Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

他者論と政治

2006-05-08 10:33:10 | Weblog
昨日は友人と一緒に、私の展示のプランを話していく上で、結果、他者論についていろいろ話す。レヴィナスの言う他者や柄谷の言う他者の差異、さらにあなたの、そして私にとっての他者とは誰か、という話をひたすらする。素晴らしく頭脳明晰な人たちが揃ったこともあり、非常に興味深い会話となり、深夜2時くらいまで話し込む。

私は他者、他者ということを追求することで、自己を規定してこようと勤めてきた気がする。自己を規定しているのは他者だ、という思いが強かったからだろう。しかし逆説的に、どうやって自己を規定せずに他者を理解するんだ、という話しをする事もできるが、それはにわとりと卵の話しになってしまい、あまり面白くない。

私の中では自己は他者だ、という確信めいたものが早くからあった。大学1年生くらいの時にはそれは確信に至っていたと思う。(個人的には柄谷行人の影響が強いと思う)そしてそれが、私が外国語を一生懸命勉強する理由の一つになったのかもしれず、またさらに逆説的に、外国語の勉強をすることをする為の裏づけが、自分の中で必要だったのかもしれない。つまり、自己を知る為に、外国語を勉強し、いわゆる「他者」と出会っていく上で自己を規定する、という行為を実践してきたのである。

また話しを進める上で、政治とアート、政治と文学というテーマを設定すると、最後は政治の話に完結してしまう、という事に気づかされた。いわゆる世の中において、政治の占めるファクターは非常にユニークであると同時に、そのユニークさゆえにに私のように引き込まれていく人間もいると同時に、政治は最後にその人そのものを飲み込んでしまう。ある一定の地点で、その領域に留まることが必要だと私は考える。