穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

94:似たもの家族

2020-05-07 08:45:27 | 破片

* これが最後だ、なんて書いたが、もう一つある。カフカの生活については様々な研究があるらしいが、友人から聞いたところでは僕の家庭環境とすごく似ているのだ。前に書いたようにカフカの父は僻地の農村出身で苦労して首都に店を構えるまでに出世した。母親はユダヤ人社会の有力者の家系だ。これも似ている。僕の父は自分の実家のことは一切話さなかったし、郷里の人間が訪ねてくることもなかったから一切分からなかった。僕には母親が違って親子ほど年の違う兄がいる。彼が子供のころはまだ田舎の実家と交流があったらしい。実際兄は小学校を卒業するまで田舎で育ったそうだ。僕が成人して兄から初めて田舎のことを聞いて驚いたのだ。父は東京で出世していく過程で郷里との関係を絶ったのだ。

 僕が子供のころにはもう父は出世していて、田舎のことは全く子供たちに聞かせなかった。母は地方の有力者の家庭の出だ。一種のミスマッチだね。結婚当初は仲人口に乗せられたのだろうが、その内に亀裂が表面化して若い母はずいぶん悩んだらしい。母の遺品の中にイプセンの戯曲「人形の家」とロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」という小説を隠し持っていた。しかし、長い間に子供がどんどん生まれてくると、あきらめて順応して、自分の役割を父親と子供たちの仲立ち、ありていに言えば子供たちを夫から守ることが自分の使命だとあきらめたようだ。しかし、それは子供たちが父親の機嫌を損ねて被害を受けないようにするために、父親の代弁者になるという役割だ。これはカフカの母親のとった態度と全く同じらしい。

僕には妹が三人いたがカフカにも妹が三人いたという。伝記などによると、この三人が「かたまってしまい」カフカは孤独な生活を送ったという。これが妹が一人ならまた違っただろう。二人になると女だけで「かたまって」しまう。まして三人となれば完全な排他的集団と化すかもしれない。しかし、妹のなかでも一人とは会話することがあったらしい。そういうところも似ている。

僕とカフカが違うところはカフカが長男であったが、僕には20歳以上年が違う兄がいたということだ。最後に兄のことを書こう。これが本当に最後だ。兄は僕が子供のころはすでに独立して官庁に勤めていた。長い間地方勤務が続いていたから僕と話をする機会もなかった。僕が成人してから聞いた話なのだが、兄にも「テラス事件」があったのだ。舞台はテラスではないから、疑似テラス事件とでもいうのかな。

それがやはり僕と同じ年代のころだという。ドイツの教育制度に私淑していた父は兄にスパルタ式の教育をした。家での勉強を監督していて兄の態度が気に食わないと定規で思い切り頭をなぐったという。殴られるのが前もってわかると兄は手で頭をかばう。そうすると「親に手向かうのか」と怒ったという。打たれる前に手で頭をかばうのは反射的な防御だ。それを「親に手をあげるのか」とくるのである。カミュなら究極のabsurde(不条理)というであろう。とうとう兄は耐えかねて、家を飛び出し酒場の女給をしていた女と風呂屋の二階で同棲を始めたというのだ。

 父親は三度結婚した。最初の二人とは死別して僕の母親は三人目だ。兄が言っていたが、彼の母親を含めていずれも女性としては背の高いほうだったという。僕の母親も当時の女性としては背が高いほうだった。父はこれに反してかなり身長が低く150センチあるかないかの短躯である。兄が言うにはだから背の高い女性が好きだったのではないかというのだ。一理ある。ひょっとすると優生学的な配慮かもしれない。兄も僕ぐらいで背は高いほうだ。その話を聞いてふと思いついて兄にいつ頃背が一番伸びたかと聞いてみた。そうすると、僕と同じころなのだ。妙な暗合だと思った。しかし、僕の末の妹は目立つほど背が高い。彼女は父のお気に入りである。背が高い女性は妻でも娘でも好きなのだろう。息子の場合は身長が伸びだすと敵意をむき出しにするのだろうか。

兄が思い出したようにポツンと言った。「田舎にいるときも、父の母違いの姉はすごく背が高くて二人は仲がよかったな」と 言って妙な笑い方をした。***