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《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)
四 「聖女のさましてちかづけるもの」のモデルは誰か
さてここまで調べてみた限りでは、露が〈悪女〉呼ばわりされる客観的な根拠はないということがわかった。さりながら、そうされた原因として考えられることの一つに、賢治の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕がある。
例えば、境忠一は、
(賢治は)昭和六年九月東京で発熱した折の「手帳」に、「十月廿四日」として、クリスチャンであった彼女にきびしい批評を下している。
聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
乞ひて弟子の礼とれる
いま名の故に足をもて
われに土をば送るとも
わがとり来しは
たゞひとすじのみちなれや((二十三))
と論じていて、賢治は露のことをこのようにきびしく〔聖女のさましてちかづけるもの〕に詠んでいる、と境は断じている。聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
乞ひて弟子の礼とれる
いま名の故に足をもて
われに土をば送るとも
わがとり来しは
たゞひとすじのみちなれや((二十三))
よって、「彼女(境は実名を用いていないが露のこと)」はクリスチャンだ、クリスチャンは「聖女」だ。だからこの詩の「聖女」は露であるという論理に当て嵌め、聖女の様をして賢治に近づいた露からその足で土をかけられたと賢治は詠んだ、と境は解釈していることになろう。そしてそう解釈した人たちは、露のことを〈悪女〉と誹るかもしれないから、この詩が原因となって〈悪女〉にされたということは理屈としては十分に成り立つだろう。
しかし、賢治周辺の人物で〔聖女のさましてちかづけるもの〕のモデルになりそうな人が露以外にいなかったのであろうか。もしそのような女性が他にいたとすれば、先の論理を単純に当て嵌めることには無理がある。そして実際、そのような女性がいた。
それは、森の『宮澤賢治と三人の女性』よれば、昭和六年七月に、「私は結婚するかも知れません」と賢治は森に語ったという((二十四))、巷間、「賢治が結婚したかった女性」ともいわれている伊藤ちゑその人である。ところが当のちゑは、自分と賢治とを結びつけようとする記事を書こうとする森に対して、「今後一切書かぬと指切りして下さいませ。早速六巻の私に関する記事、抜いて頂き度くふしてふして御願ひ申し上げます」とか、「ちゑ子を無理にあの人に結びつけて活字になさる事は、深い罪悪とさへ申し上げたい」という哀願や非難を森宛書簡の中に書いている((二十五))。さらに、これはあまり世間に知られていないものだが、同時代の「ある年」の一〇月二九日付藤原嘉藤治宛のちゑ書簡でも、
又、御願ひで御座居ます この御本の後に御附けなりました年表の昭和三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましたやうに出て居りますが…(投稿者略)…誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し再版なさいますやうな場合は 何とか伊藤七雄を御訪ね下さいました事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます((二十六))
というように、賢治の親友だった嘉藤治に対してもちゑは似たような懇願をしている。したがってこれらのことからは、ちゑは賢治と結びつけられることを頑なに拒絶していたということが導かれる。一方、当時のちゑは、「キリストの愛の精神」に基づい((二十七))てスラム街の貧しい子女のために慈善の保育活動をしていた『二葉保育園』で働いていた。あるいは一時期、同園を休職して伊豆大島で兄七雄の看病をしていたのだが、その兄は一九三一年八月に亡くなったので、同園に復職して再び献身的に働いていたという。のみならず、ちゑは、たまたま大島で知った気の毒な老婆に何くれと世話を焼き、その老婆に当時毎月五円もの送金をし続けていた((二十八))という。
では、あのような凄まじい憤りの詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕を露とちゑのどちらをモデルにして賢治は一九三一年一〇月に詠んだということになるのだろうか。
一般には、露が賢治から拒絶され始めたのは一九二七年の夏頃以降と言われているわけだが、それから四年以上も経ってしまった後の一九三一年一〇月に、露をモデルにしてあのような「憤怒の文字」を連ねた詩を賢治が詠むものなのだろうか。それよりは先に引いたように、その直前の一九三一年七月に賢治が「私は結婚するかも知れません」と森に語ったというちゑ、しかも当のちゑは賢治と結びつけられることを頑なに拒絶していたのだから、そのモデルはちゑの方であったという蓋然性が高いはず。となれば、少なくとも、モデルに当て嵌まり得る女性は露だけではないのだから、それを一方的に露だと決めつけることはアンフェアである。
換言すれば、そのモデルがちゑではなかったということを実証できない限り、しかも、そのモデルがちゑではないことを実証したということを公にした人は今のところいないからなおさらに、〔聖女のさましてちかづけるもの〕という詩は、先の
〈仮説二:高瀬露は悪女とは言えない〉
の反例にはなり得ない(なお、上田は同論文において、この〔聖女のさましてちかづけるもの〕に関する言及はしていない)。それから、この他にもこの仮説の反例となりそうなものが、一九七七年に『校本宮澤賢治全集 第一四巻』が、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と付言して「新発見の書簡252c」と言って公にした一連の書簡下書群を始めとして二、三あるものの、ここでは紙幅が足りないのでそれぞれの詳論は割愛させて貰うが、いずれも反例とならないことを私は既に実証済み((二十九))である。
というわけで、〈高瀬露は悪女とは言えない〉という仮説には今のところ反例が存在しないことを私は明らかにできているから、今後これに対する反例が見つからない限りはという限定付きの、〈高瀬露は悪女とは言えない〉は「真実」であるということになった。
なお、ここで改めて言っておきたいことがある。それは、
伊藤ちゑはスラム街の貧しい子女のために献身的に活動していたクリスチャンであり、また、身寄りのない憐れな老婆に毎月五円もの送金をしていたというような女性だから、まさに「聖女」と言える。
ということをである。よって露の場合もそうだったが、ちゑの場合もまた、〈悪女〉であったとは到底言えない。しかし現実には、あのような凄まじい憤りの詩が詠まれていたわけだから、誰に問題があったかはもう明らかだ。この詩のモデルとなり得る女性は他に見つからないからである。よって、詠む側の単なる思い込み((三十))に過ぎなかったと言われても致し方なかろう。どうやら、賢治は作家としてはずばぬけた天才だったが、人間としては私たちとそれほど違ってはいなかった、ということになりそうだ。
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『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
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来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」を開催しますのでご案内いたします。
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2024年6月9日(日) 10:30 ▶ 13:30
なはん プラザ COMZホール
主催 太田地区振興会
共催 高村光太郎連翹忌運営委員会
やつかのもり LCC
参加費 1500円(税込)
締め切り 5月27日(月)
先着100名様