DRUG magazine 11月号 p.9 を読み、その中の「今年に入ってからは登録販売者制度を6月に導入し、薬剤師職能の一部を他職種に譲り渡し、テクニシャン制度の間口をこじ開けた」という一文を目にし、はっとさせられた。テクニシャンというものを、調剤の場面でしか意識していなかったからだ。迂闊だった。
テクニシャンというものを、その役割か業務で考えていた。そうでなく機能でとらえておかねばいけなかったのだ。アメリカで言われているような、ズバリそのような業務をしないまでも、同じ概念の職種が導入されたら、そのコンセプトが追って調剤にも導入されてくる可能性があるわけだ。それが“間口をこじ開けた”という意だ。
同じDRUG magazine 12月号では、テクニシャンについてシリーズ記事が始まった。今後、どのような意見が出てくるかはお楽しみとして、とりあえず感想を残しておくことにする。
テクニシャンについて、調剤業務においていわゆる“ピッキング”と称される部分をどう捉えるかということ、そして取り揃えと処方鑑査・薬学的管理を分離するか、同時並行で行うことに意味があると考えるかどうかがポイントのように思われた。
現在行なわれているピッキングを、取り揃えに特化した機械的な作業と位置付け、それと処方鑑査・薬学的管理は分離して分業しておこなうとすれば、ピッキングはテクニシャンに任せることが可能となる。
一方、ピッキングとはいうものの、それは調剤の外見的表現であって、頭の中は処方鑑査をしながらの行動であると考えると、薬剤師でない職種には任せられないということになる。テクニシャンの業務はそれとは別になる。
これまで自分は後者の考えでやってきた。薬歴を見ながら、取り揃えてきた。だから最終鑑査によって複数の薬剤師の目が入れば、二重に安全確保が強化されるのだと理解していた。そう教わってきたと言ってもよい。
しかし取り揃える動きは、手足を動かす部分はどう見ても機械的な動きである。機械化されないものの、取り揃えるだけであればそれほどの専門性は不要である。そこはもう割り切って、他のスタッフに任せて、薬剤師は服薬管理に十分時間をとったらどうかと言われると、それもそうだなと思えてくる。つまり取り揃えがいかに正確に行なわれるかがポイントだ。現実には、その取り揃えですら、しばしば間違えがある。だから取り揃えの側面だけで、鑑査が欠かせない。
取り揃えの鑑査(確認)と薬学的な鑑査(服薬管理)。現行では、それを最終鑑査者が一人で受け持つこともあり、たいへん荷の重い業務だ。後者に専念できれば、少しは違うのかもしれない。取り揃えの確認から解放されれば、専念できる。
薬剤師は員数規定があるから、薬学的管理の充実をタテマエにして、本音は経営的視点でテクニシャンを歓迎する経営者はゴマンといる。人件費を浮かしつつ、もし何か問題があれば係わった薬剤師の責任を問うこともできて、経営者にとっては余計に都合がよい。現在のような組織的防御では管理的責任が不可避であるが、個人にその任務が一手にかかるのなら、違った展開にもなる。であれば、テクニシャン制度は薬学的管理の充実を図る取り組み、教育等への投資を十分に伴う組織において成立する可能性のある仕組みではないだろうか。
現状、ピッキングは機械化できない。無人では成り立たない。どんなに機械化されても、それを操作するのはヒトでもある。だから、機械の動きにとって代わるヒトが求められる。それがテクニシャンだろう。よほど正確で、さらに日本人的には“気の利いた”形で、彼らの機能が必要とされる。
機械のようなピッキングをしてきたつもりのない薬剤師には、そこに戸惑いもあるが、目指すところは同じで、いかに専門職能が活かされるかどうかである。テクニシャンの取り揃えたものを確かめることなく、そのまま持って服薬指導・管理に臨めるかどうか、さてどうだろうか。
テクニシャンというものを、その役割か業務で考えていた。そうでなく機能でとらえておかねばいけなかったのだ。アメリカで言われているような、ズバリそのような業務をしないまでも、同じ概念の職種が導入されたら、そのコンセプトが追って調剤にも導入されてくる可能性があるわけだ。それが“間口をこじ開けた”という意だ。
同じDRUG magazine 12月号では、テクニシャンについてシリーズ記事が始まった。今後、どのような意見が出てくるかはお楽しみとして、とりあえず感想を残しておくことにする。
テクニシャンについて、調剤業務においていわゆる“ピッキング”と称される部分をどう捉えるかということ、そして取り揃えと処方鑑査・薬学的管理を分離するか、同時並行で行うことに意味があると考えるかどうかがポイントのように思われた。
現在行なわれているピッキングを、取り揃えに特化した機械的な作業と位置付け、それと処方鑑査・薬学的管理は分離して分業しておこなうとすれば、ピッキングはテクニシャンに任せることが可能となる。
一方、ピッキングとはいうものの、それは調剤の外見的表現であって、頭の中は処方鑑査をしながらの行動であると考えると、薬剤師でない職種には任せられないということになる。テクニシャンの業務はそれとは別になる。
これまで自分は後者の考えでやってきた。薬歴を見ながら、取り揃えてきた。だから最終鑑査によって複数の薬剤師の目が入れば、二重に安全確保が強化されるのだと理解していた。そう教わってきたと言ってもよい。
しかし取り揃える動きは、手足を動かす部分はどう見ても機械的な動きである。機械化されないものの、取り揃えるだけであればそれほどの専門性は不要である。そこはもう割り切って、他のスタッフに任せて、薬剤師は服薬管理に十分時間をとったらどうかと言われると、それもそうだなと思えてくる。つまり取り揃えがいかに正確に行なわれるかがポイントだ。現実には、その取り揃えですら、しばしば間違えがある。だから取り揃えの側面だけで、鑑査が欠かせない。
取り揃えの鑑査(確認)と薬学的な鑑査(服薬管理)。現行では、それを最終鑑査者が一人で受け持つこともあり、たいへん荷の重い業務だ。後者に専念できれば、少しは違うのかもしれない。取り揃えの確認から解放されれば、専念できる。
薬剤師は員数規定があるから、薬学的管理の充実をタテマエにして、本音は経営的視点でテクニシャンを歓迎する経営者はゴマンといる。人件費を浮かしつつ、もし何か問題があれば係わった薬剤師の責任を問うこともできて、経営者にとっては余計に都合がよい。現在のような組織的防御では管理的責任が不可避であるが、個人にその任務が一手にかかるのなら、違った展開にもなる。であれば、テクニシャン制度は薬学的管理の充実を図る取り組み、教育等への投資を十分に伴う組織において成立する可能性のある仕組みではないだろうか。
現状、ピッキングは機械化できない。無人では成り立たない。どんなに機械化されても、それを操作するのはヒトでもある。だから、機械の動きにとって代わるヒトが求められる。それがテクニシャンだろう。よほど正確で、さらに日本人的には“気の利いた”形で、彼らの機能が必要とされる。
機械のようなピッキングをしてきたつもりのない薬剤師には、そこに戸惑いもあるが、目指すところは同じで、いかに専門職能が活かされるかどうかである。テクニシャンの取り揃えたものを確かめることなく、そのまま持って服薬指導・管理に臨めるかどうか、さてどうだろうか。
薬局にとって好都合だから薬剤師でない者が薬を取り揃えることも認めてよ、といった議論でありたくない。
患者さんにとって、今まで以上に価値が提供できるか・・・。
薬剤師は鑑査と疑義。
疑義も、事務側からこれ変ですが…とお伺いをたてます。
ドクターいない保険薬局で、医療行為を薬剤師以外がしてもいいのでしょうか…。
健保の保険料が上がるので薬局の実態をマスコミに告発したいです。
「告発したい」だなんて、多くの同業者が見ても、またその実態が、目に余るというか腹に据えかねるというか、放っておけない状態なのでしょうか。
それは特定の薬局なのか、薬局全般にわたってのことでしょうか・・・。
教科書的には、内部で改善を提案するということでしょうが、現実的にはキレイ事に過ぎず、ほとんど期待できないに近い状態なのだと思います。
患者さんからの投書など、外圧が加わったことで改善することもありますが、カタチだけ繕う経営者も少なくありません。
告発して気が済んでも、生まれ変わりや再生が期待できないのであれば、「逃げる」ようで気がひけるかもしれませんが、まともな薬局に移ることも視野に入れざるをえないと思います。