《『山荘の高村光太郎』》(佐藤勝治著、現代社)
では今度は、
山口部落(45p~)
という項からである。そこにはこんなことなどが述べられていた。
山口部落の様子については…投稿者略…先生が詩を作っておられますから、読んでみましょう。
山口部落
山口部落
山口山の三角山は雑木山。
雑木にみどりはみどりのうんげん。
ブナ、奈良、カツラ、クリ、トチ、イタヤ。
山越しの弥陀がほんとに出さうな
ぎよつとする北方の霊験地帯だ。
山のみどりに埋もれて
下に小さな部落の屋根。
炭焼渡世の部落の人はけらを着て、
自給自足の田地をたがやし、
酸性土壌を掘りかへして、
石ころまじりの畑も作りタバコも植ゑる。
部落の畑の尽きるあたり、
風とマムシの巣だといはれる草場の中に
クリの山木にかこまれて
さういふおれの小屋がある。
山口山の三角山をうしろにしよつて
ススキの野原が南に七里。
夏の岩手の太陽は
太鼓のやうなものをたたきながら
秋田の方へゆつくりまはる。
雑木にみどりはみどりのうんげん。
ブナ、奈良、カツラ、クリ、トチ、イタヤ。
山越しの弥陀がほんとに出さうな
ぎよつとする北方の霊験地帯だ。
山のみどりに埋もれて
下に小さな部落の屋根。
炭焼渡世の部落の人はけらを着て、
自給自足の田地をたがやし、
酸性土壌を掘りかへして、
石ころまじりの畑も作りタバコも植ゑる。
部落の畑の尽きるあたり、
風とマムシの巣だといはれる草場の中に
クリの山木にかこまれて
さういふおれの小屋がある。
山口山の三角山をうしろにしよつて
ススキの野原が南に七里。
夏の岩手の太陽は
太鼓のやうなものをたたきながら
秋田の方へゆつくりまはる。
恥ずかしながら、私は何度かここ高村山荘やその周辺に行っていたのだが、いままで山口山という山をまったく意識してこなかった。ところがこの度、光太郎はとりわけ山口山を愛でていたことを知ったので、今年はこの山口山をできるだけ散策してみたいと思っている。
さて、勝治は山口部落について、
土地柄が質朴勤勉な百姓をつくるようにできている以上に、仏教の信仰が暑いのでありますから、村の中に争いなど少しもありません。…投稿者略…昔からいう桃源郷とは、ああいうところのことでありましょう。
と述べ、山口部落のことを褒め讃えていた。また、勝治は光太郎に対しては、 疎開して田舎へ入って、ずいぶん悲しい、いやな思いをされた方が多いでしょう。
私もいくらかそういう経験をしておりますので、先生にはできるだけ不自由のないように、なるべく先まわりじて必要なものをお届けするようにしておりました。
と心掛けたというし、実際にそうであったことは、光太郎の日記を見ていると肯える。私もいくらかそういう経験をしておりますので、先生にはできるだけ不自由のないように、なるべく先まわりじて必要なものをお届けするようにしておりました。
また、勝治は、
このようにまがりなりにも、先生に不自由をかけまいとすることのできたのは、私の同志とも、恩人ともいうべき、駿河重次郎さん御一家、時節にはお餅をかならず生徒に持たせてよこして下さるのでした。それにそのお隣の駿河さんの本家にあたる、通称「田頭」という家のお嫁さんのアサヨさん…投稿者略…よく私たち一家に気を配って何彼と届けて下さいました。それから田頭の同族のこれも通称「河原」というおばさん……
と述べていて、山口部落にはまわりに沢山の親切な方々がいたということも教えてくれる。続きへ。
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《新刊案内》
この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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