何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

論語と算盤

2010-08-19 00:04:59 | Book Reviews
現代語訳 論語と算盤」 渋沢栄一・著、ちくま新書827、2010年2月10日

p.8-9 もともと「資本主義」や「実業」とは、自分が金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面がある。しかし、そのエンジンはしばしば暴走し、大きな惨事を引き起こしていく。だからこそ栄一は、「実業」や「資本主義」には、暴走に歯止めをかける枠組みが必要だ、と考えていた。

p.9-10 栄一は、この『論語』の教えを、実業の世界に植え込むことによって、そのエンジンである欲望の暴走を事前に防ごうと試みたのだ。

p.29 自分も驕らないようにし、相手も侮らず、お互いに信頼し合って隙間風の吹かないようにとわたしは努めている。

p.35-6 わたし自身が逆境に立たされたとき、自分でいろいろ試し、また何が正しい道筋なのかという観点から考えてみたことがある。その内容をここで明かしてしまうと、それは逆境に立たされた場合、どんな人でもまず、「自分の本分(自分に与えられた社会の中での役割分担)」だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないか、ということなのだ。現状に満足することを知って、自分の守備範囲を守り、「どんなに頭を悩ませても結局、天命(神から与えられた運命)であるから仕方ない」とあきらめがつくならば、どんなに対処しがたい逆境にいても、心は平静さを保つことができるに違いない。
 「人にはどうしようもない逆境」に対処する場合には、天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けず勉強するのがよいのだ。

p.66 物事の善悪や、プラス面とマイナス面を見抜けないような人では、どれだけ学識があったとしても、よいことをよいと認めたり、プラスになることをプラスだと見抜いて、それを採ることができない。

p.66-7 「智」ばかりで活動ができるかというと、決してそうではない。そこに「情」というものがうまく入ってこないと、「智」の能力は十分に発揮されなくなってしまう。

p.70 単に自分の財産とか、地位とか、子孫の繁栄といったものは二の次にし、もっぱら国家社会のために尽くすことを考えている。なので、人のために考え、善行を心がけ、人の能力を援助し、それを適所において使いたいという思いを、はちきれんばかりに持っている。この心がけが、世間の人から誤解を招くことになったそもそもの原因かもしれない。

p.81-2 こんな場面(単純に割り切れないこと)に陥ったなら、相手の言葉に対して、常識に照らし合わせながら自問自答してみるとよい。こうすると「相手の言葉に従うと、一時は利益を得られるが、あとで不利益が起こってくる」「この事柄に対しては、こうきっぱり処理すれば、目先は不利でも将来のためになる」といったことが、はっきりわかってくるものである。

p.88-9 人というものは往々にして、その仕事が自分の利害には関係のない他人事だったり、儲かっても自分が幸せにならず、損をしても不幸せにならなかったりすれば、その事業に全力で取り組もうとしない。ところが自分の仕事であれば、この事業を発展させたいと思い、実際に成長させていく。これは争えない事実なのだ。
 しかし一方で、そういった気持ちが強すぎ、他人に勝とうとしすぎたり、世の中の空気や事情を読まないままに、自分さえよければいいという気持ちでいたりしたら、どうなるだろう。必ず自分もしっぺ返しをくらい、一人で利益を上げようと思ったその自分が、不幸に叩き落とされてしまうのだ。

p.89 「物事を進展させたい」「モノの豊かさを実現したい」という欲望を、まず人は心に抱き続ける一方で、その欲望を実践に移していくために道理を持って欲しいということなのだ。その道理とは、社会の基本的な道徳をバランスよく推し進めていくことに外ならない。

p.93 「まっとうな生き方によって得られるならば、どんな賤しい仕事についても金儲けせよ。しかし、まっとうでない手段をとるくらいなら、むしろ貧賤でいなさい」ということになる。やはりこの言葉の一方の側面には、「正しい方法」ということが潜んでいることを、忘れてはならない。

p.99 人情の弱点として、利益が欲しいという思いがまさって、下手をすると富を先にして道義を後にするような弊害が生まれてしまう。それが行きすぎると、金銭を万能なものとして考えてしまい、大切な精神の問題を忘れ、モノの奴隷になってしまいやすいのだ。

p.102 お金の本質を本当に知っている人なら、よく集める一方で、よく使っていくべきなのだ。よく使うとは、正しく支出することであって、よい事柄に使っていくことを意味する。

p.141 「致良知(ちりょうち)――心の素の正しさを発揮する」といった考え方は、すべて自分を磨くことを意味している。自分磨きは、土人形を造るのとはわけが違う。自分の心を正しくして、魂の輝きを解き放つことなのだ。自分を磨けば磨くほど、その人は何かを判断するさいに善悪がはっきりわかるようになる。だから、選択肢に迷うことなく、ごく自然に決断できるようになるのである。

p.144 何にせよ、社会に生きる人々の気持ちが利益重視の方向に流れるようになったのは、およそ世間一般から人格を磨くことが失われてしまったからではないだろうか。
 もしかりに国民の頼りとするべき道徳の規範が確立し、人々がこれを信じながら社会のなかで自立したとしよう。そうすれば、人格はおのずから磨かれるようになる。その結果、社会のことを考えるのが大きな流れとなり、自分の利益だけを追求すればよしといった風潮はなくなるであろう。

p.157-8 そもそも何かを一所懸命やるためには、競うことが必要になってくる。競うからこそ励みも生まれてくる。いわゆる「競争」とは、勉強や進歩の母なのである。しかしこれは事実である一方、「競争」には善意と悪意の二種類があるように思われる。踏み込んで述べてしまえば、毎日人よりも朝早く起きて、よい工夫をして、知恵と勉強とで他人に打ち克っていくというのは、まさしくよい競争なのだ。しかし一方で、他人のやったことが評判がよいから、これを真似してかすめ取ってやろうと考え、横合いから成果を奪い取ろうとするのは悪い競争に外ならない。

p.164 「一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ」という考え方を、事業を行ううえでの見識としてきたのだ。そのうえで、多くの人や社会全体の利益になるためには、その事業が着実に成長し、繁盛していくよう常に心がけなければならない。

p.168 およそ人として、その生き方の本筋を忘れ、まっとうでない行いで私利私欲を満たそうとしたり、権勢に媚びへつらって自分が出世しようとするのは、人の踏むべき道を無視したものでしかない。それでは、権勢や地位を長く維持できるわけではない。

p.181 「信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力はすべてに匹敵する」

p.218 現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中に置いて、それよりももっと大切な「天地の道理」を見ていない。彼らは物事の本質をイノチとせず、カスのような金銭や財宝を魂としてしまっている。人は、人としてなすべきことの達成を心がけ、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。

p.219 とにかく人は、誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いていくのがよい。もしそれで失敗したら、「自分の智力が及ばなかったため」とあきらめることだ。逆に成功したなら「知恵がうまく活かせた」と思えばよい。成功したにしろ、失敗したにしろ、お天道さまからくだされた運命にまかせていればよいのだ。こうして、たとえ失敗してもあくまで勉強を続けていけば、いつかはまた、幸運にめぐまれるときがくる。

p.220 人生の道筋はさまざまで、時には善人が悪人に負けてしまったように見えることがある。しかし、長い目で見れば、善悪の差ははっきりと結果になってあらわれてくるものだ。だから、成功や失敗のよし悪しを議論するよりも、まず誠実に努力することだ。そうすれば公平無私なお天道さまは、必ずその人に幸福を授け、運命を開いていくよう仕向けてくれるのである。
 正しい行為の道筋は、点にある日や月のように、いつでも輝いていて少しも陰ることがない。だから、正しい行為の道筋に沿って物事を行う者は必ず栄えるし、それに逆らって物事を行う者は必ず滅んでしまうと思う。一時の成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における、泡のようなものだ。

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