穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

96:下駄顔老人の回答試案その二

2020-05-09 07:43:20 | 破片

『君の手紙で注意をひかれたのは、父親の「蛇眼」が、君の表現でいえば邪眼か、発顕した時期である』とJSは続けた。

『お兄さんにも同じ時期に似たようなことがあったという。これは偶然ではないだろう。それでオースターの小説が思い浮かんだ。といっても君が手紙を書いた時期には彼はまだ小説家デビューをしていなかったから知らないだろうが。彼の小説、たしか「オラクル・ナイト」だったと思う。登場人物の老作家が「男の子がかわいいのはせいぜい背が150センチまでだよ」と言うところがある。かれはアメリカ人だから身長が平均だとしても百七、八十センチはあるだろう。そのくらいをイメージしてオースターは書いているはずだ。

 手紙によると君のお父さんは背が低かったそうだ、150センチだったか、だから自分より背が高くなった息子から見下ろされるのは嫌だったに違いない。お兄さんがDVに近いしつけを受けるようになったのも身長が父親を上回った頃だというではないか。

 さらにいうと、哺乳類のオスの成獣には子殺しの遺伝子があるそうだ。通常はマスクされていて子殺しのDNAサブルーチンはオンにはならない。それが何かのひょうしにマスクが外れることがある。シロクマでは50頭に一頭、ライオンでは百頭に一頭、人間では一万人に一人で発顕するという研究もあるらしい。理由は簡単だ。ボスは一人でいい。ハーレムにオスは一頭しかいらない。自分の縄張りにオスの成獣は一頭しかいらない。北極熊では食糧事情もあるらしい。つまり子を食うわけだ、北極の厳しい環境では。だから北極熊の母親の役割は夫から子供を守ることらしい。最近の日本では子供に対するDV事件が多いが、こういうことを考えないと理解できないケースがある。

 話はがらりと変わるが古代の神話には子殺しの話がある。なかでもギリシャ神話の場合は顕著だ。まだネアンデルタール人とせめぎあっていた時代だろう。初代の天帝はウラヌスというが、彼は生まれてくる子供を片っ端から井戸の底に放り込んだ。井戸と言うのは日本的発想だが、神話ではタンタロスの底に投げ落としたとある。タンタロスとは地底奥深くにある地獄である。後に子供たちが反抗して父ウラヌスを殺し、その陰部を切り取って捨ててしまった。二代目の天帝には子供の中からクロノスが選ばれた。

 このクロノスが無類の子供っ子食いであった。女房の女神ヘラが生む子を片っ端から食べてしまった。そこでヘラは一計を案じて石を産着でくるみ、赤ん坊だとだまして夫に食わせたのである。そして子供、ゼウスというが、をクレタ島の洞窟に隠してひそかに育てた。さて、ゼウスは成人すると父親クロノスが祖父ウラヌスを殺したように父親を殺して天帝となった。彼は子殺しをしなかったようで、ここにおいて子殺しサブルーチンは一応マスクされたのである。ゼウスは人間の女と交わったりして沢山の子供を産んだ。これが神人といわれるカテゴリーの祖先である。それからどれだけの世紀がたったのか知らないが時々マスクが外れる。時代が段々ソフィスティケイトされてくるとストレイトな子殺しはすくなくなるが躾け、教育などにかこつけて、それは様々な形をとることもある。

 日本の神話にもあるが例はギリシャのように多くはない。イザナギノミコトがその子ヒノカクズチノカミの首を切ったなどが古事記に記載されている。

 カフカの小説で言うと「判決」という短編では父親は子供に「溺れて死ね」と命令する。子供は川に飛び込んで死ぬというストーリーである。』

 ヤレヤレとJSはため息をつくとキーボードを打つ手を休め、しょぼしょぼする目を上げて向かいの家の女子研修生の部屋を眺めた。昼間は研修に出かけているらしく静かだが外には桃色と黒色のパンティーが風に揺れていた。雨はいつの間にかあがっていた。