穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

けなして褒めて

2014-12-06 09:23:51 | 書評

前回の記事「翻訳について」の補足である。長谷川宏訳のヘーゲル【論理学】の中にはいい訳もある。これまでDaseinは定有と訳されて来たが「そこにあるもの」としたのはよほどわかりやすくなった。大和言葉でいささか冗長の気味はあるが。

さて前回の「媒介」であるがMittelbarkeitとある。一連の思考のチェインで中間項のある、といったところなのだろう。やはり媒介は不適切というべきだろう。

媒介と言うと化学反応をうながす触媒のような機能を連想する。あるいは結婚の仲人、媒酌人みたいだ。「蚊がデング熱を媒介する」ともいう。ヘーゲルの言っていることはそういうことではない。

あたまに否定のunが付くと直接性になるから、間接的とも訳せるが、これも舌足らずのようだ。「直感的、直覚的ではなく一連の思考過程を経たもの」と訳せば良いが長過ぎるな。


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