 千葉恭以外が語ることなど ……………………………………………63
1 賢治が設計した3枚の〔施肥表A〕 63
2 千葉恭の長男に会う 65
3 研究家千葉恭 71
4〝「水稲肥料設計」の様式〟について 73
5 千葉恭楽団ではマンドリン担当 75
第5章 いつからなぜ独居自炊に ……………………………………………76
1 一体いつから「独居自炊」に 76
2 高村光太郎の随筆集『獨居自炊』 80
あとがき 82
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』(一気読みタイプ)
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』(テキスト形式タイプ)
はじめに(テキスト形式)
第1章 文献等から探る千葉恭(テキスト形式)
第1章 文献等から探る千葉恭(テキスト形式) 承前
第2章 千葉恭を尋ねて廻る(テキスト形式)
第3章 千葉恭の下根子桜寄寓(テキスト形式)
第4章 千葉恭以外が語ることなど(テキスト形式)
第5章 いつからなぜ独居自炊に(テキスト形式)
あとがき(テキスト形式)
はじめに 1
第1章 文献等から探る千葉恭 ………………………………………… 2
1 千葉恭探索開始 2
2 『ふるさとケセン67号』より 3
3 『イーハトーヴォ復刊2号』より 3
4 『イーハトーヴォ復刊5号』より 6
5 「宮澤先生を追ひて」より 8
6 「宮澤先生を追つて(三)」より 10
7 「宮澤先生を追つて(二)」より 13
8 「賢治抄録」より 17
9 「宮澤先生を追つて(四)」より 18
10 伊藤整と岡本弥太の伝える「面会謝絶」 25
第2章 千葉恭を尋ねて廻る …………………………………………33
1 千葉恭の生家探し 33
2 千葉恭の職場について 35
3 他人の助けを借りて 37
4 千葉恭の三男に会う 38
5 同僚の語る千葉恭 42
第3章 千葉恭の下根子桜寄寓 …………………………………………43
1 千葉恭は松田甚次郎を直に見た 43
2 昭和2年3月8日の桜訪問 44
3 松田甚次郎の桜訪問回数 47
4 松田甚次郎の古里訪問 49
5 『松田甚次郎日記』より 51
6 賢治から松田甚次郎がどやされた日 56
7 千葉恭の辞職・復職日等判明 58
8 下根子桜寄寓期間の一つの解釈 61
9 昭和8年の千葉恭の勤務先 62
第4章 千葉恭以外が語ることなど ……………………………………………63
1 賢治が設計した3枚の〔施肥表A〕 63
2 千葉恭の長男に会う 65
3 研究家千葉恭 71
4〝「水稲肥料設計」の様式〟について 73
5 千葉恭楽団ではマンドリン担当 75
第5章 いつからなぜ独居自炊に ……………………………………………76
1 一体いつから「独居自炊」に 76
2 高村光太郎の随筆集『獨居自炊』 80
あとがき 82
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』(一気読みタイプ)
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』(テキスト形式タイプ)
はじめに(テキスト形式)
第1章 文献等から探る千葉恭(テキスト形式)
第1章 文献等から探る千葉恭(テキスト形式) 承前
第2章 千葉恭を尋ねて廻る(テキスト形式)
第3章 千葉恭の下根子桜寄寓(テキスト形式)
第4章 千葉恭以外が語ることなど(テキスト形式)
第5章 いつからなぜ独居自炊に(テキスト形式)
あとがき(テキスト形式)
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《新刊案内》この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/6d/2cc6d4d8bf0406789a87a5b8e23f1ec9.png)
現在、岩手県内の書店で販売されております。
なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守 ☎ 0198-24-9813
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