*その後に僕に起こったことは君の見聞したとおりだが、身体的には力が抜けたというか無気力になってしまい、スポーツや運動に興味がなくなった。学校の成績も君の知っている通りだ。そうだ、ひとつ君の知らないことがある。最後にそれを書こう。考えてみると実に不思議なのだが、あの事以来それまでの記憶がなくなってしまった。まあ、13、4歳くらいの経験の少ない年齢だから記憶と言っても幼児時代から小学生時代のことだが。人の記憶と言うのは何時頃から後に残るものだろう。3,4歳までの記憶というのは普通誰も残っていないだろうというのは分かる。もっとも三島由紀夫のように気取った男は自分が産湯を使ったことまで覚えているというらしいが。これは小説だからね。
ああ、そうそう身長の伸びがぱたりと止まってしまった。だからいまでも170センチだ。記憶の話を続けると、誰でも小学校時代のことは断片的でも覚えているだろう。幼稚園のこともかなり覚えているらしい。それば僕には全く欠落しているのだ。もっともそれに気づく前から無かったのか、テラス事件後なくなったのか、どうかは分からない。あるとき誰かと話していた時に、彼が幼稚園時代のことを楽しそうに話しているときに自分はまったく記憶がないことに気が付いたのだ。
僕の場合、幼稚園は都電でだいぶ行かないといけない。かなり家からは離れていた。だからかならず誰か付き添っていたはずなのだが、それがまったく思い出せない。その年代の子供にとっては遠方への通園はかなり強く記憶に刻み込まれると思うのに。付き添っていたのは母なのか。家事のある母が毎日付き添っていったとは思えない。しかも午後には迎えに行かなければならない。女中かあるいは年の離れた姉か。その記憶が全くないというのは非常に不思議だ。憶えているのはその幼稚園の前の都電の停留所の近くに大蛇の標本があったことだけだ。おそらく漢方薬局で蛇をホルマリンの入った瓶に入れて店頭に飾っていたのだ。その蛇を見るたびに怖がったから覚えているのだろう。その幼稚園のことが分かるのは記憶ではなくて、手元に残っていた卒園写真なのだ。実際の記憶はない。
そうそう、それ以来妙な夢を見ることがあった。自分が全然知らない場所にいるのだ。しかもその場面に強烈な既視感があるのだ。生々しい体感があるのだ。これは今でも時々ある。四、五日前にも自分が全然行ったことのない新橋駅近くのガード下で飲んでいる夢だ。あまり生々しいので、つまり友人とかバーテンとの会話などもはっきりとしているので、目覚めた後も思い出せるのだ。それで、自分ではひょっとして忘れているかもしれないのか、と思ってその日の帰りわざわざ、そんなバーがあるかどうか近所に寄ってみた。勿論そんな店はない。夢の中ではたしかこの辺だと周りを見回したりしてね。勿論夢に登場する友人も現実世界には該当する友人はいないのだ。
もちろん夢だから突拍子もない表象も出てくる。怪獣も出てくるらしい。僕はないけどね。しかし、全然見たこともない、現実にも、テレビや映画でも見たことのない表象は、たとえどんなにデフォルメされたものであっても夢の中の表象に出てくることはないと思うのだが。心理学者のユンクなら元型とでもいうのかもしれない。それならそれらしい図柄じゃないとおかしいよね。バーテンと話しているなんて言う場面は「元型」からはほど遠い。
その後、つまりテラス事件後、「頭すっきり」系の薬に頼ったり、宗教とかクリスチャンサイエンスみたいな新宗教の本を漁ったりしたから、それの影響でこんな変な夢をみるのだろうか。たしか君は心理学を専攻したんだよね。君の夢解釈を聞きたいな。***