何かをすれば何かが変わる

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国民や社会が薬局に求めること(1)

2006-06-05 19:05:45 | くすり雑感
 ある研究会(学会)で、患者さんは薬局に対して専門性より利便性を求めている、という発表があった。薬剤師は、まじめに仕事をしようとしているが、どうも自分たちの活動が患者さんに受け入れられていないようだ。すれ違い状態にも思える。

 しかし、このことは以前からその傾向は見られていた。
・薬局窓口で説明なんかいらないから早く薬を渡して欲しい
・薬局窓口で、いろいろ聞かれるのはイヤだ
・医者に話したことと同じことを、再度薬局に来て話すのは面倒だ

 などの反応である。薬さえもらえば、それでよいと言わんばかりだ。

 しかし、毎回、必ずしもそうではなく、聞きたい時は聞きたいし、ときに相談したい案件がないわけじゃない。つまり患者さん側が必要とするときだけ、つきあってくれればいい、ということのようである。

 以前にも述べたように、国民や社会は、薬局の存在理由について、「健康問題を解決するための薬物治療を進めるうえで、安全確保に寄与し、安心を得る」ことがあると思う。すべては、そのための活動ではないかと思う。

 そのために、
・困ったことがあれば、解決するよう、相談に乗ってほしい
・薬物治療を進めるうえで、危険な目に合わないよう、見ていてほしい
・もし危険に合うおそれがあるのであれば、予め教えてほしい

 といった要望を、いちいち口には出さないまでも持っているのではないかと思う。
 にもかかわらず、このすれ違いである。
 ここには、大きく2つ、薬局・薬剤師側の想いと、患者側の想いとの角度から考えてみることにする。

 まず、薬局・薬剤師側の想いを、「なぜなぜ分析」で辿ってみることにする。

なぜ患者さんは薬局窓口での会話を快く思わず、ときに不要だと考えるのか

---> 薬局はいろいろ話かけてくるが、それは患者側にとって必要性や関心がなく、自分たちの求めるものに応えていないと思うから

なぜ薬局は患者さんの問題に向き合わず、一方的な確認や指導に終始してしまうのだろうか

---> 自分たちの仕事は、特指算定内容を満たすための確認であるとか、疾患や処方薬から自ずと決まる薬学的管理だと思っているから(まさに売り手中心の発想だ!)

なぜ患者さんの想いを話題の中心とせず、また自分たちの行動をおかしいと思わないのか

---> 組織内でフィー算定が課せられていたり、それが薬局経営の糧だと考えるから(つまり、算定目的の仕事をしている!、というわけか・・・)

 では次項で、患者側の想いについて、考察してみる 

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