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9 昭和8年の千葉恭の勤務先

2024-01-27 12:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男



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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
9 昭和8年の千葉恭の勤務先
 以前触れたように、『岩手年鑑』(岩手日報社)によれば、昭和8年の千葉恭の勤務場所は二戸郡福岡出張所(9月末時点)である。一方、これも以前触れたことだが千葉恭の三男F氏から
「昭和8年当時父は宮守で勤めていて、賢治が亡くなった時に電報もらったのだが弔問に行けなかったと言っていた」
ということを教えてもらっていた。
 しかしこれでは両者は辻褄が合わない。両者が共に正しければ千葉恭は宮守出張所にも勤めながら福岡出張所にも勤めていたことになる。ところが宮守と二戸郡の福岡間は直線距離でさえも約百㎞はある。当時もそして今でさえも列車通勤はほぼ無理だろうし、自家用車でさえも通勤はほぼ無理な距離であり、まして自家用車通勤など考えられない昭和8年当時に両方の出張所を兼務は出来るはずはない。一体昭和8年の彼はどんなふうにして勤務していたのだろうか、という疑問があった。
 それがこの度あるルートを通じて千葉恭が穀物検査所を一旦辞めた年月日、そして正式に復職した年月日等がやっと判明した訳だが、併せて、穀物検査所を辞めた後も時々臨時ではあるが穀物検査所で働いていたことも判った。例えば
 ・昭和3年1月24日~3月31日 藤根派出所臨時採用
のように。ということは、農繁期は実家で農業に従事しながら「研郷會」を拠り所として地元の農業の改善と発展のために活動し、農閑期には元の役所で臨時職員として働いていたということになろう。さらに嬉しいことに、千葉恭は昭和7年3月31日付けで正式に穀物検査所(宮守派出所)に復職した後、
 ・昭和8年7月31日~二戸郡福岡出張所勤務
 ・昭和8年8月24日~宮守派出所勤務
という人事異動があったということも今回同時に判明した。これで昭和8年の千葉恭の勤務先に関する疑問がすっきりと解決した。たしかに昭和8年に千葉恭は福岡で勤めたこともあるが、賢治が亡くなった同年9月には彼は宮守で勤めていたのだ。三男F氏の証言のとおり賢治が亡くなった時は宮守勤務だったのだ。これで辻褄があった。
 嬉しいことに、図らずもあるルートから千葉恭の職歴の一部を百%の保証付きで教えてもらったわけだが、教えてくれた方にはいくら感謝しても感謝しきれない。もちろん、私はある切っ掛けでそれが達成出来たことで今までの長い間の胸のつかえがあっけなく下りてしまった。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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