ソウル出身の金素栄監督が、日本の第九市民合唱団にスポットを当てたドキュメンタリー映画「ルートヴィヒに恋して」完成に向けたクラウドファンディングをしています。物騒な世の中になりつつある今、こういった試みこそ大切にすべきかもしれません。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年8月30日 - 08:51
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優しさの意味って、優しくした側とされた側とで、完全に一致するものなのだろうか?また優しさは、優しくした側が優しさだと考えるものなのか、それとも優しくされた側がそれを受け取り認識することで、初めて成立するものなのだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年8月30日 - 23:47
優しいは身が痩せ細るような思いを表す動詞「痩す」の形容詞形で、平安時代に他人や世間に対してひけめを感じながら振る舞う様子から、控え目やつつましいの意味を持つようになり、そこから優美、上品で美しい、けなげ、好感が持てる等の用法が生まれた様だ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年8月30日 - 23:51
また優しさの持つけなげさから、「こちらが恥ずかしくなるほど思いやりがある」という意味も派生し、近世以降「心温かい」の意味で使用されることが多くなったそう。簡単を意味する「易しい」は近世末から使用が始まり、「優しい配慮があって分かり易い」という所から派生した用法だそう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年8月30日 - 23:55
優しいという言葉から易しいという言葉が生まれた様だけれど、私は易しいの反対語である「難しさ」や「厳しさ」は、優しさと一致することだってあると思う。人を思いやって言う厳しい言葉は、究極的には他者の目標を自己のそれとして捉えた時に生まれる、思いやりの一部に含まれるのではないか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年8月30日 - 23:58