みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

種山高原(4/26、残り)

2024-05-02 16:00:00 | 種山高原
《1 コブシ》(2024年4月26日撮影) 《2 》(2024年4月26日撮影) 《3 イタヤカエデ》(2024年4月26日撮影) 《4 キブシ》(2024年4月26日撮影) 《5 ミヤマキケマン》(2024年4月26日撮影) 《6 》(2024年4月26日撮影) 《7 》(2024年4月26日撮影) 《8 エンレイソウ》(2024年4月26日撮影) 《9 トウゴクサイシン》(20 . . . 本文を読む
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種山高原(4/26、ナニワズ)

2024-05-02 14:00:00 | 種山高原
《1 》(2024年4月26日撮影) 《2 》(2024年4月26日撮影) 《3 》(2024年4月26日撮影) 《4 》(2024年4月26日撮影) 《5 》(2024年4月26日撮影)  昨年まで(2023年 、2022年 、2021年 、2020年 、2019年……)と較べれば、ここのナニワズは激減していた。  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  あ . . . 本文を読む
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「石灰岩抹といわぬ日はなかった」

2024-05-02 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)  どうも、これでは宮澤賢治は羅須地人協会時代も東北採石工場技師時代もそれほど農民のために献身したとは言えなさそうだ。私は、賢治と農業についてどうやら勘違いをしていたのかもしれない。となれば、賢治が農業に関わった時代は花巻農学校勤務時代があるから、一度この時代を振り返ってみることが必要なようだ。  そもそも農家出身でもなかった賢治はなぜ石灰(石灰岩抹)に . . . 本文を読む
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種山高原(4/26、ネコノメソウ)

2024-05-02 08:00:00 | 種山高原
《1 ネコノメソウ》(2024年4月26日撮影) 《2 ヤマネコノメソウ》(2024年4月26日撮影) 《3 ツルネコノメソウ》(2024年4月26日撮影) 《4 》(2024年4月26日撮影) 《5 ミチノクネコノメソウ》(2024年4月26日撮影) 《6 》(2024年4月26日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  ある著名な賢治研究者が私(鈴 . . . 本文を読む
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