何かをすれば何かが変わる

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素直な心になるために

2010-08-22 16:42:01 | Book Reviews
「素直な心になるために」 松下幸之助・著、PHP文庫、2004年4月19日

p.15 (人間同士が争うという)こうした不幸な姿というものは、いったい何が原因で生じたのかというと、もちろんそれはいろいろ複雑なものがあって一言ではいえないであろうと思います。けれども、やはり一つには、お互い人間が利害を争い、欲望にかられて、ねたんだり、憎んだりした結果、そういう不幸な姿が生じたという場合が多いのではないでしょうか。

p.17 素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。

p.20 特別の修行をした特別の人だけが素直な心になれるというものではない。この素直な心になることをつねに心がけ、自分なりに工夫をこらし、実践につとめていけば、だれもが素直な心になれるということです。

p.32 素直な心になったならば、もちろん私心は働くけれども、それにとらわれることなく、他の人びとのことも十分に配慮する、というような姿になると思うのです。

p.76 ただ大切なことは、なすべきことは私心をはなれて断固として行う、ということです。

p.155 なぜ、素直な心がないとムダや非能率がふえてくるのか。これは一つには素直な心がない場合には、お互いに調和する心、譲りあう心といったものが低調になるからではないでしょうか。
 素直な心がなければ、それぞれが自分の立場とか利害得失にとらわれがちになるでしょう。そうすると、やはりどうしても相手に対する配慮もうすくなってしまいます。

p.208-9 つまりお互いに、相手が自分の考えに従わないから、自分の考えに反対するから、自分を軽視して認めようとしないから、自分の利益にならず害になるからとか、あるいは自分から見て明らかにまちがっているから、自分の気にくわないことをするから、などといった理由によって、相手を憎んだり非難したりするわけです。

p.210 相手がまちがっているというその相手の考えというものも、それは全面的に否定し排除されるべきものではない、ということです。つまり、どのような考えであっても、とり入れるべき何らかのものはもっていると思うのです。そしてそう考えるほうが、あらゆる考えを有効に生かしていくという好ましい姿にもつながりやすいのではないでしょうか。

p.215 すなわち、悪というものに対する対処のしかたというものは、基本的にいって悪の存在をあるがままに認めた上で、これを適切に処遇しつつ共同生活の中に包容するというか、許し入れておく、というようなところにあるのではないかと思うのです。

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