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min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

杉山隆男著『兵士に告ぐ』

2010-02-24 19:00:57 | ノンフィクション
杉山隆男著『兵士に告ぐ』小学館文庫 2010.2.10 第二刷 657+tax

オススメ度:★★★★☆

『兵士に聞け』『兵士を見よ』『兵士を追え』に続くシリーズ第四弾である。
著者杉山隆男氏は1995年の『兵士に聞け』の上梓以来、実に15年に渡って我が国の自衛隊、それも陸、海、空、3軍全ての部隊に密着取材してきた。
かくも長きに渡り自衛隊を追っかけたルポルタージュは他に例を見ない。杉山氏の取材姿勢は左も右も偏らないのが良い。
自衛隊の良い面も悪しき面も率直に語ってきた姿勢や、自衛隊員の個々の素顔にせまる取材姿勢は好感を持てる。故に僕もシリーズ全てを読み繋いできた。

今回の主な取材対象は長崎に根拠地を置く「西部方面普通科連隊」である。設置された当時、この連隊は「日本版海兵隊」としてマスコミ報道された。
それは看板にある「普通科連隊」の名前とは裏腹に、普通ではない「特殊部隊」的訓練を行う部隊であったからだ。
全国の部隊から選りすぐりの優秀な自衛官を集め、その半数以上がレンジャー資格者で占められることが何よりもこの連隊の実態を如実に語っているのではなかろうか。
「西部方面普通科連隊」の設立目的は明らかに対中国や北朝鮮の軍事的脅威に対抗するためのものである。
米ソの冷戦構造が終焉し、我が国防衛の姿勢は日本の北の脅威から南の脅威への対応へと確実にシフトしてきた。
近年の中国による軍拡の勢いは留まることを知らず、台湾海峡を挟む緊張のほか、資源獲得のため、尖閣列島を初めとした挑発的とも言える一時占有などに見られる如く、周辺諸国、地域、特に南の海域に中国のプレゼンスを示してきた。
また、最近ではやや頻度が落ちたものの、北朝鮮の工作船の跳梁跋扈も後を絶たない。
こうした軍事情勢を踏まえ、南方海域の島への上陸作戦を含めた米国海兵隊のような部隊の創設が焦眉の課題となったわけだ。

戦後、警察予備隊として発足した治安部隊が、その後「自衛隊」と名を変えて組織が拡大され今日に至ったわけであるが、当時は「日陰者」扱いを受けたものの、今やPKO部隊として海外に派兵されるまでになった。
今日、自衛隊そのもの存在意義というか、ひいては我が国の防衛に関して今一度国民的レベルで議論されねばならない段階に達しているのではなかろうか。
米軍の普天間基地の移転問題といった一部の問題ではなく、日米同盟の根幹に関る問題を論じなければならないということである。



さてここで、本書の感想からは多少ずれるのであるが、本書に触発され改めて自衛隊そのもの、日本の行く末を考えてみた。

誰が何と言おうが自衛隊は「軍隊」である。第二次大戦に敗れた日本は米国の主導によって新憲法が作られ、その憲法の第九条で日本は恒久的に戦争を放棄する、とうたっている。
戦争しない、と憲法に定めた国家が何故軍隊を持つのか?憲法上の解釈からすれば明らかに自衛隊は違憲である。この全くの「矛盾」を日本人は矛盾とせず、「憲法解釈」という手段でもって65年間も「軍隊」を存続させてきた。
そもそも戦後の日本に「軍隊」を持たせないと決めたのはアメリカ合衆国であり、その後朝鮮戦争による共産主義の脅威に対して再び日本に「軍隊」を持たせた。これは合衆国にとっては何ら「矛盾」ではなく「合衆国の国益を守る」上では極めて合理的な決定であったと言えよう。

「矛盾」を「矛盾」でなくしている他の事例として、我が国がかかげる「非核三原則」なるものがある。
「非核三原則」とはご承知の通り、日本国政府は「核兵器を製造せず、装備せず、持ち込ませず」という原則のことだ。
だが、国民の誰もが「持ち込まれていること」は承知している。米国の原潜や原子力空母が我が国の佐世保港や横須賀港に入ってくるたびに日本政府は「核兵器は搭載されていないものと信じている」というコメントを出すばかり。
だが、合衆国の核兵器を搭載した艦船が、いちいち日本に寄港する前にどこかに核兵器だけ下ろしてくるというのを誰が信じるというのか。
我が国の政治家も官僚もメディアも、みんなその事実を知りながら知らないふりをしてきた。こんな理屈にもならない理屈が何故通るのか?

再び内田樹著『日本辺境論』の記述から引用させていただくことにする。

【「アメリカにいいように騙されているバカな国」のふりをすることで、非核三原則と、アメリカによる核兵器持込の間の「矛盾」を糊塗した。
仮にも一独立国家が「他国に騙されているのがわかっていながら、騙されたふりをしていることで、もっと面倒な事態を先送りする」こんな込み入った技が出来るであろうか?日本人にはできるのである。】

と記述している。これは日本人が辺境人としてのメンタリティーを持っているが故と説く。こうした「思考停止」は日本人の古来からの狡知の技だというのだ。
事のついでにもう少し内田樹先生のいうところの「日本人のメンタリティー」について述べてみたい。
内田先生は丸山眞男の「超国家主義の心理」を引用して「日本人のメンタリティー」を説明している。

【日本の軍人たちは首尾一貫した政治イデオロギーではなく、「究極的価値たる天皇への相対的な近接の意識」に基づいてすべてを整序していた。この究極的実体への近接度ということこそが、個々の権力的支配だけではなく、全国家的機構を運転せしめている精神的起動力にほかならぬ。
官僚なり軍人なりの行為を制約しているのは少なくとも第一義的な合法性の意識ではなくして、ヨリ優越的地位に立つもの、絶対的価値体のヨリ近いものの存在である。(中略)ここでの国家的社会的地位の価値基準はその社会的機能よりも、天皇への距離にある】

このことをもう少しくだいた言い方をすると、内田先生曰く、

【とりあえず今ここで強い権力を発揮しているものとの空間的な遠近によって自分が何ものであるかが決まり、何をすべきかが決まる。(中略)
官僚や政治家や知識人たちの行為はそのつどの「絶対的価値体」との近接度によって制約されています。「何が正しいのか」を論理的に判断することよりも、「誰と親しくすればいいのか」を見極めることに専ら知的資源が供給されるということです。
自分自身が正しい判断を下すことよりも、「正しい判断を下すはずの人」を探り当て、その「身近」にあることの方を優先するということです」】

ここで「天皇への距離」を「合衆国への距離」と置き換えてみようではないか。
日本人にとって両者とも、その決定した事柄は「聖域」なのであって、良いも悪いもなく「思考停止」状態に陥りその決定に従う。
日本人の「絶対的な力を持った者」に対する盲従の性向こそが、かくも不可解な国家運営を司る本質なのであろう。
故に「隷属国家日本」は「絶大な力を持つ」アメリカ合衆国がそのパワーを失いつつある今、更に次なる「絶大な力を持つ」もの、国家、へ寄り添うスタンスを取りかねない。
どうも次は「中国の天領」となっても不思議ではない政治、経済、軍事情勢となりつつある。日本はアメリカとの距離を保ちつつ、急速に中国に寄り添う姿勢を見せている。
これでいいのか?と問いかける前に「これでいいのだ」という結論が出てきそうだ。なんたって日本は古来「辺境国家」なのだから。

だが、僕はこうした日本は望まない。たとえ経済的危機を招こうが国家百年の計から言えば、今こそ自主独立の道を歩みだす決意を下す時ではないのか。
このまま行けば、上述のように「中国の天領」になりかねない。

内田樹著『日本辺境論』

2010-02-14 16:26:42 | ノンフィクション
内田樹著『日本辺境論』新潮新書 H21.11.20初版  740+tax

オススメ度:★★★☆☆

過去、幾多あまたの「日本論」、「日本人論」が出たであろうことか。世界で日本人ほどこの手の論議が好きな民族はいないであろうと言われて久しい。
したがって、何を今更という感じなのであるが、立ち読みしながら本書をパラパラめくって興味を抱いたところがあった。
それは日露戦争から第二次世界大戦に至る時期を「辺境人が自らの特性を忘れて特異な時期であった」と記していた部分である。
これは多分に先の司馬遼太郎著『坂の上の雲』を読んだ後のせいであろう。
僕自身このブログのどこかで、「日本が明治維新以降右傾化していった原因、メカニズムを何とか探りたい」という思いをこのところ常に抱いていた。

日本が世界の辺境に位置しており、歴史的にも常にその辺境にある環境から、特異な民族性そのものが培われたであろうことは誰しも異論のないことである。
著者である内田先生の描くところの「日本辺境論」とはどのようなものであろうか。以下本書から抜粋させていただく。

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●「辺境人」のメンタリティー
「辺境」は「中華」の対概念です。「辺境」は華夷秩序のコスモロジーの中に置いて初めて意味を持つ概念です。
世界の中心に「中華皇帝」が存在する。そこから、「王化」の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して「王土」と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。(中略)
中心から周縁に遠ざかるにつれて、だんだん文明的に、「暗く」なり、住民たちも(表記的には)禽獣に近づいてゆく。そういう同心円的なコスモロジーで世界が秩序されている。(中略)
日本は華夷秩序における「東夷」というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得したというふうに考えられないか。朝鮮は「小中華」として「本家そっくり」にこだわったせいで政治制度についても、国風文化についてもオリジナリティを発揮できなかった。(中略)
日本はその辺境としての自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方でそん劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではなかろうか。
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さて、そんな日本人が当時の軍事大国である帝政ロシアにとにもかくにも勝ってしまった。
日本政府、軍部ばかりではなく国民自体が戦勝気分に浮かれてしまったのだが、やはり心ある日本人はいるものだ。その人の名は朝河寛一というお方で、当時のアメリカに苦学して留学した人。彼は当時の戦勝に浮かれた日本の行く末を憂い、
『日本が行く行くは必ず韓国を併せ、南満州を呑み、清帝国の運命を支配し、かつ手を伸べて印度を動かし、フィリピンおよび豪州を嚇かし、兼ねてあまねく東洋を威服せんと志せるものなり』と述べている。
その後の日本帝国はまさにこのような道を歩むことになる。

そこで内田先生は考える。幕末の日本人は極度に限られた国際状況の情報量の下で的確な判断を下した。だが、明治末のこの時期、情報量は圧倒的に増えたにもかかわらず状況判断を間違った。それは何故か?内田先生曰く、
『幕末の日本人に要求されたのは「世界標準」にキャッチアップすることであり、それに対して、明治末年の日本人に要求されたのは「世界標準を追い抜くこと」であったということ。これだけです』。

実は上述の朝河寛一さんが憂えた日本の歩んだ道は当時の帝政ロシアが描いた南下政策そのもので、日本はその指針にそっくり従ったことにより、極めて効率よく行うことが出来たといえる。

さて、明治維新後わずか30年あまりで国際列強の仲間入りした我が国だが、我が国の犯した思考の最大の誤謬は?と、内田先生は続ける。
『「日本は中華であり、天皇こそが中華皇帝である」という華夷秩序の物語のスキームの中で考えると理解できる。というのは、国力が充実した中華王朝は国威発揚のために必ず周囲の藩族を討伐するからです。』

第一次世界大戦後、列強はヴェルサイユ講和会議において今後のあるべき国際平和秩序について、そのための軍縮について大いに語ったが、そこに出席した我が国の全権たちはその内容を理解しなかった、と思われる。
言葉の上での問題ではなく、当時普仏戦争や一次大戦で受けた欧州の国々の事情やそれぞれが受けたトラウマを出席した日本人には理解できなかった、いや理解しようとしなかったと思われる。
日本は自らの利権を拡大することにのみ腐心し、世界情勢が読めなくなっていた。読めないが故に貴重な日英同盟をすら打ち切ってしまった。
何故打ち切ったのかは内田先生も判らないという。

以前、「坂の上の雲」において、日露戦争以降の日本帝国の右傾化は主に陸軍を主体に行われた云々と述べたが、こうした一連の日本国民の当時のメンタリティを考え直すと一概に陸軍のみのせい、とは言えない気がする。

本書にも述べられているのだが、「日本人が日本人でなくなった」時からこの国は大きく道を踏み外したように思える。
核心は「天皇を中華」に据えたことによると私は思うのだが、国家神道そのものの功罪を今一度見直してみたい。

金子貴一著『秘境添乗員』

2009-08-05 14:02:00 | ノンフィクション
金子貴一著『秘境添乗員』 文芸春秋 2009.4.25第1刷 1,500円+tax

オススメ度★★★★☆

前作の『自衛隊イラク従軍記』に続く本作である。本作において前回はあまり語られなかった著者本人の人となり、というか生い立ちから語られ、非常に興味深いものがあった。
自らの高校時代を「不登校児」と振り返り、その不登校という極めて後ろ向きな自らの人生を変えるべく考えたのがかなりユニークだ。
社会問題を解決するには“自らの中に多くの文化を取り入れ、世界共通の社会問題を観察しよう”という奇想天外な発想を抱いたわけだ。

そこで留学したのが米国はアイダホ州にある田舎の高校。ホストファミリーのオヤジは、若かりし頃はロスでヘルスエンジェルの頭目であった、という変わり者。
しかし、今は子育てに厳格な父親であり、金子氏へも厳格に接した。妻のカナダ人もまた著者に対しては容赦ない英語のスパルタ教育を実践した。日本では「不登校児」であった金子氏は、逃げ出すわけでもなく相当ハードに鍛えられて帰国した。

一年後、著者の金子氏は何を思ったのかエジプトの首都カイロにあるカイロ・アメリカン大学に入学しアラビア語を学ぶことになる。何故アラビア語を学びたいと思ったのかは明らかにされないが、かくして金子氏は流暢な米語を操ると同時に7年間の猛勉強で培ったネイティブに近いエジプト方言アラビア語使いとなったわけだ。
その後自らが企画した怒涛の中東及び中国、西アジア方面への“秘境旅行”のツァーコンダクターとなるわけだが、そのツァーの中味の濃いこと、あきれるばかりだ。

あまりにハードなスケジュールと超マニアックな目的地及び観光対象を読むと、一度は金子氏に連れて行ってもらいたい、という好奇心と同時に、こりゃシンドイ旅だろなぁ、と怯む心が同時に湧いてくる。
それもしても変わったお方だと思う。旅に参加する方々の様々な要求、要望に対して何とか応えようという努力には頭が下がるし、参加者の我が儘にも驚異的な忍耐力で接する。
わけても、口の悪いババァが登場するのだが、僕だったら絶対にキレて怒鳴り返したであろう場面にもことごとく紳士的に対応する。たいしたもんだ。ここまでくるとアッパレ!としか言いようがない。

ちょっと論点が飛ぶように感じられるやも知れないが、金子氏のイスラム教、キリスト教、更に世界の宗教に造詣が深い理由のひとつに、氏の仏教への深い知識が根底にあるのではなかろうか。
それも昨年なくなられたご母堂の影響が色濃いように伺われる。何を言いたいかといえば、国際的になるということは、諸外国の知識以上に自らの出生国の歴史、諸事に精通せねばなれない、ということ。
同氏の存在は改めてそのことを知らしめてくれる。

金子貴一著『報道できなかった 自衛隊イラク従軍記』

2009-07-28 07:25:11 | ノンフィクション
金子貴一著『報道できなかった 自衛隊イラク従軍記』 学習研究社 2007.3.20第1刷 1,800円+tax

オススメ度★★★☆☆

本書が出た当時、存在は知っていたものの大して興味はなかった。だが今年に入って次作『秘境添乗員』が出て以来、俄然この著者に興味を抱いた。
『秘境添乗員』を読み始める前に本作を読んだほうがよいのでは、と判断し早速図書館に2作分オーダーした経緯がある。

さて、本作の内容であるが、自衛隊がイラクに派遣され2年強サマワで活動し無事任務を終え帰国したことはまだ記憶に新しい。
自衛隊がイラクに派遣された時、実は民間から通訳が加わった、というのは秘密にされた。だが、全員が無事帰国したら、その内容をマスコミに発表してもよい、という契約があり、このたび解禁されて内容が明らかにされたわけだ。

本の装丁が黒地に赤い文字が躍り、更に「報道できなかった」という枕詞がつくと、“きっと、すんげぇ中味なんだろう!”と一瞬期待?したが、内容はむしろ超マジメで割りと地味?なものであった。
先遣隊に続き第一陣と共に現地入りした著者が真っ先に解決しなければならなかったのは、駐屯地の土地賃貸借に関る地権者との交渉であった。
確かにこの交渉の内容を読むと、アラブ社会に精通した者でなければ決して出来えない交渉である。
先ず地権者が単純に個人とはならない。現地は他のイラク社会と同様、大きな部族社会が形成されており、その交渉相手が複雑かつ複数に渡るものであった。

著者はかって文化人類学を専攻したこともあって、かの地域社会の成り立ちを先ず把握した上で、「誰が的確な交渉相手であるか」を探った上で確実に交渉を開始した。だが、そこで自衛隊とい組織の「日本社会」をやはりしっかりと反映した組織の、“先走り”“思い込み”による壁に遭遇し、思わぬ交渉進展の上で苦戦を強いられる。
だが、やがてイラク現地の部族社会より厚い信任を受け、見事に任務を果たすわけだ。
現地の通訳から「自衛隊は本当に正しい場所に正しい人を置いた。あなたは日本の在サマワ大使になれる。サマワの人々に日本が好印象を持って受け入れられたのは、あなたのおかげだ」と賛辞を受けたのだが、まさに彼の存在を的確に述べた言葉であろう。

自衛隊の海外派兵については未だに賛否両論あるのだが、その是非はとにかく、自衛隊が無事にひとりの犠牲者も出さず帰還出来たのは奇跡にも等しいことである。
米軍が彼の地で大きな犠牲を払わねばならない理由に、軍事上の論議は別として、あまりにもイスラム社会、イスラムの人々のことを知らな過ぎる点があげられる。
「アメリカ的民主主義」を押し付けようにも、上述のイラクの部族社会を認識すればそれが無効であるのが判ろうものを・・・・
これはイラクに限らずその他の場所で懲りもせず繰り返す愚行である、ことがしみじみと分かる一遍である。

久保俊治著『羆撃ち』

2009-07-12 12:46:06 | ノンフィクション
久保俊治著『羆撃ち』 小学館2009.4.25第1刷 1,700円+tax

オススメ度★★★★★

現代に生きる孤高のマタギ(プロハンター)と彼の良き伴侶であった北海道犬(アイヌ犬)フチの物語である。物語といっても小説ではなくノンフィクションであるが。
とにかく驚いた。何が驚いたかと言えば、このようなマタギが我々と同時代に存在した、という事実である。
マタギといえば直ぐに頭に浮かぶのは、秋田県の阿仁を中心とするマタギたちで、それも過去の伝説と化しつつあるのが実情だ。
彼らは熊の狩猟においては“巻き狩り”という独自の集団的狩猟方法をとっていたことで知られる。
一方、本編の著者久保田氏はあくまでも単独による狩猟方法をとり、羆もしくわエゾシカを一人(後に犬と)で何日も山中を追跡し仕留める、という驚異的な狩猟を行うのだ。
1947年生まれというから現在62歳。今は北海道中標津で牧場を経営する傍らたまに猟をするようであるが、彼が大学生であった時に自らをマタギとして、狩猟のみを生業にして生きていこうと決意したという。
時代背景を考えれば彼が小樽商大の学生であった時の日本は、まさに高度成長経済を迎えんとする経済の絶頂期であったと思われ、周囲の同級生はもちろん就職活動に専念する中、彼は己の生きる道を全く別な所に求めていたわけだ。
これは並みの人間が考えることではない。彼の狩猟に対する情熱、自然への、そして野生動物への限りない愛情と執着の度合いが伺われる。

本編で描かれる北海道の自然の厳しさと美しさ、そしてそこに生きる野生動物たちを狩る時の著者の描写は単なる狩人のそれではない。
優れた動物文学者の手による、迫真の描写に読者は魅了される。特に、凶暴さにおいては我が国で第一位の存在であろう羆を追い詰め、渾身の一撃を与える瞬間の命のやり取りの様はただただ驚愕し、同時に感動する。

そして彼の生涯のバディとなったフチとの邂逅、成長の様、そして避けることが決して出来ない運命的決別。特に愛犬フチとの別れは涙なくして読めない。
本当に久々に感動した一遍である。

今谷明著『信長と天皇』

2009-06-15 08:00:36 | ノンフィクション
今谷明著『信長と天皇』 講談社現代新書1992.4.20第1刷 583円+tax

オススメ度★★☆☆☆

著者は本書の「はじめに」において、【織田信長の最大の敵は、実は正親町(おおぎまち)天皇であった、というのが、本書でわたしが最も強調したい点である】と述べている。
また同じ「はじめに」で立花京子著『風雲信長記』にある一節、
【即ち信長は(中略)全国にまで軍事制圧を達成し得たなら、必ずや何らかの口実を設けて天皇一族を抹殺するか、又は京都から遥か遠方の地に放逐するに違いないと考える。】
を引用し、自らも
【たしかに信長は、できることなら、天皇を抹殺してしまいたい衝動につねにかられていたと思われる】
と述べている。

おおっと、これは過激な線で論拠が展開されるのね、と期待したのであるが、結果としては全然そうはならない。
信長の正親町天皇への対応のいくつかを取り上げ、次のように結論付けようと試みる。
【正親町天皇は信長の要求が将軍任官にあるのを知って、おそらく安堵したであろう。まさに従来の説が言うように、信長が自ら将軍任官を申し出たこと自体『中世そのもの』なのである。譲位強要、神格化いずれも挫折と失敗の結果、信長も足利氏同様、将軍すなわち天皇の侍大将の地位に甘んずるほかない事実を、思い知らされたのである。】と。

なぁ~んだ、つまらない、こんな結論ならばハナから語った威勢の良さは一体何であったの?と問いたい。
果たして信長という男、本当に今谷先生が考えるような凡庸な人物であったのであろうか?。
当時はもちろんのこと、現代においても、信長という人物がおよそ“鬼”そのものの立ち振る舞いを、比叡山及び石山本願寺を頂点とする門徒宗に対して行ったことを、よもや忘れたわけではないでしょうな。
あの僧侶も女、子供も「皆殺し」にして憚らず、神社、仏閣もそして仏像も何もかも躊躇わずに焼き払う所業は、まさに神も仏もなきものと念ずる悪魔の仕業といわずして何というのか。
ある意味、今までの歴史上の覇権を目指す人物において、既成の倫理、道徳、権威、そして宗教などに一切とらわれることのない稀有の人物として伝えられる信長が、「天皇」だけは別物である、「天皇」だけは手にかけるわけにはいかない、と結論付けるにはやや無理があるのではなかろうか。

歴史のタラレバを語っても始まらないであろうが、果たして本能寺の変が起こらず、あのまま信長が本当に天下を取ったとき、信長は天皇に対しどのような扱いをしたのか!?正に興味深いことである。


開高健著「地球はグラスのふちを回る」

2009-06-11 09:16:13 | ノンフィクション
開高健著「地球はグラスのふちを回る」 新潮文庫 2008.2.25第33刷 514円+tax

オススメ度★★★★★

昭和51年から52年にかけて、更に56年頃までにあちこちの雑誌や単行本に載せられたエッセイの中から、世界中の酒場を遍歴した開口大兄が綴る世界の名酒、珍酒そして酒に纏わる小咄を紹介し、ほかに食・釣り・旅のエピソードを語る珠玉のエッセイ集。
思い起こせば、大兄のまともな小説よりはるかに多くのエッセイ集ばかり読んできた思いがするのだが、このエッセイ集はとりわけ傑作であると思う。
本作の題となった「地球はグラスのふちを回る」という言葉がどこから引用されたのか失念したが、語られる内容からいかにもピッタリとした題名ではなかろうか!
大兄は50歳間近に迎え、健康上の理由から思い切り酒を飲めなくなるまでの、それはそれは羨ましいというか素晴らしき世界の酒との邂逅を、絶妙の語り口で我々読者に披露してくれる。
大兄の酒に対する好奇心、愛情、劣情?賞賛、感嘆の数々は読者を圧倒し魅了させて止まない。
酒以外の章で特に印象に残った表現は以下の通り。

「三十歳以降ほぼ二十年になろうとする私のぶらぶら歩きの見聞によると、旅人の初発の一瞥による弁別では、ふつう“先進国”とされている諸国では、人生が家のドアと、窓と、壁の内側で進行しつつある。しかし“途上国”とされている諸国では、“生”の様相のすべてがとまではいわないにしても、おびただしくが、路上でつぶさに目撃できる。苦。労。病。愉。笑。飢。哀。訴。諦。死。生の諸相のほぼ全てが路上でまざまざと目撃できる国である。」

ああ、なんと的を得た表現であろうことか!これは我が経験からしても真実である、と断言できる!

そして、世界中を行き来した大兄が後年やっと行くことがかなった合衆国の首都N.Yについて記した箇所。

「貧と富、汚穢と清潔、営養と飢餓、美徳と悪徳、剛健と浮華、活力と沈殿、古代と現代、極小と極大、いっさいがっさいが、自然なるままの、秩序ある混沌のまま、ひたすら今日を生きることに没我である」

おお、なんと言う感性表現であろうことか!
かくも魅了されるエッセイというのにはなかなか会えるものではない。

大きな声では言えない?が、本当は大兄がNYのアンダーグランドで体験したどピンク・ゾーンのくだりは圧巻である(謎微笑)

白川由紀著『ウィーン⇔カトマンズ 大陸横断バス』

2009-03-10 07:20:28 | ノンフィクション
白川由紀著『ウィーン⇔カトマンズ 大陸横断バス』 1997.7.20第1刷
1,500円+tax

オススメ度★★★☆☆

同著者の『もっと世界を、あたしは見たい』にはえらく落胆させられてしまったものの、彼女がかって実行したユーラシア大陸の横断バス行には大いに興味があった。
1970年代、ネパールが世界のヒッピーたちの溜まり場であった頃ロンドンーカトマンズ間のバスが運行されていたのを知っている。
だがご存知の通りその後アフガン紛争やイランイラク戦争の勃発によりこの古代からのルートは閉ざされてしまった。
それが1990年代の初めに再開されようとは思わなかった。それも日本人の女の子の手によってとは。
興味の対象はどうやって実現したのか、何よりどのルートを取って実現したのかが最大のポイントであった。
前回は旅の実態が全く分からなかったことに不満をいだいたのであったが、さすがに本書では具体的に記述されている。
通読して感じたのは本編で登場するオーストリア人のステファンの存在が大きいことだ。ちょっと年齢は不詳であるが、彼とネパールで出会わなければこの計画は実現しなかったと言っても過言ではないだろう。
彼がバスを調達し改造し、そして全行程を運転したのだから。著者自身はこの方面では全くの素人であるし人生経験も極めて浅い。
実際の旅ではステファンの機知に富んだ判断が大いに役立ったようだ。
意外だったのは募集したメンバーが全て日本人であったこと。この募集は白川女史自身の手によって日本で行われ奇跡的?に数名応募者があって実現した。
本書はこんな彼女によって企画された第二回目の横断バスの旅行記となっている。内容は二十歳半ばの女性による感性で描かれており、乗り合わせた奇妙な日本人たちの挙動、言動が面白おかしく活写されている。
本書が書かれた年には第六回目の横断バスが企画されたと書かれているが、はて、今でも運営されているのであろうか?今の中東情勢を考えると常識的にはあり得ない気がするが・・・





白川由紀著『もっと世界を、あたしは見たい』

2009-03-07 10:51:17 | ノンフィクション
白川由紀著『もっと世界を、あたしは見たい』㈱ポプラ 2006.8.10第1刷
1,400円+tax

オススメ度★★☆☆☆

先月2月のある日、日本経済新聞の何面かの一面にこの著者が写真入りで大々的に紹介されていた。
掲載された写真を見たところ紹介記事にある通り40歳には見えない素敵な女性であった。何と言っても肩書きの“大陸横断家”というのに引かれた。
更に写真家として活躍すると共に、高尾の近くに実家を改造して世界中から収集してきた美術品や民芸品と身近に触れ合うことが出来るカフェを開き食事や酒も提供しているという。
著書が写真集を含め幾冊かあるようなので、その中の最新刊である本書を取り寄せて読んでみた。
内容は、何故自分が海外に興味を抱くようになったのか。ネパールに留学したときに“ユーラシア大陸横断バス”の構想を描くきっかけが出来、それをいかに実現したか。
何度かヨーロッパとネパール間の大陸横断バス運行を実現した後“アフリカ大陸横断バス”をも実現。そして更に自ら“プチ・ユートピア”と呼ぶカフェバーの開設に向けての奮闘、などなどを描いている。

感想を一言で言い表すと「独善的人生の勝手な展開」。本書のタイトルやら目次をパラパラと見た上で購入し読んだ方は、きっと肩透かしを食らった!に違いない。
若いうちに海外を見たい、行きたいという願望は分かる。だが、それ以降のカトマンズへの留学から始まってどのように“大陸横断”の構想を得たのかどのように実現し内容はどうであったのか、等々についての記述がおざなりで、読者は不徳要領な内容に戸惑うばかり。それは次のアフリカ大陸横断についても同様で、著者の独断的な描写にガッカリ。少なくともこの極めて特殊な旅についての「旅行記」的記述を期待した読者は満足しないであろう。
最後のカフェバーをつくろう!という件(くだり)が一番印象に強く残り、全編を通じ彼女の“想い”だけが疾走する感じだ。

実はこの種の女性が僕の周囲にひとりいらっしゃる。容姿もそこそこイケて、顔も可愛い。彼女の立ち振る舞いが男どもの感性を擽り、彼女の大抵の言動を許してしまう。何より彼女は“バイタリティー”に満ち溢れているのだから、ちょっと人生に自信を持てない、あるいはちょっぴり人生に疲れた周囲の人々をぐんぐん引っ張っていく。
それが全く正しい方角であるかどうかは第二儀的な関心事にもなりかねない状況で、著者白川女史の場合も同じように彼女に何となく振り回されるかっこうでこの度の事態に至ったのではなかろうかと苦笑交じりに思う読後感であった。
とまれ、彼女のお店は私の実家から遠くはないので、次回帰郷の折訪れようと思っている。

川成 洋著『スペイン戦争』

2009-02-26 07:44:24 | ノンフィクション
川成 洋著『スペイン戦争』朝日選書 1989.2.20 980円+tax

オススメ度★★★☆☆

2月の始め、ススキノのとある飲み屋で飲んでいた時のこと。スペインが大好きで何度もかの国を訪れ、また料理の本まで書いたという店のマスターとの話の中で、いつしかスペイン戦争が話題となった。
そこでマスターが、「ジャック白井という日本人のことを知っていますか?」と言うので、「はい、知っています。確か石垣綾子さんという方が彼のことを書いていましたね。」と答えた。すると、
「ああ、“オリーブの墓標”という本ですね。では、こんな本を読んだことがありますか?北海道の方が書いているんですよ」と言って店の奥から持って来られたのが本書であった。
本書を手にしてパラパラとページをめくってみたものの、読んだ覚えがないので著者名と本の題名、そして出版社名を書き留めておいた。
後日札幌市内の大手書店を調べてみたが在庫がない。1989年発行ということでちょっと古いせいかも知れない。それでいつものように図書館から借りて読んだ次第。

なんか読んだ気がしないでもない、と思いながら読了し、そうして感想文を書こうと思いながら石垣綾子氏のことをネットで検索していたらヒットしたいくつかの記事の中に何と自分の記事を見付けた。
2001年9月の読書録の中にあった、↓

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『スペイン戦争』ジャック白井と国際旅団  川成 洋著 朝日選書 1989.2.20 第1刷 

1936年、スペイン領モロッコで叛逆の狼煙がひとりの男によって上げられた。その名をフランコ将軍といった。そしてスペイン共和国政府は僅か7年9ヶ月の短い命をファシストであるこの男によって葬られた。
1937年、55ヶ国4万人に及ぶ義勇兵が世界中からこの内戦に駆けつけたが、アメリカのリンカン大隊の中にひとりの日本人が参戦していたのをご存知だろうか。
本書は彼と同じ「道産子」である著者が執念の取材を行なった貴重な書籍である。ジャック白井に関しては石垣綾子著『オリーブの墓標』をあわせて読むことをお勧めする。(もっとも僕が読んだのは相当昔であり内容はほとんど記憶にないが・・・)

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年を取るとこんなものんです(泣)。すっかり忘却の彼方・・・・

ところで石垣綾子氏の「オリーブの墓標」は1970年に刊行されたものなのですなぁ。これはなかなか入手が困難かも知れない。
でも、発行された当時僕が読んでいたことは事実で、やはりスペイン戦争に参加した日本人にとても興味があったものと思われる。