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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
6 賢治から松田甚次郎がどやされた日
では、私にとっては「もう一つの〝たった1回だけ〟の持つ意味の方が重要な意味を持っていたのだが」について述べてみたい。
そもそもなぜ私はここまで松田甚次郎の下根子桜の訪問回数とその日がいつかを調べてきたのかというと、松田甚次郎が賢治から〝どやされた〟と千葉恭の目からは見えた日がいつかを確定したかったからだ。
千葉恭は賢治から〝どやされた〟甚次郎を見ていた
以前述べたことでもあるが千葉恭は、「宮澤先生を追つて(三)」において
詩人と云ふので思ひ出しましたが、山形の松田さんを私がとうとう知らずじまひでした。その后有名になつてから「あの時來た優しさうな靑年が松田さんであつたのかしら」と、思ひ出されるものがありました。
<『四次元7号』(宮澤賢治友の会)>
と、また「羅須地人協会時代の賢治」において
一旦弟子入りしたということになると賢治はほんとうに指導という立場であつた。鍛冶屋の気持ちで指導を受けました。これは自分の考えや気持ちを社会の人々に植え付けていきたい、世の中を良くしていきたいと考えていたからと思われます。そんな関係から自分も徹底的にいじめられた。
松田甚次郎も大きな声でどやされたものであつた。
<『イーハトーヴォ復刊2号』(宮澤賢治の会)>
と証言しているので、千葉恭は下根子桜の宮澤家別宅寄寓中に賢治を訪れた松田甚次郎本人を、それも賢治から〝どやされ〟ていると千葉恭には見えた松田甚次郎本人の姿を目の当たりにしていたに違いないと考えていた。
〝どやされた〟のは賢治を訪ねた日
当然のことながら、松田甚次郎が賢治から〝どやされた〟のは賢治の許を訪ねた日でしかあり得ない。それは『松田甚次郎日記』を調べた結果、
〝松田甚次郎が下根子桜に賢治を訪ねたのは昭和2年3月8日と同年8月8日の2回だけであり、その2回しかない〟
ということが判明したから、この両日のどちらかでしかあり得ない。
さてこの両日のそれぞれについて、昭和2年3月8日の訪問に関しては
先生は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を学校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
小作人たれ
農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。
とか
黙って十年間、誰が何と言はうと、実行し続けてくれ。そして十年後に、宮澤が言った事が真理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、実行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覚の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
ということを述べている。一方、昭和2年8月8日の訪問に関しては
それから一ヶ月間余暇をぬすんで、初体験の水掛と村の夜の事を脚本として書いて見た。そして倶楽部員の訂正を仰いで、ほゞ筋が出来たが、何だか脚本として物足りなくて仕様がないので困つてしまつた。「かういふ時こそ宮澤先生を訪ねて教えを受くべきだ」と、僅かの金を持つて先生の許に走つた。先生は喜んで迎へて下さつて、色々とおさとしを受け、その題も『水涸れ』と命名して頂き、最高潮の処には篝火を加へて下さつた。この時こそ、私と先生の最後の別離の一日であつたのだ。余りに有り難い一日であつた。やがて『水涸れ』の脚本が出来上がり、毎夜練習の日々が続いた。
<共に『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)>
と述べている。
このそれぞれの訪問日に関する松田甚次郎の証言を基に〝どやされた〟日について次に考えてみたい。
賢治から〝どやされた〟日の確定
前述の松田甚次郎の証言から、賢治から松田甚次郎が〝どやされた〟のはどちらの日がふさわしいかというともちろん後者はあり得ず、前者3月8日であろう。昭和2年2月1日付岩手日報の記事で
「目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの廣場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが、…」
と報道されはしたのだが、賢治自身はその後農民劇の準備を進めていった気配はない。一方の、8月8日に下根子桜を訪れた松田甚次郎の方は着々と農村(民)劇の準備をしており、脚本さえ出来上がりつつある。8月8日に訪れた松田甚次郎が賢治から褒められることはあっても〝どやされる〟筋合いにはなかったはず。よって、
「そんなことでは私の同志ではない。…地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。…小作人たれ 農村劇をやれ」と、力強く言はれた」
のは3月8日の方でしかあり得ないはずだからである。そしてこの時の賢治の諭し方は他人から見れば〝どやされた〟と見えないこともなかろう。
もちろん、この〝どやされた〟日は松田甚次郎が盛岡高等農林在学中であろうことは私も以前からほぼ確信していた。しかもそれはあの昭和2年3月8日の日のことであろうと。しかし一抹の不安があった。というのは松田甚次郎は高等農林に在学中にかなりの回数下根子桜に賢治を訪ねていたと受け止められるような表現をしている資料が、以前触れたように2つほどあったからである。そこで、松田甚次郎が〝どやされた〟と千葉恭が受け止めたような場面を他の日に千葉恭は目の当たりにしていたかも知れない、という一抹の不安があった。もしそのようなことがあれば〝どやされた〟日はあの昭和2年3月8日とは言い切れなくなってしまうからである。
しかし今回の新庄行で『松田甚次郎日記』を見ることが出来たので、松田甚次郎が盛岡高等農林在学中に賢治を訪ねたのはたった1回だけであったということが分かった。この〝たった1回だけ〟であったということは、彼が学生時代にかなりの回数そこを訪ねたわけではなくてたった一度しか訪ねていないということを担保する重要な役割を持つ。
したがって、千葉恭の目から松田甚次郎が賢治から〝どやされた〟と見えた日は昭和2年3月8日でしかあり得ないことになる。これが〝たった1回だけ〟の持つもう一つの重要な意味であり、役割である。
現時点での判断
というわけで、現時点での私の判断は
千葉恭は昭和2年3月8日に下根子桜を訪ねてきた松田甚次郎本人を直に見ている。そして賢治から松田甚次郎が「小作人たれ 農村劇をやれ」と〝訓へ〟られている場面を千葉恭は〝どやされた〟と受け止めていた。
というものである。またこのことにより、千葉恭はその現場にいたということになるから、
☆千葉恭は昭和2年3月8日頃までは少なくとも下根子桜で賢治と一緒に暮らしていたということが充分に考えられる。
である。なお、この3月8日前後だけたまたま千葉恭は下根子桜櫻の別宅に泊まっていたとも考えられる。それゆえ、現時点では〝ということが充分に考えられる〟としてある。このことに関しては今後注意深く扱い、さらなる検証を試みたい。
さあすると、残された次の大きな課題は何か。それは、いつ頃から千葉恭は賢治と一緒に暮らし始めたのか、その時期を明らかにすることだ。そしてその時期は彼が穀物検査所を辞めた時期とほぼ重なるだろうから、役所をいつ辞めたかを探ることにもなろう。
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
【新刊案内】
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
であり、その目次は下掲のとおりである。
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なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守 ☎ 0198-24-9813
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