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『上流階級』 高殿円著

2019年12月14日 | パルプ小説を愉しむ
1作目が予想外に愉しめたので続けて2作目に手を伸ばしてみました。舞台は前作同様に関西の高級デーパートの外商部。今回闘う女が対決する相手は、お客の一人、朱里を愛人にしている暴力団幹部と超高級マンションをルームシェアしている良い家のボンボンでゲイの桝家の実母、そして男社会であるデパート外商部という存在。色々な相手と戦うことを通して、39歳バツイチ女の主人公、静緒は自らのアイデンティティを模索しつつ作り上げているのだろう。

相も変わらずに、静緒のアイデアは冴えまくる。外商というお仕事の本質は、モノ売りではなく人と人との関係を作ることという気付きから、マンネリ化した催事企画会でマッチングサービスを提案する。結婚相手を紹介しあうことも最終的には行うが、その前に同じ階級の人たちが安心して交わりあえる交友関係を構築するお手伝いをデパートの催事を通して行うという企画。丁度今週聴いたPodcastの中で、とある経営コンサルタントが「リアルな商売がすべてインターネットに取って代わられる、というのはアメリカのドットコム企業をばら撒いた幻影にすぎない。インターネットの攻勢によってリアル店舗が自信を失い、本来の商売の基本を忘れて安売りに走って自ら墓穴を掘ってしまっている。料理が美味しいだけではせいぜい月に1から2回程度しか行かない飲食店が、店員とのコミュニケーションを取るためなら週に何回でも行くのと同じ。小売業の店員は、趣味のみならず生まれ育った背景含めてお客を知っておく必要があり、店のお客ではなく自分のお客を持つように心がけないとこの先の小売は成り立たない」という主旨の話しをしていたことと重なったこともあり、「成るほど!」と思いつつ読み進めた。

第2作ともなると、物語の進行の中に著者の人生観とでも言うような主張が見え隠れする。小説を愉しみながらビジネス訓のヒントもゲットできると得した気分になれるものの、それがあまりに多いと次第次第に鬱陶しくなってくる。この小説では、ちょっと鬱陶しくなってきた入り口あたりで止まっていたので辛うじて鼻につかずに済んでよかった。

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会社というところは不思議なもので、手柄を立てた、あるいは有能な人間が有能さを評価されて出生するということはあまりない。手柄は立てた、それは評価する。しかし実際出世するのは、出世させるものにとって都合がいい人間だ。つまり無害か、その人間の手柄を独り占めできるくらい年次が空いているか。

孤独は100%悪いものではないけれど、沈殿する毒かもしれないと考えます。近いうひに僕らは必ず孤独になる。病や老いが必ず親を失わせ兄弟や友人たちは家族をもち、その問題で手一杯になる。仕事なんていつなくなるかわからない。自分が病気になったら会社なんて手の平返すでしょう。世間体のためではなく、誰かに言われたからでもなく、正しいとか悪いとかいう理由からでもなく、ただたんに自分が不自由だから孤独を回避する。それは生存本能で、けっして罵られるような行為ではない。



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大恐慌で破産の憂き目にあった元上流階級の兄妹の2人が、大叔父の遺産を受け継ぐというアメリカのコージーミステリーを読みながら、日本の上流階級を描いた小説はどんなもんなのだろうか、と比較のために読み出したのが『上流階級 富久丸百貨店外商部』。著者の高殿円は、この本を手に取るまで知らない作家だったのだが、書名に引かれて図書館から借りてきた。

読み始めは、神戸芦屋に住むお金持ちの家のリビングルームがどれだけ豪華なのか、超リッチな人々の生活を垣間見たい、空想して愉しみたいという軽い気持ちだったのだが、主人公である39歳バツイチ女性の鮫島静緒が、デパートの外商という男ばかりの職場の中で、女性初、転職組み、専門学校卒(=学歴なし)というマイナスを抱えつつも、ひたむきにお客さまのことを考え、デパートにも利益になるように日々悩みながらも悪戦苦闘しつつ、成長していく過程が描かれている一人の闘う女性の成長物語であることに気づいた時にはすでに遅く、この小説にどっぷりと嵌ってしまっていた。

父親を事故で亡くした主人公は、大学進学をあきらめて製菓専門学校に進むが、才能がないこととケーキを作るよりも売ることの方に興味をもつようになる。知り合ったパティシエの店を手伝ううちに、いろいろなアイデアを生み出しつつ、猪突猛進型営業を進める。単に売れつければという営業ではなく、お客さまのことも考えながら自らに無理を課してしまうような無茶振り営業。やがて、そのケーキ屋にお客がつきだし、デパートにも出店して成功を収めるようになる。すると、デパートから主人公を雇いたいという希望が来て、その後はとんとん拍子に成功が続く。行き着いた先は、かつて女性が働いたことがない外商という部署。業界でカリスマ外商員と呼ばれた人物の後釜になるべく、日々奮闘すれども目指す先は程遠い。そんな39歳女性の奮闘記であり成長記録でもある小説なのだが、話の中には主人公の過去の恋愛観と本当に求めていたものに気付いて愕然とする姿や、ゲイであることをカミングアウトできずに悶々としつつも表面は明るく振舞う外商のライバルとのぶつかり合い、お客さまたちの欲とエゴと矜持、そして何よりも外商と客という互いに必要としてはいるが一線を越えることのない立場の違い、等々が魅力的に描かれている。

外商というお仕事があることは知ってはいたが、どんなお仕事なのかをこの本を通して知ることができた。お話の中では、デパートの売り上げの3割を占めているということだが、実態はどうなのだろう? 外商を贔屓にする客というのは、忙しい時間をお金で買っている人もいるだろうし、外商員の目ききを信じて任せていたり、一般人に混じって行動することができなかったり(例えば、その筋の人々)好きでなかったりする人たちだったりもする。すべてに共通するのは、そのデパートの信用を外商を通じて買っているということで、その分が金額として乗っていても構わないという意味ではリッチな人たちに限られる。羨ましい.. この羨ましさこそが、私が垣間見たかった要素そのもの。

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主人公を引き上げてくれたカリスマ外商員が教養をこう定義している。
教養とは頭の中につめこんだテキストではありません。教養とは、振る舞いです。手間暇かけた身なりと正しい日本語と落ち着き。
手間暇が必須条件と言われると違うと言いたくなるが、でも身なりは同意する。あくまでも、自分勝手な装いではなく、相手のことを考えリスペクトし、それを身なりとして表している限り、それは教養だと同意する。

結婚してていいな。ダンナさんが有名企業に勤めていていいな。美人でいいな・・・・。若さが免罪符になるのは二十代までだ。自分ができない、持っていないことのいいわけを無くした大人は、三十代を過ぎていよいよ丸裸にされる。たかだか年齢が積み重なっただけなのに、愚痴も泣き言も許されずかんじがらめになり、いよいよ窒息していくか、それとも辺り構わず吐き出すか。
免罪符という強い言葉がいい。年を取るごとに逃げ場がなくって息苦しさが徐々に増し、ますます逃れなくなっていく。それが人間社会の性であるということを暴いている文章だが、できることならばもうちょっと言葉を重ねて追い討ちして欲しかったな。

他人をうらやむのはいい。そこをもくひょうに目指すこともいい。ただそれが妬みになってしまってはダメだ。いいなあ、という妬みの言葉は害悪でしかない。

みんなが強く望んで、それを手に入れるために努力してもがくようなことが、最近は少なくなっているように感じていた。お金を貯めて貯めて女の子を乗せるために車を買ったり、背伸びしてブランド品を買いにハワイに言ったりするような、長い間百貨店を支えてきた”憧れ”が失われてしまっている。だれも憧れなくなった。簡単に手に入るもので満足するように、そういうふうにするしか道がないように、見えない大きな手が旗を持って誘導してしまったのだ。
デパートを舞台にした物語だから消費は美徳となっているが、片方で単にCMに踊らされて必要ないものを幻想のように追いかけさせられていただけという見方もある。どちらにして、憧れという存在がなくなってしまった世の中は寂しい限りだと思う。たとえ、それが作られた幻想であったとしても。夢は夢であるだけで価値があり美しいものだと思うから。




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