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min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

損料屋喜八朗始末控え

2006-12-17 20:30:36 | 時代小説
山本一力著『損料屋喜八朗始末控え』文春文庫

「損料屋」という言葉は時代劇でも聞いた事が無い。作者の説明によれば「夏の蚊帳、冬場の炬燵から鍋、釜、布団までを賃貸するのが損料屋だ。所帯道具に事欠く連中の相手の小商いは、威勢の失せた年寄りの生業であった」とある。
だが本編の主人公、損料屋・喜八郎はまだ30前の若さで眼窩が落ち窪んだ眼光するどく身のこなしが機敏な男であった。
実はこの喜八郎、損料屋というのは“表の顔”であって“裏の顔”は札差である「米屋」の二代目を守る私設調査探偵機関?ともいうべき存在なのであった。
さて、この「札差」というのは何かというと、「武家の切米売りさばきの仲介であったものが後には武家相手の金貸し業が本業となった金融機関」のことを意味する。
「米屋」の先代はいかにも頼りない2代目を案じ、生前から喜八郎にお守り役を頼んだわけだ。これはある意味この業界が弱肉強食の世界であることを示すのだが、実際にこの当時の札差たるや相当にあくどい連中が悪知恵の限りを尽くし陰謀を張り巡らす。
その陰謀から米屋を救うため喜八郎はかって理由あって職を辞した与力のコネクションを使って対抗する。
時代小説でありながらハードボイルドのテイストが濃厚な一風変わった時代小説である。当初この主人公に何か馴染めない、キャラに肩入れできない印象を持ったのだが、難事件を解決してゆくごとにその魅力に惹かれていく。

山本一力は「あかね空」に次ぐ2作目であるが、なかなかどうして奥の深い作家とみた。


黒く塗れ

2006-11-17 07:18:10 | 時代小説
★10月に読んだものです★
多少ネタバレあり

宇江左真理著「黒く塗れ」

作者があとがきでも書いているがこのタイトル、やはりR.ストーンズの「Paint it black」を意識してつけたようだ。
時代小説でこのくらいの遊び心があって不思議ではない。大いに賛成である、この感覚、趣向。
さてさてお文がとうとう出産!ということでどうなってしまうのだろうか、このシリーズ?と我々をハラハラドキドキさせる。
「慈雨」ではあの“巾着切り”の直次郎が登場する。別れたきりのお佐和との恋の行方と顛末がこの短編集の最後を鮮やかにそしてホロリと決めてくれる・・・

さんだらぼっち

2006-11-16 07:16:07 | 時代小説
★10月に読んだ分の感想です★
多少ネタバレあり


宇江左真理著「さんだらぼっち」

前作でも和解できなかった不破との仲であるが早々に最初の「鬼の通る道」で元に戻ってしまう。
不破の息子をその縁とするあたり作者の技巧を感じる。仲直りの酒盛りで伊三次が二日酔いになりお文の元に帰ってゆくくだりが微笑ましい。
また「さんだらぼっち」では時代を超えた娘に対する父親の愛情が心を揺さぶる。
伊三次とお文の蜜月がほんのわずかでも続き読者もほっとし、ほんわかする心地よい短編集となった。


さらば深川

2006-11-14 22:54:48 | 時代小説
★10月に読んだ分の感想です★
ネタバレあり

宇江左真理著「さらば深川」

伊三次は不破友之進との確執があり未だに和解できないでいる。お文とやっと縒りを戻したものの不破とはなかなかうまくいかない。
それだけ伊三次には“男の矜持”を強く持っている証なのかも知れない。だがはやく不破の元に戻らねばこの小説の副題でもある「髪結い伊三次の捕物余話」にはならないわけで、読者は伊三次がいつどのように不破と和解するのか気をもむことになる。
さて、本編で一番印象に残ったのは「因果堀」であろうか。
ある日お分は懐中の紙入れを掏られたのであるがその手口が刃物を使って切られた(巾着切り)ことから気になった。
その女すりが実は岡っ引きの増蔵にゆかりの者であることが判明し事情は深刻な事態となる。
男の女に対する執着心、悲哀さが見事に描かれた一遍。
そして表題となった「さらば深川」ではお分の家が火事となり結果伊三次の元に転がり込む運命となる。かくして実質的にふたりは夫婦となるわけだ。

草笛の剣(上下)

2006-11-06 22:12:28 | 時代小説
津本陽著『草笛の剣(上・下)』文春文庫

津本陽の「雑賀衆」に関する作品群は当ブログの「時代小説」の欄で一挙に公開してる。

本編は『天翔ける倭寇』と好一対とも言える作品で共に雑賀衆の末裔が南国へ飛び出す物語である。
本編の主人公孫二郎は父が雑賀荘の有力な領袖の息子として生まれた。父は熱心な門徒宗であり、石山本願寺を信長から守った歴戦の勇士であった。また一艘の船持ちで種子島さらに琉球や中国、東南アジアの国々を舞台に南蛮貿易を行う商人でもあった。

政権は秀吉に移り彼はかの根来衆とともに雑賀衆を滅ぼさんと数万人の部隊を根来寺と雑賀の里に送り込んだ。雑賀衆は果敢に戦ったものの兵力の差はいかんともしがたい。
主人公孫二郎の父は最期に息子を根来衆の友人、通称“小みっちゃ”に託す。孫二郎はその後小みっちゃの元、鉄砲から太刀使いをみっちり仕込まれて育つ。
小みっちゃは根来の鉄砲隊長を務めたほどの手だれであったことから仕込まれた孫二郎も根来では屈指の鉄砲打ちと武芸者に育った。
懐かしい和歌浦の浜に出たある日、草笛を吹いていたところ占領者である浅野家の家来数人にケンカを売られる。期せずして幾人かを殺害して活路を開いたものの根来寺にはいられなくなって逐電する。
上巻はそんな雑賀衆の若武者が故郷を追われ、ひょんなことから知り合った浪人の権兵衛始め彼の仲間と知り合い無頼の道を歩む様が描かれる。
彼らは大胆にも家康の金座の荷駄数千両を略奪しほとぼりが冷めるまで江戸へと逃れる。江戸では新陰流の師範からその極意を教えられ、今までは天性の技だけであった太刀振る舞いが更に研ぎ澄まされる結果を生む。上巻と下巻の始めまではこの一人の雑賀の若者の成長譚として描かれる。
下巻の中頃からやっと南国の海へ稼いだ軍資金を元に出帆するのであるが、琉球を経て中国の寧波まで幾度かの海賊の襲撃をかわしながらたどり着く。
乗り込んだ根来衆とともに海賊どもと対峙する戦闘場面は相変わらず臨場感にあふれる描写で読者を魅了する。
寧波から更にシャムまで行き別天地をめざすところで終末を迎えるのがなんとも惜しい。
せめて下巻はフルにこの南国冒険行を描いてほしかった。


紫紺のつばめ

2006-09-12 20:29:23 | 時代小説
宇江佐真理著『紫紺のつばめ』文春文庫2002.9.30 第5刷 540円

伊三次捕物余話の第二作である。

お文と別れたかたちで終わった第一作、果たしてふたりの恋の行方は?
ま、ふたりが再びくっつくであろうことは間違いないところであろうが、どのように復縁するのか?が興味深いところであった。

「菜の花の戦ぐ岸辺」のくだりはなかなかよろしい♪。「菜の花の戦ぐ岸辺」そして「鳥瞰図」で見せた伊三次の“男気”に伊三次を見直した感じ。
この男、たんなる色男で小手先が起用なばかりではない、男としてなかなか見上げた根性を持っている。第一作ではあまり印象が残らなかったが第二作では“男を上げた”のではなかろうか。これでまた第三作が楽しみになってきた。

天翔ける倭寇ほか一作品

2006-09-07 22:13:28 | 時代小説
雑賀衆の「国際版」とも言える作品を2つ紹介いたします。


津本陽著『天翔ける倭寇』 角川文庫 平成5年11月

津本陽の時代小説の中で倭寇を取り上げた作品は本作唯一つだと思う。ある意味で異色の作品なのかも知れない。しかし、これが一番僕にとっては面白かった。海賊モノの中でも前述の『海狼伝』と甲乙つけがたい作品だ。特に下巻で主人公源次郎と亀若が紀伊雑賀衆を連れて中国大陸(明の時代)の奥深く進軍し、そこから脱出してくるくだりは何とも言えない迫力があり、戦闘場面はもう手に汗握る一級の冒険小説なのだ。


神坂次郎著『海の伽[イ耶]琴』・雑賀鉄砲衆がゆく(上・下)
 講談社文庫 2000.1.15 1刷

このところ雑賀の鉄砲衆に魅せられたように関連小説を漁ってしまった。本編は孫市の息子孫市郎の物語。時代背景は先に読んだ『雑賀六字の城』と同じであり、一向宗の石山本山をめぐる織田信長との凄まじい攻防戦を描く。さらに雑賀の里を追われ、形の上では天下統一を成した秀吉の人質として生き延びる。
本編の最大の特徴は、かの秀吉が行なった「朝鮮出兵」に雑賀の鉄砲衆を連れ参戦することであり、【ある特別な理由】でこの秀吉の軍勢に叛旗を翻すことである。海を渡った雑賀鉄砲衆の信念と反骨を貫く熱き物語の結末や如何に?

尻啖え孫市

2006-09-05 23:21:42 | 時代小説
「雑賀衆」といえばやはりこの方、『鈴木孫市』が登場しなければ収まりがつかないと言うものです。


司馬遼太郎著『尻啖え孫市』講談社文庫 2000.9.13 59刷

「尻啖え」とは現代語では何と表現すべきでしょう?
さしずめ、「ケツをまくる」「一発かませる」とでも表現するのでしょうか?やはり、ずばり汚いですけど「糞食らえ」でしょうか。英語では「Kiss my a**」てなとこでしょうか、いずれにしても上品なお言葉ではないようです。

さて、本編の主人公、雑賀孫市とは一体何者なのでしょう。姓を鈴木と称して、今の和歌山県和歌浦あたりに勢力を持っていた地侍集団ともいうべき雑賀衆の頭目であります。雑賀衆は近くの根来衆とともに「鉄砲」を武器とした一種“傭兵部隊”で、あちこちの大名に金で雇われて戦闘するという特殊部隊。
更なる特徴はこの雑賀の国の人々の大半が一向宗の信徒であったという点。こうなると自然、敵対するのは織田信長。
浄土真宗石山本願寺を中心に信長との長~い、確執に満ち満ちた戦いが繰り広げられ、当時比叡山の焼き討ち以来、“魔王”と呼ばれた信長に痛烈な一撃を加えた、そう、“尻啖わした”のが孫市率いる雑賀の鉄砲衆であったわけです。

この孫市、服装からして奇抜。最初の登場シーンが「真赤な袖無羽織、真白になめした革ばかま。羽織の背中には黒く染めぬいた3本足のカラス、“熊野の神鳥、ヤタガラス”の家紋」の大男、てな調子です。
当時こうした連中は『かぶき者』と呼ばれたそうです。
服装ばかりではなく、孫市はこの当時の地侍の典型ともいうべき、小地域戦闘のうまさ、底抜けの楽天主義、倣岸さ、明るさ、そして愛すべき無知、すべて孫市は持っていたと著者は書いています。
とにかく、破天荒な反権力主義者で、その言動は小気味良い。かくも痛快な怪男児がおったこと自体が奇跡のようです。


この感想も過去の読書録からの引用です。

雑賀六字の城

2006-09-04 22:18:35 | 時代小説
津本陽著『雑賀六字の城』文春文庫 1987.7.10 第1刷

司馬遼太郎著『尻啖え孫市』が雑賀の頭目である孫市を描いているのに対し、本編では雑賀衆の年寄衆(300余の家人を持つ)のひとり、小谷玄意の末っ子七郎丸を軸に、彼の目を通しての信長との死闘を描いている。
彼が16才で初陣を飾った浄土真宗石山本山を巡る攻防戦から、更に後年、信長が雑賀の荘に攻め込むまでを描いた壮絶な雑賀鉄砲衆の戦記であると同時に、苛酷な戦闘を経験する過程で、七郎丸が少年から若き雑賀の戦士に成長してゆく過程を見事に活写している。

本編では雑賀鉄砲衆の火縄銃の“手練手管”を描くばかりではなく、雑賀衆の“船戦さ”の巧みさについてもたっぷりと披露してくれる。
当時の海戦の模様を描かせると津本陽は達者だ。読むうちに瞼に合戦の様がまざまざと浮かんでくるようだ。
それにしても何故、雑賀衆がかくも浄土真宗に帰依したのかが未だに謎である。一向宗はキリスト教が神の前では全ての者が平等と説いたと同様、阿弥陀の前では身分の上下へだたりなしに成仏できる、と説いたものだから、それは封建領主としてはこの上なく都合の悪い宗教であったわけだ。
また、死ぬと“極楽浄土”へ行けると信じ込む門徒宗には死への恐れがない。戦う相手として、かくも不気味な相手は存在しないであろう。

石山本山の攻防戦の場面も凄いが、最後、僅か1万弱の手勢で10万余の信長軍を迎え撃つ雑賀の荘で繰り広げられる戦闘場面は圧巻だ!

もうお分かりのとおり、題名の六字とは「南無阿弥陀仏」のことである。


上記は過去の読書録から引っ張り出してまいりました。


鉄砲無頼伝

2006-09-04 00:09:12 | 時代小説
津本陽著『鉄砲無頼伝』角川書店 H12年2月文庫化

紀州和歌山の土豪津田監物はいちはやく種子島に鉄砲なる武器がポルトガル船によってもたらされた事を聞き及んだ。根来杉ノ坊の僧兵である兄及びその取り巻きと共謀し、監物は阿弥陀如来のお告げで大明に行くと周囲へ偽って種子島へこっそりと買い付けに向かった。
首尾よく種子島を入手した監物はさっそく根来寺の鍛冶に対しその複製製造を命じたのであった。
根来衆の中から筋が良いと思われる300名の鉄砲集団を作り上げるには何年も要しなかった。当時、300名もの鉄砲集団をかかえる「鉄砲集団」などあるわけもなく、その決定的な破壊力にものを言わせ、雇われた戦国の軍の戦闘においては目覚しい活躍を示した。
監物が率いる「根来鉄砲衆」は主義・信条によって行動したわけではなくあくまでも報奨金の多寡によって雇い主を決めるいわば「傭兵」集団であったわけだ。
この頃根来衆と共に鉄砲集団として有名を馳せたのが「雑賀衆」であるが、こらは浄土真宗という宗教の為に一身を捧げる「鉄砲集団」である。
どちらかというと雑賀衆の生き様のほうが好きで、雑賀から描いた他の小説の中ではこの「根来衆」というのはある意味やっかいな集団として描かれる場合が多い。とはいいながらも本作の主人公である津田監物の個人的魅力と種子島へ渡る途中に出会った「おきた」という海賊の一員であった女子の魅力、そしてなによりも血湧き肉おどる鉄砲集による戦闘場面の巧みな活写によって一気に読ませる作品となっている。


もうひとつの「鉄砲衆」である「雑賀衆」を描いた作品に「雑賀六字の城」がある。
合わせて読まれると面白い。