みちのくの山野草

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4 『イーハトーヴォ復刊5号』より

2024-01-22 12:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男





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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
4 『イーハトーヴォ復刊5号』より
 では次は、前述した講演会後の質疑応答<*1>を見てみたい。それは『イーハトーヴォ復刊5号』に「羅須地人協会時代の賢治」と題して掲載されているので、その中から幾つか抜粋して見る。
問 講演会はどの様にしてもたれたか。
答 百姓たちが進んで賢治に依頼したようだ。賢治も又その依頼の真劍さに対して喜んで出かけて行つた。聴講者は七、八〇人、多いときは三百二十人位で、学校や役場の二階を利用した。話しぶりはむしろ詳細に過ぎるという具合なのでその点を忠告すると、〝僕はそう思わないが〟と言つておられた。
 私たちが五の頭で先生が二十では、こちらがまいつてしまう。賢治は自分の知つていることは全部何でも、而も限られた時間のうちに話して聞かせたいのだし、賢治自身ごく簡単なことと思つていることが、人々にとつては案外むずかしいことであつた。これらは大正十四、十五年の頃のことである。
 それで講演会の結果、話が分からなければ、設計肥料をして上げるから来るようにと言つた。昭和三年頃までに二、三千人の人に設計してやられたことと思う。
問 羅須地人協会ので生活について。
答   …(略)…
賢治は当時菜食について研究しておられ、まことに粗食であつた。私が煮炊きをし約半年生活をともにした。一番困ったのは、毎日々々その日食うだけの米を町に買いにやらされたことだつた。
農民の指導は、その最低の生活をほんとうに知つて初めて出来るのだと言われた。米のない時は〝トマトでも食べましよう〟と言つて、畑からとつて来たトマトを五つ六つ食べて腹のたしにしたこともあつた。
    ×
金がなくなり、賢治に言いつかつて蓄音器を十字屋(花巻)に売りに出かけた<*2>こともあつた。賢治は〝百円か九十円位で売つてくればよい。それ以上に売つて来たら、それは君に上げよう〟と言うのであつたが、十字屋では二百五十円に買つてくれ、私は金をそのまま賢治の前に出した。賢治はそれから九十円だけとり、あとは約束だからと言つて私に寄こした。それは先生が取られた額のあらかた倍もの金額だつたし、頂くわけには勿論ゆかず、そのまま十字屋に返して来た。蓄音器は立派なもので、オルガンくらいの大きさがあつたでしよう。今で言えば電蓄位の大きさのものだつた。
   …(略)…
ある時、レコードをかけてもらつたことがあつて、しばらく黙つて聴いておつたが、途中で私が思わず〝いやッ、そこがいいところだ〟と言つてしまつた。賢治は大きな声で〝こらッ〟とどなつた。全部聴き終わつてから後で、〝人間の感情としては、よいところはよいと言うべきではあるが、全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなのだ〟と言われた。…(略)…
<『イーハトーヴォ復刊5号』(宮澤賢治の会)>
<*1>この講演及び質疑応答は昭和29年12月21日の「賢治の会」例会で行われたものである。
<*2>この蓄音器の件については、千葉恭自身が別なところで語っている内容とやや異なっているがこのことに関しては後述したい。
なお、この当時千葉恭は農林省岩手県食糧管理事務所和賀支所長であった。
 さてこれらの質疑応答から窺えることとして次のようなことがあげられると思う。
 千葉恭が一番困ったこと
 それにつけてもこの質疑応答の中でつい苦笑してしまったのは、千葉恭が
「一番困つたのは、毎日々々その日食うだけの米を町に買いにやらされたことだつた」
と述懐しているところである。というのは、森荘已池が
 すると賢治は、「御飯は三日分炊いてあるんス」と、母をおどろかした。お母さんが、「どこに。あめてしまうべ」と言うと、「ツボザルさ入れて、井戸にツナコでぶら下げてひやしてあるンス―」と答えた。
<『ふれあいの人々』(森荘已池著、熊谷印刷出版部)>
と語っていることを思い出したからである。
 千葉恭が下根子桜に寄寓していた頃は彼に米を毎日買いに行かせている賢治なのに、森の語るこのエピソードはそれこそ「独居自炊」生活時代のことだろうが、賢治自身が御飯を炊く時には三日分をまとめて炊いている。ということは賢治は毎日炊きたての御飯を千葉恭に食べさせたかったからそうしたのだろうか、それとも賢治はダブルスタンダードだったのだろうかなどと考えてしまった私はつい苦笑いしてしまった。賢治も案外人間的じゃないかと。

 賢治の気性の激しさ
 そして、この質疑応答で一番意外だったことは
「途中で私が思わず〝いやッ、そこがいいところだ〟と言つてしまつた。賢治は大きな声で〝こらッ〟と、どなつた」
というくだりである。
 賢治の気性は案外激しいところもあったと聞いてはいたが、このエピソードはまさしくその一例かなと思った。また、千葉恭は賢治から「自分も徹底的にいじめられた」とか「〝こらつ〟の一かつの声」でどやされたと言っているわけだが、その具体例の一つがこれなのだろうと私は認識した。
 賢治の物の見方考え方
 次にこの質疑応答でなるほどと得心したことは、賢治は
「全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなのだ」
と語っていたということである。というのは賢治が伊藤忠一へ宛てた手紙の中で
根子ではいろいろお世話になりました。
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆どあそこ(筆者註:「羅須地人協会」のこと)でははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいのもので何とも済みませんでした。
<『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)>
と謝っていることをあるとき知ったが、そのことに対して私はやや違和感を感じていた。
 ところが今回、「全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなのだ」と賢治が諭したということを知った。すなわち、全てが終わった後、初めて総体を振り返って批判せよという物の見方と考え方を賢治はしていたことになる。そこでこの論理に従えば、伊藤忠一に宛てた手紙で賢治が語っていることは下根子桜での営為を総括しての自己評価を正直に吐露しいたいうことになる。したがってこの賢治の悔恨はそのまま素直に受けとめればいいのだと、すなわち百%の納得をしていいのだと得心した次第である。
 冷静に考えてみれば賢治は何一つ全う出来なかったと誹る人もあるが、そのことは本人の賢治自身がそれ以上に自覚していてさぞかし忸怩たる想いであったに違いないと、下根子桜から豊沢町の実家に戻って病臥していた頃の賢治の心中を察した。そしてその賢治の悔恨の情が「雨ニモマケズ」の中で〝デクノボー〟という表現をなさしめた一つの要因だったのかな、と。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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