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《『山荘の高村光太郎』》(佐藤勝治著、現代社)
では次は、
雪白く積めり(55p~)
という項からである。そこにはこんなことなどが述べられていた。
分教場から小屋までわずか五、六町ですが、冬になると、吹雪のため、二、三日絶対に行けなくなることがありました。吹雪が止んでから、私は溜まっていた郵便物をリュックに入れて、長い杖をつきながら、先生の小屋に向かうのでありました。
「雪白く積めり」という先生の詩の中に
十歩にして息を休め、
二十歩にして雪中に坐す。
とあるのはその通りであります。いつか先生が、わずか五、六町のところなのに雪道に迷って、ついに分教場に来れないでしまったことがありました。
「雪白く積めり」という先生の詩の中に
十歩にして息を休め、
二十歩にして雪中に坐す。
とあるのはその通りであります。いつか先生が、わずか五、六町のところなのに雪道に迷って、ついに分教場に来れないでしまったことがありました。
そして、この「雪白く積めり」の詩、つまり
雪白く積めり
雪林間の道をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あをくひかりて不知火に似たり。
路を横切りて兎の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蕭々と鳴って梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。
早池峯はすでに雲際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。
わずかに杉の枯葉をひろひて
今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。
敗れたるもの卻て心平らかにして
燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
美しくてつひにとらえ難きなり。
雪林間の道をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あをくひかりて不知火に似たり。
路を横切りて兎の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蕭々と鳴って梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。
早池峯はすでに雲際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。
わずかに杉の枯葉をひろひて
今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。
敗れたるもの卻て心平らかにして
燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
美しくてつひにとらえ難きなり。
は、山口での初めての冬の作だと勝治はいう。
そこで私はまず、
早池峯はすでに雲際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。
という連に圧倒される。こんな表現など感性の乏しい私には到底思い付かないからだ。そして一方で、さもありなんと納得する。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
ことを。そして、「わずか五、六町」とはいっても、一町は約109mだから、膝を没するような500m以上の深雪なれば。光太郎はよくぞ頑張ったと私は素直に感じ入った。
ついては、話は飛躍するが、谷川徹三もここ山口に尋ねて来て、光太郎の独居自炊を目の当たりにして、あの「今日の心がまえ」の講演のことを振り返ってほしかったなと思うのだった。
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☆『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/20/a2fa88a84d3910d7fdeeca669a068dd1.png)
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《新刊案内》
この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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