goo blog サービス終了のお知らせ 

べんりや日記

住まいのこと、情報発信!

伝統を未来につなげる会

2009-12-19 14:57:17 | 伝統構法について
瑕疵担保履行法や建築基準法改正により
伝統構法の継承が危ぶまれていましたが、
2~3年前から知識人や技術者による要請によって
国交省の見直しや研究が進み、
伝統木組みが認められてきています。


「伝統を未来につなげる会」が「伝統木構造の会」を母体に各地の団体が賛同し、国交省との交渉を有利に進めるべく発足しました。
山の木を使って、日本古来からの伝統技術を継承し、大工や各職種、刃物や金物職人に至るまで、伝統を未来に継承していこうというのが目的です。

チラシは、福井の直井棟梁がアップになっていますが、

   「若い大工に家づくりをさせて欲しい」

との、切なる要望になっています。
「伝統木構造の会」会長である「増田一眞」先生が、命を削っての大工技術を残そうという意欲が伝わってきます。
当社の所属する「越後にいきる家をつくる会」も賛同団体として名を連ねています。
日本各地の伝統を継承する大工棟梁が賛同し、国交省と共に日本文化を未来に残すことができればと思っています。


伝統を未来につなげる会


  関連記事



増田先生の講習会の様子
 越後にいきる家をつくる会主催

さくらんぼ保育園
 増田先生が構造設計された作品(埼玉)

新潟の古民家
 各地の伝統構法の家の紹介

山の木の流れ
 自然のサイクルに沿った家づくりは環境負荷が少ないエコロジー住宅です

越後にいきる家をつくる会
 新潟県産材を使った伝統構法の家づくりをすすめています

伝統構法の目次へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上 町屋の基本構造

2009-09-12 00:14:26 | 伝統構法について
ここでは町屋の内部の様子と、構造を解説します。
村上の町屋は間取り上、構造上に共通した部分があります。
玄関から入ると、座敷の脇に土間があり、この土間が建物を貫通し、ずっと続いています。
土間から靴を履いて各部屋へと移動できます。同じく部屋から部屋へと移動もできます。
来客者は、この土間を通って、何処からでも部屋へ入ることができます。
コミュニティ性の高い間取りで、商店と言わず、公民館や集会場のような役割も果たせるので、町おこしにはうってつけの形状となっています。




土間がずっと続いています。


上から見た座敷と土間。
座敷は続き間になっていて、仕切りに「差鴨居(さしがもい)」が入ります。
差し鴨居に建具をはめて、部屋を仕切って使えます。


柱はケヤキを使っている場合が多く、そこに差鴨居がからみます。差鴨居もケヤキが多いようです。
小屋の重量を支えるため、強度のあるケヤキが多用されます。


小屋梁と中引(なかびき)が交差し、その上に束。それを結ぶ「通し貫」が四方に広がります。湾曲した小屋梁が美しい。
金物は使っていません。栓、クサビのみで固定しています。


断面図
右側が道路です。
道路から土間の部屋(店の場合が多い)に入り、そこから座敷、和室へと続きます。
土間の部屋の上には2階が載ります。
座敷や和室から2階に上がる階段があり、左右の2階部屋は独立していて、専用の階段から上がります。

真ん中の和室や座敷には囲炉裏があり、ここで出た煙が屋根裏へ登り、棟から換気されます。




外観
「平入り」という道路に沿って屋根の軒が平行に向いていて、軒先の下から家に入る造りです。
入り口と縦格子の入った窓が印象的。屋根は道路側に軒が向いています。瓦屋根が殆どです。


玄関先の下屋。
2階の載る部分に力桁(丸梁)がかかり、3間のスパンを支えます。
化粧タルキが美しく映えます。


隣の家とは壁1枚でつながっています。屋根まで隣の家とつながっているのにも驚きです。
建築基準法では考えられない建て方です。
(民法では最低50センチ境界から離すことになってます)




城下町情報館の場所



大工~伝統技術について・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上市 町屋の屏風まつり

2009-09-11 19:44:04 | 伝統構法について
昨日から開催されている「屏風まつり」へ行ってきました。
村上の町屋は殆どが古民家で、町興しとして雛人形を飾ったり、屏風を飾ったりしています。この日は、平日にもかかわらず、新潟市や関東方面の観光客が多数訪れ、屏風を飾った町屋を堪能していました。

私はといえば、午前中、「越後の匠の家普及協議会」にて村上市の「塩谷」の古民家調査に来たのですが、午後は村上市街地の町屋探求に赴き、丁度「屏風まつり」のイベント中で、堂々と店の中に入れるので、古民家の仕様がまじまじと見れました。



美しい町屋が建ち並ぶ村上市街地


こんな風に座敷に屏風を展示している店が点在します



店の中から外を望む・・
暗がりに明るい光が入ってきて、「いい感じ」です。


見上げれば、梁や中引きが交差する小屋組みが表しになっています。
障子の存在が引き立ちます。


小屋の明り取りから陽が差し込んできて、梁を照らしています。



どこか、懐かしいな~と思っていたら、私の作ってきた家に似てました。
昔ながらの家作りが私のDNAに刻まれている・・古民家はその家作りそのもので、携わる家は、やっぱり昔ながらの家になってしまう。
でも、全くの伝統様式ではなく、現代風にアレンジしているのでしょう。

私の作る家が「落ち着く」と誰もが感じるのは、この古民家がルーツだったからなのかも知れません。
日本人のDNAに昔からの家が刻まれていて、何故か引き寄せられ、懐かしさや落ち着きといった感じが沸いてくるのかもしれません。


大工~伝統技術について・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古民家から学ぶ 寺泊町の古民家の工夫

2009-09-10 19:06:04 | 伝統構法について
前回視察に行った寺泊の古民家の耐久性を持たせる工夫をあげてみます。
構造は、次のようになっています。


3間間口で、梁間方向は殆ど壁が無く、差し鴨居の上の土壁で横荷重を負担させています。
母屋は4.5尺飛びで、棟木まで1.5間。
軒の高さは4mに抑えることで、風雨からの荷重を出来るだけ減らしています。
土台は大矢石の上に乗せ、差し鴨居、小屋梁は栓、楔を打って固定されています。




軒の部分
小屋梁が外壁より出ていますが、
これを風雨から保護するために板が打ってあります
腐ったら取り替えれば良い

それに対して、中間の床梁が外壁より出ていません。
潮風と暴風雨によって腐食しないようにワザと外壁の中に収めています。


海側に伸びた建物


その海側は、増築されています。
増築部分は古材等を使った、比較的簡単なつくりになっています。
風雨によってボロボロになる部分を作り、それを定期的に取り替えることによって、
本体(古民家)部分をできるだけ長く持たせようという工夫があります。

「本体構造の重要な部分」と「付属部品を容易に交換できる部分」
とに明確に分け、腐ったら取り替えるという作業を繰り返すことで、本体の主構造を末永く使うといった工夫が見受けられました。



大工~伝統技術について・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古民家に学ぶ・・ 寺泊町 越後匠の家普及協議会

2009-09-07 23:05:56 | 伝統構法について
新潟県版長期優良住宅の仕様を検討するために、県の建築組合有志とチーム・テラ(長岡の建築士グループ)により「越後匠の家普及協議会」を結成し、まず100年以上建っている古民家から長期優良住宅のヒントを得ようと、県内各地の古民家を回っています。
今回は寺泊町でした。




今回、視察させて頂いた民家
軒までの高さは4mと通常の家よりも2mも低い。
海からの強風に耐えるためにわざと低くした?
3間×12間という鰻の寝床です。


玄関・
昔は土間が打ってあったらしいです。(現在は板敷き)
天井が低い

玄関から外を眺める
明るい光が入ってきます。



2階の客間
5尺(1.5m)しかない骨組みから昇り天井によって部屋の高さを確保しています。
最小限の高さです。


2階から前の道路を望む
建物が低いので、街道の人並みが近くに見えたでしょう。
暗がりの部屋から明るい外の眺めが良い感じです。


中引(なかびき)と梁が交互に重なっています
囲炉裏で燻された梁は黒光りして、渋い感じです。
梁の曲がり具合も良い。


ケヤキの差鴨居
この家を支える差鴨居(さしがもい)です。
4.5寸×1尺2寸(135×360㎜)、それを受ける柱は5寸(150㎜)
何百年も支えてきた・・


この家の最大の特徴は、梁間方向の壁が無いことです。
3間(5.4m)の間に柱が3本立ち、その間を差鴨居で結び、その上の土塗り壁で、横からの力を受けています。
この辺は海からの強風が一番の荷重なので、海側に向かって伸びている形として、強風の荷重は桁方向の壁で受けています。
梁間方向は家を連ねて風が横から入らないようにしています。

それでも、地震はどの方向から揺れるか分かりません。
雪が少ない地方なので、雪が屋根に乗った状態で地震が来る心配も無く、差し鴨居から上の壁で、もたせることができすようです。
新しい地震では、新潟県中越沖地震、その前の新潟地震が横からの荷重だったわけで、それでも耐えているのですから、驚きです。

建物の高さを低く抑えることも、地震時の力を増大させない効果を得ています。(風に対しても有効です)

構造的な美しさ、意匠的な美しさが重なりあったときが、本当にその建物が美しくみえます。
そういった家をつくっていきたいものです。



ヒアリングの様子
先祖代々、この家を丁寧に守ってこられました。
古民家は「宝の山」です。


町並みの様子
階段から見下ろすと、山と浜辺のわずかな空間に街道が通り、
その両方に家が密集して町並みを形成しています。
昔は道に面する長さで「年貢」が決められたため、間口が狭く、
奥行きが長い家になっています。


寺泊は漁港として栄えた町で、裕福な家が多かったようです。
その名の通り「寺」が50mごとにあるのも、この町の特徴です。
立派な山門のお寺も発見!でも時間が無いのでゆっくり見れませんでした・・



古民家を見ると、次の家の設計に意欲が沸いてきます。
どうやって、応用しようかと言うところ。
特に、今回は、最小限の高さでも十分に活用できる構造を学びました。
構造材がすぐ目の前にあることで、木材がもっと身近に感じられ、守られている感じがします。
3間梁間×2間桁行きの最小限のユニットを上手く活用できる間取りも参考になります。
私の設計のヒントは、こういった古民家や社寺建築にあります。
(下手に大手のモデルルームへ行くよりもインスピレーションが沸きます)


また、今回の古民家でも、昔の大工の工夫が発見できました。
そういった工夫が必ず建物にあるものです。家を建てることは工夫の集大成です。
「これでいい」というものはなく、どんな建物にも大工の工夫があり、それを発見する楽しみがあるのです。

「何故、こうなっているのか」
それには、ちゃんと理由がある。

普段から木に携わっていると、共感できるところもあります。
同じ悩みを抱えていた昔の大工が一つの答えを出して木に挑んでいった姿が目に浮かびます。
そういった先人の知恵と勇気と経験を新潟県版の長期優良住宅に活かしたいところです。


つづく・・・



大工~伝統技術について・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高柳町荻ノ島 古民家視察 越後の匠の家普及協議会

2009-08-21 18:55:51 | 伝統構法について
本日は、新潟県建築組合と設計士とから構成される「越後の匠の家普及協議会」にて、古民家の視察へ行ってきました。

越後の匠の家普及協議会は「新潟版長期優良住宅」の仕様を研究しているのですが、古民家が耐久性を高めるためにどう工夫しているのかを調べれば、それをこれからの建物に活かす事ができます。

「古民家に学べ」

ということです。



高柳町荻ノ島村落
茅葺屋根の古民家が環状に建ち並ぶ村です。











中央にある「荻野屋」
17年前に農山村活性モデルとして新築したもので、宿泊が可能です。


茅葺の葺き替えをしていました。
長岡の業者だそうです。(全国何処へでも行くらしい・・)
貴重な技術の継承です。


荻野屋の囲炉裏部屋から外を望む・・
ここのおばさんも親しく話してくれ
てなんとも和やかな雰囲気でした。


この古民家が今回調査する建物です。
本屋は茅葺屋根ですが、鉄板で覆っています。


屋根に三角の穴が開いているのは、
ここから囲炉裏の煙を出すため。



内部視察の様子
南側のランマが明るい。
各寸法を計測している人もいます。
手前は「サトウクリキ」さん。家主の方からヒアリング中。



古民家内部の様子
ランマ窓からの光で明るい座敷です


小屋組み。
長期間囲炉裏に燻されて、黒ずんでいます。


おおまかに書いた構造図
典型的な「サス構造」です。


サス構造は日本版トラス構造で、古民家の代表的な作り方で、この延長が合掌づくりです。
トラス構造は細い材料でも有効に使えるため、山の木を使うにはうってつけの構法でしょう。


そこに生えている木を使って、丈夫な家をつくる


新潟県版超長期優良住宅は、国産材はもとより、県産材をふんだんに活用する仕様に仕上げたいものです。
次回は寺泊町の古民家を調査する予定です。



荻ノ島村落の場所




大工~伝統技術について・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柏崎 蔵補修なるか?

2008-08-04 23:29:53 | 伝統構法について
先月17日の週は、いろいろな用事で目白押しだった。
さらに、その次の週や、先週は、あれやこれやでバタバタだった。
極めつけは、昨日の大手通りの歩行者天国での木工工作教室(?)か?(次回の話題はこれか?)
そう、巷では「長岡まつり」が開かれる季節となったのだった。

こちらは、それどころではない・・・・

日本住宅新聞から先日の座談会の原稿の赤入れ要請が来ている。
(見てる暇ないじゃん・・しかも明日締め切りだし・・)

伝統木構造の会と越後の会の交流会が10月に開かれそうだ。
これからの、伝統構法を語る機会となるだろう。

それよりも、いまの仕事を終わらせなければ・・
連日気温30度を超す日が続く中、中島H邸の柱磨きを行っている。
墨汁と弁ガラを混ぜて着色した柱や梁を、ぼろきれで磨く。
10年くらい磨いたような光沢が出てくるまで磨くのだ。
これが、力が要る作業で、根性も要る。
家に帰るとへとへとになるのだが、その工程が終了しなければ、カキシブは塗れない。
カキシブ自体は、色が付くわけでもなく、光沢を出すものでもない。
単に、着色の定着(酸による)が主体で、あとは表面保護。
(後に、カキシブだけでもある程度焼けることが判明したが、褐色までには至らない)
磨く作業のとき、家の人の顔を思い浮かべ、その人たちの「家内安全」だのを祈願しながら磨くので時間がかかるのだった。
とりあえず、水廻りは終了したので、表具屋さんに(珪藻土)壁紙を張ってもらって器具付けを進めよう。


そんな時に、いろんな仕事が出てくるものだった。

写真は、柏崎の蔵である。
中越沖地震の影響で、柱が傾いている。当然、土壁は崩壊。
多くの蔵がこのような状態で取り壊されているのに、めずらしく、
「直してほしい」
との依頼。

江戸時代に建てられたこの蔵は、中越地震、中越沖地震と2度の地震を受けているが、まだもちそうな気配だ。
地震の時、土壁がピシピシと音を立てて、崩壊していき、最後に骨材の状態で揺れてこの常態となっらしい。
土壁は、崩壊することで地震のエネルギーを吸収する。
落ちた土はまた練り返して塗ってやれば、また使えるリサイクル性の高い材料なのだ。
あとは、歪んだ骨を元に戻す作業だが、地震の時に何回か「起こす」作業はしてきたので、なんとかなるだろう。

ここのご主人と、地震の話で盛り上がってしまった。
中越沖地震は夏の地震だったので、風呂、洗濯に苦労した事など・・
冷蔵庫にあった肉類が腐ると悪いので、その日は豪華に焼肉パーティーだったこととか・・

同じ地震を経験し、乗り越えてきたもの同士しか分からないことです。
はやく、直すプランを持っていきたいのですが、、なにせ現在はバタバタしてまして・・
もうちょっと待っててね。


大工~伝統技術について・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷川邸 長岡木造振興研究会 見学

2008-07-10 20:55:11 | 伝統構法について


長岡振興研究会の見学が開催されました。

研究会のメンバー自体は10人程度なのですが、建築組合、設計士組合、木材商組合、森林組合、長岡職員を集めて、市のマイクロバス2台という大所帯。

見学コースは、

○和島小学校(木造新築現場)
○長谷川邸改修工事(旧越路町)
○神田県営住宅(木造3階建ての新築)

で、いずれも市のからむ木造工事です。

「長岡木造振興研究会」は平成12年に結成しています。
公共建築物の木質、木造化を図る研究会で、建築組合、設計組合、木材商組合、森林組合、長岡市建築住宅課の有志で組織し、平成14年度に「木」という木造検討の報告書をまとめたり、講演会を開催してきました。
ちなみに志田材木社長が会長で、私は副会長。

中越地震により、忙しくなり、途中活動は休止しましたが、その間に「中山間地復興モデル住宅」の母体となり活動を続け、ようやく地震の復興も落ち着き、見学会を開催できる余裕がもてるようになりました。


写真は、長谷川邸で、江戸時代中期に建てられた伝統構法の館です。
茅葺屋根と指し鴨居、梁、土塗り壁が印象的な長岡を代表する古民家となっています。
平成初期に改修が行われましたが、中越地震により被災。
地盤が下がったり、差し鴨居の仕口が割れるなどの被害がありました。

改修にあたり、地盤を柱状改良して足元を固め、構造の補強(金物)を行って土塗り壁を補修している最中に、「新潟県中越沖地震」があり、またまた補修工事が延びたという経緯があります。

それでも、地盤を補強したということもあって、被害は少なかったとのこと・・


長谷川邸の特徴は、建物北、西に座敷が広がり、庭が眺められます。西中央に玄関、中心部に土間。南側は土間打ちで窓が一つも無く、真っ暗な広い空間となっています。
現代の設計では、まず南側に広々と開口を設けて光を取り入れるのでしょうが、その逆です。

おそらく、何か思案があったのでしょう(ひょっとしたら、家相だったりして・・)

構造は、メインフレームの大黒柱、差し鴨居の大きな骨組み部分には壁が一つも無く、そこから3尺外に柱を立てて、そこに壁を設けています。

「木組みでもたせてやる。壁なんてたよらない」

という、棟梁の心意気が感じられます。
地震による荷重は外へ向かって働くので、あえて外側で耐力を持たせ、中心の骨組みに影響を与えない工夫だったのかも知れません。
これからの設計に活かせるような気がします。

・・ということに気が付いていたのは、マイクロバス2台のうち、私だけのようでした。たぶん、古民家を見たというだけで終わってる人が多いんだろう。
一つ一つ、実は隠された真実があったりして、それを見抜く目を養ってきた。
勉強になる所はいくらでもあるし、それを自分の建物に活かす工夫のきっかけになるはず。

ほんの40分くらいの間でしたが、あと半日見ていれば、もっと色々なことが分ったのでしょう・・
地震があと10年遅ければ、木組みを活かした改修ができたのに・・残念!!


大工~伝統技術について・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする