今年の日本薬剤師会学術大会で中西敏夫会長は、2006年度は薬剤師の歴史が始まって以来の大きな変革の前触れを実感する年だと学会の冒頭で語った。変わらざるを得ない、変わらなきゃいけない、そういう意味だろう。
変わるための行動を取るのは薬剤師以外にいないが、変わったかどうかを判断するのは、薬局側ではない。その顧客であり、国民が評価する。小手先で済ませたり、目先を変えた程度では、変革の評価は得られず、いくら“変わった”と主張したところで始まらない。
表面や外見を少しいじった程度では、せいぜいマイナーチェンジの域を出ず、根っこの部分は何も変わっていないんだ、ということが相手にもバレてしまう。その程度では変わったウチには入らないと、むしろマイナス評価として跳ね返ってくることすらある。
見栄えを変えても元を変えずにいるということは、「元は変えたくない、変えずに済ませたい」ということの裏返しでもある。計らずもそういう逆のメッセージを送っていることにもなってしまう。
人は成長したい、あるいは深化したいという想いを基本的に持っている。今のままでよい、あまり変えたくないなんていうのは、成長過程にある者の言う言葉ではなく、ある地位や状況に達し、満足している者のいう言葉であろう。そういう人が逆メッセージを発する、いわば無意識に保身を優先させているのではないか。
変わらなきゃいけない今、一方で変わりたくない人がいる。薬局は医療提供施設としてリスタートを切らなければいけないというのに、チェーン薬局では「会社」の論理で足元を固めようとする者すらいるという。6年制を持ち出すまでもないが、ますます専門性や倫理性が求められているにもかかわらず、そうでもしなければ自分たちを維持できないからではないかと思われる。
そもそもその程度の者だから、これまでも「変化」は提案されてこなかった。変化こそ生き残りや使命だと考える経営者は、自らが先頭きって変化に突入していった。しかし保身が強い者ほど、変化は最小限に留めたく、あるいはかなりの高確率で成功が保証されなければ変化は受け入れられないとする経営者がいる。
守旧派は、変化の波を前に、それが自分たちの行ってきたこと、足跡に対する否定に写るのではないだろうか。もともと先読みして、時代を先取りして、切り開いて来ようとしてきた者ではない。そんな経営者に対し、誰が尊敬し、ついていこうと考えるのだろう。
変革の時期に求められているのは、過去の否定であり、発想の否定である。これまでの考え方は、今後通用しない。だから周りに対してこれまでの自分たちは間違っていたという謝罪こそ、優先すべきではないだろうか。同じ発想が残されたまま、新たな提案をしたところで、成り立つ土台が変わらない以上、効果的なものは出来上がることはないだろう。経営者は絶大な権限を持ってやってきた、それに見合う謝罪とは簡単に済むものではないだろう。
ましてや大きなトラブルを起こしたり成果を残せて来なかった者は、明らかに運営能力、判断能力の欠如を自らさらけ出してしまったようなものだ。潔い対応しか、残されていない(求められていない)のではないだろうか。
見据えるべきは自分自身の事態ではなく、薬局の将来であり、利用者の健康であろう
変わるための行動を取るのは薬剤師以外にいないが、変わったかどうかを判断するのは、薬局側ではない。その顧客であり、国民が評価する。小手先で済ませたり、目先を変えた程度では、変革の評価は得られず、いくら“変わった”と主張したところで始まらない。
表面や外見を少しいじった程度では、せいぜいマイナーチェンジの域を出ず、根っこの部分は何も変わっていないんだ、ということが相手にもバレてしまう。その程度では変わったウチには入らないと、むしろマイナス評価として跳ね返ってくることすらある。
見栄えを変えても元を変えずにいるということは、「元は変えたくない、変えずに済ませたい」ということの裏返しでもある。計らずもそういう逆のメッセージを送っていることにもなってしまう。
人は成長したい、あるいは深化したいという想いを基本的に持っている。今のままでよい、あまり変えたくないなんていうのは、成長過程にある者の言う言葉ではなく、ある地位や状況に達し、満足している者のいう言葉であろう。そういう人が逆メッセージを発する、いわば無意識に保身を優先させているのではないか。
変わらなきゃいけない今、一方で変わりたくない人がいる。薬局は医療提供施設としてリスタートを切らなければいけないというのに、チェーン薬局では「会社」の論理で足元を固めようとする者すらいるという。6年制を持ち出すまでもないが、ますます専門性や倫理性が求められているにもかかわらず、そうでもしなければ自分たちを維持できないからではないかと思われる。
そもそもその程度の者だから、これまでも「変化」は提案されてこなかった。変化こそ生き残りや使命だと考える経営者は、自らが先頭きって変化に突入していった。しかし保身が強い者ほど、変化は最小限に留めたく、あるいはかなりの高確率で成功が保証されなければ変化は受け入れられないとする経営者がいる。
守旧派は、変化の波を前に、それが自分たちの行ってきたこと、足跡に対する否定に写るのではないだろうか。もともと先読みして、時代を先取りして、切り開いて来ようとしてきた者ではない。そんな経営者に対し、誰が尊敬し、ついていこうと考えるのだろう。
変革の時期に求められているのは、過去の否定であり、発想の否定である。これまでの考え方は、今後通用しない。だから周りに対してこれまでの自分たちは間違っていたという謝罪こそ、優先すべきではないだろうか。同じ発想が残されたまま、新たな提案をしたところで、成り立つ土台が変わらない以上、効果的なものは出来上がることはないだろう。経営者は絶大な権限を持ってやってきた、それに見合う謝罪とは簡単に済むものではないだろう。
ましてや大きなトラブルを起こしたり成果を残せて来なかった者は、明らかに運営能力、判断能力の欠如を自らさらけ出してしまったようなものだ。潔い対応しか、残されていない(求められていない)のではないだろうか。
見据えるべきは自分自身の事態ではなく、薬局の将来であり、利用者の健康であろう
しかしサービス提供側は、できることなら、極力自分たちのことは変えずに済ませたいと思う。 なぜなら
・今のままを変えないのが効率的であると考えるし
・「変える」ための投資をしなくて済むし
・「変える」エネルギー、苦労をしなくて済ませたいし(だから、部下にだけあれこれ指示を出すだけで、出来なきゃ部下のせいにするだけ)
・今の安定した状況(とくに地位)を維持したいと思う
・・・からだ。
つまり、自己保身が変化への対応を阻む、諸悪の根源だといえるのではないか