*どうして君にこんな手紙を書くつもりになったか不思議に思うだろう。大学以来ご無沙汰しているが、ぼくもどうやら社会人になって、いまは勤め人だ。というと君も驚くだろう。年とともに少しは状態がよくはなってきたらしい。といっても超低空飛行は抜け出せないけどね。だから係長にもなれずずっと平社員だ。これが簡単だが、まずは近況報告だ。
さて、会社の同僚に大学でドイツ文学をやった人間が居てね、このあいだフランツ・カフカの話を聞いた。僕は彼の小説は読んだことはないが、君は昔から小説をよく読んでいたから知っているだろう。有名な作家らしいね。彼は卒論でカフカ論を書いたそうである。
その友人がいうには、カフカの書いたものに「父への手紙」というのが残っているそうだ。36,7歳のころに書いたというが、まだ同居していて同じ屋根の下に暮らしている父親に手紙を書いたというのだ。もっとも手紙は父に渡らなかったらしい。母親を介して渡そうとしたら母親がダメよと言って突き返したそうた。大体これで内容は想像できるね。
直接渡す勇気がなかったのだろう。しかし、カフカとしては考えて考えて、何回も何回も推敲して書き直したものらしい。したがって大事に保存していて死後全集に入れられたという。なんでも原文で70ページにもなる長文だそうだ。邦訳したらその二倍くらいの長さになるだろう。
聞いた内容なんだが、祖父と言うのは極貧のユダヤ人でチェコの寒村で畜殺業や動物の皮をはいだりする仕事をしていた。父親は14歳くらいの年で家を出て行商をしていたという。その後、商人として成功して首都のプラハに店を構えた。子供には大変厳しい親だったらしい。カフカは、というのは小説家になったフランツ・カフカのことだが、幼児の時からの数々の不条理と思える父親の過酷な仕打ちを書き連ねているわけだ。
その父への手紙の中で小さいころの一つの体験が書かれているそうで、夜カフカがどうしても泣き止まないので父がテラスに突き出したという事件がある。カフカ研究者の間では有名な事件でテーマらしい。
それまで、友人の話を漫然と聞いていた僕は不意に昔のことを思い出した。例の中学生の時の話だ。夏休みが終わって登校したときに君に「どうしたんだ」と言われた原因となったと今にして思い当たるのだが、似たような事件が僕の身にも起こったのだ*ーー
はて、カフカか。「父の手紙」と言う作品は読んだことがないな、とJSは思った。もっとも読んだ本の内容をよく忘れるので、あるいは目にしたことがあるかもしれないが、と思いながらも書棚にあるカフカの本を探してみた。しかし、見つからなかった。
インターネットで検索してみると前世紀五十年ほど前に一回か二回違う出版社でカフカ全集と言うのが出版されているらしいが、いまは絶版のようだ。ドイツ語は出来ないので英語の本を検索したがヒットしなかった。しかし、(Kafka Letter to Father)で検索するといくつか出てくるが全文を翻訳したサイトは一つしかない。それでプリントしようかと思って、出所を確認すると何とこれがフロリダの不動産屋なのだ。なぜ不動産屋なのだ。なんだかうさん臭いのでプリントアウトはやめにした。「カフカ研究者の間では有名」というから日本語でもカフカの伝記とか研究書には言及引用したものがあるのかもしれないと思い翌日書店を探すことにして手紙の続きを読んだ。