べんりや日記

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湯沢町瑞祥庵 金剛力士像 石川雲蝶(3)

2009-08-19 14:11:52 | 石川雲蝶を訪ねる

山門通路から向こう側を見る・・・異次元への扉の様でもあります。




正面全景
1階の通路両側の格子内に雲蝶の仁王像が安置されています


山門は通常、魔除け門で神社では狛犬やキツネの代わりに入り口を守っているのですが、この門は2階が鐘突堂になっています。
2階に上がるのは1階通路の片側の板戸を開けて階段になっています。

2階部分は鐘を吊るす広い空間になっているので、柱は外側のみの構造です。
2階はぬれ縁がせり出して手摺(欄干:らんかん)が設けられ、軒先はそれよりも迫り出すことで雨や雪をしのいでいます。



「方丈山」と書かれた看板
縁採りに竜の彫刻が施され、看板を支える「掛け」は
河童が両足を交互にさせていて可愛い。
全体に「水」を表しているのでしょうか?



軒裏の「端ね木」(はねぎ)
化粧タルキが美しく映えます
本屋の化粧桁は「象」の彫刻が施されています。
まるで日光東照宮の様な感じさえあります。


1階部分はこの建物を支えるため、柱は通し貫によって柱同士を固定しています。
(端の柱の中間の四角い飾りのようなものが通し貫の端・・かなり太い)



柱の脚は鉄板が巻かれていますが、腐ったときに根継ぎで交換ができるようにしてあります。
内部の差鴨居(さしかもい)や柱は「ケヤキ」を使っていますが、外側は杉を使用しています。これは風雨にさらされてもいいように「杉」を使うことで耐久性を高めています。また、内部に力の掛かる柱は強度のある「ケヤキ」を使っています。

材料はその当時この辺りに生えていた木を使っていると思われます。
そこにある材料を上手く適材適所で使って、より長く持たせる工夫があります。


そして、この写真から1階の端の柱と2階の柱の位置が柱半分程度ずらしてあることがわかります。
1階の丁度仁王像の安置されている格子の上の台輪から2階床を構成する濡れ縁の「端ね木」(はねぎ:斜めに張り出している材料)の部分で2階の柱を受けていることになります。
即ち、1階と2階は全く別の構造となっていて、1階部分に2階部分がそっくりそのまま乗っている形なのです。これは「五重塔」(五重塔の考察にて解説)と同じ原理になっています。
五重塔は各層が別々の構造で、地震時には各層が全く別の方向に揺れます。
同じ方向に揺れると、最大揺れ幅が大きくなり、転倒する危険があるのです。

2階部分の小屋を構成するのは「斗共」(ときょう)による本格的な寺社様式の造りになっています。1階は差鴨居を中心とした「民家型」の構造です。飛騨・高山で見た古民家の流れがあるような・・・ひょっとしたら地元の大工による競合作なのかもしれません。



境内の木々に守られながら、夏の夕暮れに映える山門
鐘の音が響き渡ります



この建物は「鐘突堂」です。2階で鐘をつけるので3mを超す豪雪地帯での湯沢中里でも冬も休まず鐘を突くことができます。

丁度、お坊さんが時間を継げるために、2階に上って鐘を打つ場面に遭遇しました。普通の鐘突き堂は吊り鐘のみの音なのでしょうが、この建物全体が反響しているようで、独特な音色でした。

ゴーン・・ウオン・・ウォン・・ウォン・・ウォン

・・と、かなり長い時間、鐘が反響しています。
江戸時代からこの鐘の音がこの辺りの時間を刻んでいたのでしょう。


瑞祥庵の場所




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湯沢町瑞祥庵 金剛力士像 石川雲蝶(2)

2009-08-18 12:07:38 | 石川雲蝶を訪ねる
雲蝶の仁王像を前に、思ったのは、

「ユニーク」

というところです。
通常、金剛力士像は「力強さ」や魔除の「恐ろしさ」を表現するのでしょうが、どちらかというと「楽しさ」みたいなところがあります。
江戸時代末期ともなると、庶民に余裕が出てきたのかどうかはわかりません。逆に貧しさや幕府の重圧を紛らわせるために、あえて「面白さ」みたいな要素を入れているのかも知れません。

確かに、仁王像の全体には、肉体の力強さがみたいなものがあります。
でも、メタボな腹、にょきっと出た足はむしろ人間っぽい。
目を見ると、「迫力」というよりも、むしろ「穏やかさ」や「ユニークさ」がにじみ出ています。足にしかれている「鬼」もなんだかユニークな表情をしています。

この世の憂いや悲しみを表現するよりも、生きている楽しみ・華やかさ・面白さを表現したいのが雲蝶の性格なのかも知れません。




雲蝶の金剛力士像よりも、その像が入っている山門のほうが私としては気になるところでもあります。上棟から100年も経っていても「美しい」プロポーションをしている。
仁王像がこの建物を守る魔除けとして「従たる」ものならば、「主たる」この建物がメインではないでしょうか?

(3)へ続く・・
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湯沢町瑞祥庵 金剛力士像 石川雲蝶(1)

2009-08-17 16:52:17 | 石川雲蝶を訪ねる
三条市に籍を置き、魚沼地方や三条方面で数々の彫刻を残した「石川雲蝶(うんちょう)」は江戸時代末期に活躍した名工です。

・・・ということを、つい先日、旧栄町のTさんの奥さんに教えてもらったのですが、地元でそういった彫師がいたというのを知らなかったのは、恥ずかしいところです。
どの時代かといえば、良寛さんより少し後の時代で、江戸末期から明治時代にかけて江戸より移り住み、三条にて寺社建築の彫刻を手がけたということです。

三条は金物の町・・県職を退職し、「ものづくり」を通して地元の木を活かそうという試みをはじめたTさんですが、最近は「雲蝶」のガイドに・・と三条市の観光課から声がかかっているようで、忙しい方であります。
「越後のミケランジェロ」というキャッチフレーズで観光資源としての雲蝶の作品をアピールしていこうという県の動きに乗る形となっていますが、当の本人は彫刻の美しさよりも、どのような木をどんな道具を使って何を表現しようとしたかというところを強調したいとのこと・・


そんな動きがある中、私の上さんの実家(湯沢町)のお寺(瑞祥庵)に、その雲蝶の仁王像が奉納されていたのには、何とも不思議な縁だと思い、お盆の帰省中に立ち寄ってみました。私の「雲蝶」はこれが始めてとなります。(ひょっとしたら、観てるのかもしれませんが・・意識して観るのはこれが最初です)



正面にある看板


湯沢町指定文化財

  彫刻  仁王尊 二体

              大字土樽(おおあざ・つちたる) 瑞祥庵


曹洞宗瑞祥庵樓門(たかどのもん?)の西側に安置されている仁王尊二体は、幕末から明治初年に越後で才腕を振るった三条市の石川雲蝶の作品である。雲蝶は文化11年(1814年)江戸雜司ヶ谷に生まれ、姓を石川、名を正照、雲蝶と号した。越後に来てから三条市四ノ町酒井弥助に見込まれて用紙になった。一般では三条の安兵衛と呼ばれていた。
雲蝶の作品は、越後各地はもとより魚沼郡内に多くの作品を残している。
小出町大浦の西福寺開山堂、堀之内町根小屋の永林寺欄間、塩沢町鈴木屋の薄荷圓看板、湯沢町中里の瑞祥庵仁王尊一対などは、魚沼に残した雲蝶の代表作であろう。瑞祥庵の仁王尊じゃ、いつ頃刻まれたのか明らかではないが、樓門が再建されたのが弘化4年でそれから数ヵ年であると伝えられているから安政以降ではないかと推定される。

  阿(あ) 金剛力士像 像高173.5㎝
  呼(うん)金剛力士像 像高183.0㎝

 台座は邪鬼で、裏に「三篠彫工・石川匠雲蝶」と刻みがある。




(2)へつづく・・
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