min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

オーテス・ケーリ著『真珠湾収容所の捕虜たち』

2013-10-02 18:43:31 | ノンフィクション
オーテス・ケーリ著『真珠湾収容所の捕虜たち』 ちくま学芸文庫 2013.7.10
副題:情報将校の見た日本軍と敗戦日本

オススメ度★★★★★

太平洋戦争の後半、日本軍が明らかに米軍に屈しつつある最中、“餓島”や“硫黄島”の激戦地にて捕虜になった日本兵が送られた先はハワイの捕虜収容所であった。“生きて虜囚となるなかれ”と洗脳された日本兵の中にはやむを得ず捕虜のなった者とは別に自ら米軍に投降して捕虜になった者たちも多く含まれていた。これからどんな過酷な運命が待ち受けているか皆目分からない捕虜たちの目の前に立った一人の若き米軍将校から発せられた第一声が
『階級順に並んだ。上等兵、伍長、軍曹、少尉、中佐、大佐、元帥。おっと、元帥はいねぇか。』であった。それも全く流れるような江戸弁であったから捕虜たちは完全に呆気にとられた。
後に朝日新聞の記者であった捕虜の一人が自らの回顧録で『このセリフに一同おったまげた。とんでもない達者な通訳がいる。はらの中まで、かっさばかれる。そういった脅威だった。』と述べている。
ケーリが日本語が堪能であったのは無理もない。なにしろ彼は北海道の小樽富岡町で生まれ育ったのだから。小学校時代は人種差別を断固禁じた担任教師と彼を仲間に迎え入れた学友達に恵まれ、14才まで戦前の日本で育ったのであった。
彼の父は小樽の花園町公園道りにある教会の牧師を務めていた。幼少の時期に故郷として育った小樽、そして日本。彼を取り巻く素晴らしい日本人達が彼をして一級の日本理解者として形成せしめたのであった。
ハワイに収容された捕虜たちの様子を綴った関連書物というものはかって見たことがなかった。旧ソ連に連行されたシベリア抑留の悲惨な日本兵とは異なり、米軍の捕虜取り扱いはあくまでも紳士的であった。ただ先にも述べたように日本兵の捕虜たちの中にはいわば敵前逃亡して投降したものがかなりいたことから、戦後日本へ送り返された時の日本社会ばかりか夫々の田舎が、そこに住む家族がどのように迎えるかに最大の関心があったと言っても過言ではない。
ケーリはそんな彼らの危惧を少しづつ軽くすべく努力した。個々の日本兵との間で結ばれた相互信頼を得るまでのエピソードが素晴らしい。
さて、終戦後ケーリはいち早く進駐軍の一員として7年ぶりに日本の地に足を踏み入れるのであったが、その後一旦帰国し、日本学ともいえる講座で学問を深めた後再び日本を訪れた。今度は軍服を脱ぎ京都の同志社大学の教授として妻を伴っての来日であった。
第一回目の訪日から真珠湾の教え子とも言える元捕虜たちとの交流を絶やすことはなかった。若くして鋭い感性を持ったケーリの目に映った日本及び日本人は彼が日本の捕虜たちとハワイ時代に描いた内容とは大きく逸脱したものであった。
それは特に戦争を生き延びた政治家、財界人そしてマスコミの連中に顕著にみられたものであった。結局旧態依然とした日本式縦型社会が引き継がれ、敗戦を終戦と言いかえ、占領軍を進駐軍と言い換えた日本社会。昨日までのコチコチの軍国主義者から軽々と発せられる“デモクラシー”という言葉。
日本社会は日本人は結局先の戦争から何も学んではいないのではないか!?という疑念。更にそんな中から早くも感じられた“軍国主義”の萌芽めいたものすら感じたという。
本書はケーリが1950年に離日する直前に親交を絶やさなかった元捕虜たちの一部から強烈に執筆を乞われて書いた本である。原題を『日本の若い者』である。これは著者が愛して止まない日本の若者たちに残した叱咤激励の書であり、60数年経った今でも心に響く内容である。是非一読をお勧めする。







最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2014-09-17 23:33:14
「よこ糸のない日本」を読みましょう。
返信する

コメントを投稿