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『賢治が一緒に暮らした男 ―千葉恭を尋ねて―』はじめに

2024-01-21 08:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男





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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
賢治が一緒に暮らした男
           ―千葉恭を尋ねて―
目  次
はじめに 1
第1章 文献等から探る千葉恭    ………………………………………… 2
1 千葉恭探索開始 2
2 『ふるさとケセン67号』より 3
3 『イーハトーヴォ復刊2号』より 3
4 『イーハトーヴォ復刊5号』より 6
5 「宮澤先生を追ひて」より 8
6 「宮澤先生を追つて(三)」より 10
7 「宮澤先生を追つて(二)」より 13
8 「賢治抄録」より 17
9 「宮澤先生を追つて(四)」より 18
10 伊藤整と岡本弥太の伝える「面会謝絶」 25
第2章 千葉恭を尋ねて廻る    …………………………………………33
1 千葉恭の生家探し 33
2 千葉恭の職場について 35
3 他人の助けを借りて 37
4 千葉恭の三男に会う 38
5 同僚の語る千葉恭 42
第3章 千葉恭の下根子桜寄寓    …………………………………………43
1 千葉恭は松田甚次郎を直に見た 43
2 昭和2年3月8日の桜訪問 44
3 松田甚次郎の桜訪問回数 47
4 松田甚次郎の古里訪問 49
5 『松田甚次郎日記』より 51
6 賢治から松田甚次郎がどやされた日 56
7 千葉恭の辞職・復職日等判明 58
8 下根子桜寄寓期間の一つの解釈 61
9  昭和8年の千葉恭の勤務先  62
第4章 千葉恭以外が語ることなど ……………………………………………63
1 賢治が設計した3枚の〔施肥表A〕 63
2 千葉恭の長男に会う 65
3 研究家千葉恭 71
4〝「水稲肥料設計」の様式〟について 73
5 千葉恭楽団ではマンドリン担当 75
第5章 いつからなぜ独居自炊に  ……………………………………………76
1 一体いつから「独居自炊」に 76
2 高村光太郎の随筆集『獨居自炊』 80
あとがき 82
千葉恭略年譜 83
引用・参考図書等 85はじめに
 えっ違ってたんだ。「独居自炊」じゃなかったんだ! 私は軽い眩暈を感じた。宮澤賢治といえば下根子桜時代は「独居自炊」であったとばかり思っていた。それが、そこには次のように書かれてあるではないか。
 賢治も承諾の返事を出していたが、この日断わりの使いを出す。使者は協会に寝泊まりしていた千葉恭で六時頃講演会会場の仏教会館で白鳥省吾にその旨を伝える。
<『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)>
と。これはいわゆる『校本全集』(筑摩書房)の年譜(以後「校本年譜」と略記)の大正15年7月25日の記載の一部であり、賢治が下根子桜に移り住んだ年の夏の出来事である。そこに
 〝寝泊まりしていた千葉恭〟
と書かれているということは、その当時千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らしてしていたんだということになる。そうなると「独居自炊」じゃなくなるのではなかろうか。そしてそもそもこの千葉恭とは如何なる人物だったのだろうか? こんな人がいたなんていままで全く私は知らなかった……。私の頭の中はしばし混乱、そして呆然としてしまった。
 がしかし、落ち着いてみると今度はそれがいつから始まりいつまでだったのかということを無性に知りたくなった。そこで「校本年譜」の頁を捲ったり捲り直したりして、千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らし始めた「日」、はたまたいつまで一緒であったかをという「期間」を確認しようと思った。
 ところが私からすれば不思議なことに、賢治にまつわることの殆ど全てを網羅していると思っていた「校本年譜」には、調べても見直してみてもどこにもその「日」及び「期間」は明確には記されていなかったのだった。
 それならば千葉恭は下根子桜の賢治の許でいつから暮らし始めたかというその「日」、及びそこでいつまで賢治と一緒に暮らしていたかというその「期間」を特定してみたいという、ひいては千葉恭なる人物のことを知りたいという衝動に駆られてしまい、その後あちこちいていろいろと尋ね廻ってみた。本書はその記録である。
 私は花巻に移り住んでから約20年が経ったが、賢治のことを高校時代から尊敬はしていてもいままで地元に住んでいながら賢治のことはほとんど知らないままに過ごしてきた。これから千葉恭を尋ねる旅を始めれば、千葉恭のことだけではなくて賢治のことも少しは理解が深まるかもしれない。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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