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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
8 「賢治抄録」より
ではここでは「宮澤先生を追ひて」のシリーズはちょっと中断し、時系列のことを考えて千葉恭が著した「賢治抄録」の方を先に見てみたい。そこには次のような大正14年10月20日に豊沢町の賢治の実家を初めて訪れた際のピソード等が語られている。
大正十四年は豊作に近い年で、季候も良いのであつた、晴れ勝ちな日が多い年であつた。十月二十日役所に出勤し、何かと忙しく働き夕方下宿先の鎌田旅館に歸った時、宿の主人は「あなたところに宮澤先生から電話がありましたよ」と云われ、早速電話した。先生を呼び出した時、先生は若い元氣のある聲で出て呉れた。「何かお用でしたでしようか」と尋ねたところ、先生の方から急ぎの句調で「先日は失禮致しました、私も突然のため何ごともなし得なかつたのに非常に申譯なかつた」と本當に申譯ないような聲で私に語つた。そして「今晩是非學校でなく私の家に遊びにお出で下さい。是非來るように、待つております」と電話を切つて了つた。
その晩九時頃豊澤町にある賢治の家を訪ねた、屋がまえの大きな家で、花巻町として相當の舊家であつた。
賢治は喜んで私を迎え入れた。
私としては初めて家を尋ねるので、少しえんりよであつたが、來て了つたと云うあきらめの心になり静かに入つた。
賢治の親達も聲をかけ「どうぞお入りえんせ」と云われて、力をえた氣持になつた。
「賢治はおであんしたからどうぞ」と賢治の母親の優しい聲に誘われ、私はちよとあいさつをして濟むと賢治は「さあどうぞ」と表二階に誘われ、それに從つて階段を上がつて行つた、二階は八疊位の大きな室で、奥の方につくえと本が一杯あり、その脇に蓄音機が置いてあつた、この蓄音機も一般のものと違い大きな型のものであつた。
賢治の母は早速お茶を持つて室に來た「どうぞおあげんせ」と出され、私は恐縮して「ども……」と簡たんに頭をさげたが、賢治は自分の母に對してひざをついてていねいに「ありがとうございまいした」とお禮をしたのを見て、私はうろたえてひざをつき直して、今だやつたことのないていねいさで再びお禮を申上げたことは今だに頭の中に殘つている。…(略)…
母が去つてから、二人で肥料の話、水稲栽培の話、花造りの話、地理の話をしたりして、それのあとは「一つレコードでもかけましょうか」と自ら蓄音機を持ち出し、賢治は蓄音機を大切にしレコードも大切にして、針は金でなく、竹の針は本當の音が出るし又レコードを長持ちするために必要であると説明して呉れた。…(略)…
<『宮澤賢治研究』(草野心平編、筑摩書房33年版)>
この後には引き続いてベートーベンの名曲を観賞し、その感想を訊かれたというエピソードが続けて書かれてあり、最後に銀河の星とか北斗七星のことなどの空の話をし、賢治の家を辞したと書かれている
さてこのエピソードは大正14年10月20日のことだから、千葉恭が賢治に出会った大正13年11月から1年弱を経て彼は初めて賢治の実家を豊沢町に訪ねたことになる。その彼が紹介しているこの時の、賢治の母イチに対する賢治の丁寧すぎるほどの接遇の仕方は、たしかに流石賢治ならではのことである。また、二人は相変わらずこの時も熱く農事のことを語り合っていたであろうことが容易に推し量れる。
ところでこの中の
「二階は八疊位の大きな室で、奥の方につくえと本が一杯あり、その脇に蓄音機が置いてあつた、この蓄音機も一般のものと違い大きな型のものであつた」
に出てくるこの〝蓄音機〟に関連して次は触れてみたい。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
【新刊案内】
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
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であり、その目次は下掲のとおりである。
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