近代国家の基本的な制度は、「民主主義制度」を採用して、主権者は国民であり、代議員を選出して「立法と予算承認」を、国民の意思で決定する。
その決定の枠内で、行政活動サービスをして、公のやるべき仕事を政府や自治体の役所が実行責任を負う。
東京都はその予算規模は一国のレベルに匹敵する、上位に入る大組織である。
その仕事を実行してきた「都庁の総責任者」が、【東京都は伏魔殿だ!】と他人ごとのように切り捨てるのが許されるとは、日本は大甘の民主主義であろう。
しかし、民主主義が高いレベルを維持して実行できる保証はなく、それを支えるのは主権者の国民であり都民である。
都民が東京都庁と都議会の活動をきちんとチェックできていなかったのは、紛れもない事実である。
都民は他人ごとではなく、自分の生活に響く大事なこととして、責任の一端を負うべきである。
だがしかし、その実態が何もわからず、知る方法も限られているので、大半の情報を「日常的に接しているマスメディアに依存する」のは当然である。
それ所以に、マスメディアの役割は非常に大きいと言えるが、関係者はその認識を持っているだろうか。
東京都庁は、築地移転問題の始まりから都民を裏切ってきたことは、紛れもない。
それを伝える活動をメディア関係者は、【実行してこなかった責任】がある。
そうはいっても、議事録や重要な記録を、メディアが公開を請求しても、「公共の代表の都庁側が、黒塗りだらけの情報開示では、秘密組織のようで困るだろう。
直近の段階では公開が不都合な場合もあるから、経過の年数を明確にして「基本的に全文を公開する」ことを、今後は法制度化すべきである。
こうしておけば、後で公開された時に疑義を招くことは、公の組織としては避ける意図が健全に働くので、無責任や不正なことは、当事者が回避する。
少なくとも、組織の長や都議会議員が「何年ものあいだ公表の内容と事実が大きく相違している」ような、恥ずかしい、低レベルな事態は皆無に出来るだろう。
12年間も総責任者を務めていた【某氏が伏魔殿だ!】というのはお粗末すぎる。
それと、豊洲移転問題が浮上しているというのに、歴代の責任者の市場長が、600億円も投じている「施設の実態を知らなかった」では、無責任を通り越して、職務怠慢で譴責を受ける罪に相当する。
都民の税金を預かって【仕事を任された意識はゼロ】に等しい無能ぶりである。
縦割り組織の弊害とか、担当者の引き継ぎが不十分とか言われるが、都民不在、お役所優位の目線が、すべての元凶であろう。
小池新都知事の「都民ファースト」の意識改革が、どこまで浸透できるかで、大組織病の改善は左右される。お役人天国の時代は終止符を打つべきである。(続)